てんみくろん

夜明け前 第1章

会社の倒産など、現代では珍しくない出来事の一つであるが、私の経営者としての資質に問題があり、平成6年4月に不渡りを出し、倒産。
債権者との対応や、残務整理が終ったのが7月頃だったろうか。
あり余る時間の中、する事は何もない。
いくつか顧問の話などやってくるが、どれも最終段階に入ると、どこからか反対の圧力が加わり、消えていく。
今は何もするなという流れに身をゆだね、散歩と読書だけの毎日。

江本勝氏の「波動時代への序幕」や、青山圭秀氏の「アガスティアの葉」などを興味深く読んでいた。
どの本に書いてあったのか記憶にないが、「雲消しゲーム」というのがあり、葛西臨海公園を散歩している時、この「雲消しゲーム」を試してみる気になった。

真っ青な抜けるように美しい空。白い雲。最初、小さめの雲を選び、その雲を視野の中心にすえ、「あの雲は私の意識で消えます。私の意識によって消えました。ありがとうございます。」の想いを心に繰り返す。
そんな事が本当に起きるなどと考えて、トライしたのではなく、なんとなく、心に浮かんだ軽い気持ちに従っただけだった。
ところが、しばらくその小さめの雲を見つめていると、真ん中辺りにジョワジョワッと泡が浮き立つ感じで、点状に雲が消えていき、その点状の雲の消失は周りに広がった。
雲全体に切れ目が入り、どんどん小さく分断していく。
「えっ?えっ?」と思って見つめている内に、私の視界にあった雲は、完全に姿を消してしまった。
「ウソでしょ!?」思わず声が出てしまった。
風が吹いて消えた? いいえ、周りの雲はそのままそこに在る。
私が選んだ雲だけが消えてしまっている。
それでも信じられず、前に進んで見たり、後ろに戻って見たりして、何度も何度も、消えたのではなく、どこかへ移動していないか、目の錯覚で、その瞬間だけ見えなくなっているだけではないかと、その雲の姿を探したが、結果は同じ。
大きな雲の集合の中、私の選んだその雲だけが消えていた。

「雲消しゲーム」について書いてあった本には、意識はエネルギーであり、エネルギーの中でも、最も強いものが人間の意識であると記述されていた。
1回のトライで消えた雲が、それでも信じられなくて、それこそその日以降、いろんな場所、いろんなタイプの雲でトライしたが、どれも見事に同じプロセスで消えていった。
電車の中や、バスの中からもトライしたが、すべて結果は同じだった。

一人では、田舎の親戚を訪ねることも出来ないほど臆病な私が、東京学芸大学受験のため、一人上京した時、第一回目のカルチャーショックを体験。
不安や恐怖は、自分の心が作り上げただけの幻想で、実際に行動してみれば、不安や恐怖はどこにも存在していない。
私はどこへでも、望むところへ、自由に、安全に出かけることができるということを、この時知った。

27歳の時、英語が嫌いで、全く英会話など出来ないのに、勤めていた貿易商社の社命でアメリカを、サンフランシスコからシカゴ、ニューヨークを経てボストンまで横断した時、2回目のカルチャーショック。
言語の通じない国であろうとも、そこに生きる人達は、鬼でも蛇でもなく、皆同じ温かい心を持っている人間だということ。
たとえ言葉は通じなくても、私の困惑を理解しようとし、自分のことよりも私を助けようと、真剣に私のカタコト単語に長時間耳を澄ませて、導いて下さった多くの見知らぬ方達との出逢いから、姿形や皮膚の色、異なる言語など、何の障害にもならないということを知ると同時に、「人間」の素晴らしさに、つくづく気付かされた。

この時から「人間は全て善なり。」の意識が入った。多少のハンディキャップがある方が、むしろ感動が大きく、未知の人との触れ合いを通じて、毎日「生きていること」の何ものにも代え難い、叫び出したいほどの感動と、大きな悦びを知った。
出かける時は、嫌で、泣く泣く出発したのに、旅の途中からは、この旅が永遠に続いてくれることを、心から望んでいる自分の変化に気付いていた。

そして、自分の意識(想念)で雲が消せるという体験で、人生3回目のカルチャーショックを受けてしまった。

不思議の旅の扉を開いてしまい、この日から、私の価値観はさらに大きく変わりはじめた。品川の国際波動友の会で実施されていた毎水曜日、夜の勉強会に顔を出したり、銀座のTM瞑想教室へ通ったりしながら、自分の肉体内外で起きてくる現象を、注意深く観察するようになった。
そうした生活の中、平成7年に入り、夫の体調に変化が起きてきた。


6月頃より、徐々に病魔は進行していた。
体調の変化は、誰よりも浩さん自身がわかっている筈なのに、私の言葉に背を向け、病魔を抱き込んでいくようだった。


平成7年6月8日

夕食後、浩発熱。37度8分。原因は肝臓であろう。また水が溜まってきているのではないかと懸念する。
自分でも分かっている筈だけれど、毎晩ビール3本飲み、私の作った野菜料理にはほとんど手を付けず、チョコレートやヤキソバ、カップヌードル、ジャム付きバターパンなどを食べる。
今日もそうだった。
ビールだけが食事であるかのような食べ方に、苦々しさを感じるが、何も言えない私。
その事に対する腹立ち、苛立ちを起こさないよう、自分をコントロールするのみ。情けない。人の死期は既に決まっているという。酒を飲もうと飲むまいと、関係ないのだから、悩まないで、本人の好きなようにさせてあげれば良いのだという。
肝硬変、腹水、黄疸、肝性昏睡で急遽入院した一碧荘での夜の事を、まざまざと思い出す。


平成7年9月2日

8月29日の夜、会社から「今から帰るよ。」のコール時、「やばいんだ。芋湿布ができるようにしておいてくれ。」の声で、それは始まった。
ガーゼ、油紙、生姜などを買い揃えて帰宅を待つ。
腹水が溜まっているのを、身体で感じたようだ。「臍がつる。」「痛い。」という。
昨日までは、むしろ顔色が良く、皮膚の赤みが減ってきていたのにどうして?会社でのストレス、できるだけ気軽に受け流し、マイナス想念を持たないようにして欲しいと、何度か伝えてみるが、「そんなの無理だよ。」との返事が気になっていた。

臍が飛び出ている。まるで胎児が暴れているように、腹部に硬い塊が動く。
正中線に沿って、山のように腹部が盛り上がってくる。それでもビールを止めない。
芋湿布に焼き塩をのせる。便は少量ずつ、1日に6〜8回くらい出るようだ。夕食前にも食事中にも便が出る。

8月30日、一緒に暮らしている知恵さん、理恵と、1日、ディズニーランドへ行く計画だったのを止めようとしたが、大丈夫だから行っておいでという。
朝7時半、気がかりながら家を出る。どうやら会社を休んだようだ。

9月1日、まだ尿が出ないと言う。はぶ草茶を作る。
夜、瞑想時、浩さんの身体が、元に戻る事を祈る。掌が熱くなり、じりじりと痛感が続く。私に何ができるかわからない。
それに、浩さんが私の手かざしをどのように受け止めてくれるか、不安だったけれど、こんなに掌が熱く燃えているのだから、やってみようと、ベッドでテレビを見ている浩さんの部屋へ行く。ビデオを止めてくれた。
腎臓の背中部分と腹部、約1時間くらい手かざしをして、神に祈った。
「浩さんの、心と身体を癒して下さい。私の掌を伝わり、神の光、愛の波動が浩さんに入っていきます。彼は癒されます。ありがとうございます。」
手かざしを始めてしばらくすると、浩さんの寝息が聞こえ始めた。
身体が緩んできたのだろう、楽になってきたのだろうと思うが、私の掌は熱いまま、ぴりぴりと電気が流れているような感じは続いている。左腕全体に痺れが走る。
目を閉じて手かざしをしているので、良くはわからないが、腹部の腫れが少し柔らかくなり、小さくなってきているように、気配で感じる。

9月2日、朝、「どお?」と聞くと、少し楽になった、痛みがなくなったとのこと。
昼、エッセンシャルオイルを買いに行く。
夜9時、浩さん帰宅。缶ビールと冷奴のみ、他は何も食べてくれない。

オリーブオイルにサイプレス、ローズマリー、ジュニパーを、それぞれ5〜10適混ぜ、マッサージオイルを作り、背中と腹部へのマッサージ。
昨夜よりほんの少し、臍が窪んでいる。
中国福建省の自然塩を入れた精油のお風呂に、腰湯でもいいから入って欲しいと頼むが、眠いから、とベッドへ。

瞑想後、手かざしをするため、浩さんの部屋に入る。ビデオを消してくれない。
画面に背を向けて、心を集中しようとするが、殺し合いの音、画面の揺れ動く光が、嫌でも耳と閉じた目に浸入してくる。
「お願い、ビデオを消して。」と心で念ずるが、伝わらない。集中できない。
私の身体から汗が出てくる。その状態で、何とか1時間、懸命に集中心を高め、手かざしをし、自室で再度、瞑想をする。心の平衡を取り戻す。
私の祈りに合せて、浩さんも心を落ち着かせ、自らの身体と心の再生を祈って欲しかった。虚しかった。残忍に殺し合う画面からの邪波動が、背中から集中心の邪魔をする。
それでも昨夜よりは、祈りに想念を込めることができたと思う。

今朝、彼は鼻血を出した。血小板の数が減ってきている。ティッシュについた血の赤さを、彼はどんな思いで見つめているのだろう。
「今度はダメかな?」とでも思っているのだろうか。
絶対に治る。
その為には、本人が気付かねばならない。
生命に感謝し、神を想い、自らの治癒を信じ、祈る事。
彼の体内を駆け巡るマイナス想念を、プラスに転化する事。
そうしてくれるなら、彼は癒される。
私にできるのは、それを伝える事。
出勤前、「今朝はいつもよりオシッコの量が多かったよ。」の言葉を残す。
今日はどうしても、精油・塩のお風呂に入ってもらおう。
睡眠不足の続くなか、ソファーで「光の手」を読んでいて眠気を感じ、目を閉じた。

目を閉じた途端、視野全体が朱というか赤く染まって、四角な部屋が見え、その部屋の隅に出口が一つ見える。
そこに中世風の巻髪の男二人が外に出ようと立っている。
部屋全体が、右下に向けて45度位傾いた。私の脳に連動する平衡器官がはっきりそれに反応して傾いた。

一体何だろう。このところ、ずっと脳感覚の変化を感じている。
本を読んでいても、テレビを見ていても、じりじりと絞めつけられ、まるで脳が石のように硬くなり、小さく圧縮されたようになる。
呼吸に連動して、掌と足の裏から熱い息が体外に出て行く。腕全体が痺れを感じる。
瞑想中と同じ体感覚が24時間続いている。
身体がとても敏感になっていて、空気の変化にさえ反応する。
散歩の時でも、道の両側に樹木や植物がたくさんあるところになると、空気の濃度というか、粘りと重さが変化するのを感じてしまう。
同時に私の掌は、その波長(波動?エネルギーフィールド?)をキャッチし、ドクンドクンと脈打ちはじめ、痺れ、燃えてくる。
青い空を見上げると、白い小さな粒子がたくさん動き回っているのが見え、全視野の空気濃度が、植物に囲まれている道で感じるのと同じような粒子の流れとなって、その変化を感じてしまう。
いままで、全く意識する事のなかった何もない空間が、この頃は濃密なエネルギーが充満した粒子の場であり、その比重というか動きというか、流れを「見る」ことができるし、「感じる」ことができる。
3月18日からスタートした瞑想習慣、もうすぐ6ヶ月になる。身体に感じる不思議さは、この先どのように変化していくのだろう。

浩さん、相変わらずの不機嫌さで帰宅。
食べられないし、食べてもすぐ排泄するという毎日で、心身共に疲れている。
少し頬がそがれてきた。心の中が気にかかる。
体調が悪いのだから、不機嫌なのもわかるけれど、だからこそ笑って欲しい。
笑いは痛みを減じるし、免疫力を高めてくれる。
生命に、そして病いに感謝して欲しい。
会社や同僚に対するストレスを、まるで食事のように体内につめ込んでいく彼の生活は、あまりにも悲しい。
「もう、会社を辞めていいよ。心を楽にしようよ。生活は何とかなるよ。何とかするよ。お願いだから、不平、不満、苛立ちを止めようよ。明日にも会社、辞めようよ。」
「俺だってそうしたいよ。でも……。」
不平、不満、苛立ちが、大きな大きなストレスとなって、彼の生命を縮めていく。
そのことを、どうすれば理解してもらえるのだろう。

夕食後、ソファーベッドに横になってテレビを見ている時、足が吊った。
体中から脂汗を吹き出して苦しむ姿を、私は悲しく見つめる。
他人を裁かないで!裁くことは、裁かれることと気付いて欲しい。
腹水が溜まり、鼻血が出る、足が吊る、下痢が続く、食べられない・・・・。
これらは、どれも緊急信号ばかり。
ある日、その生命の火が、プッツリと消えてしまう前症状。
無理にでも入院させるべきか。
私の意識は「NO」と答えている。
世間への自己弁護でしかない。
浩さんの身体は、物質科学では癒されないことを、私の本質が知っている。
危機的状況を克服できるのは、彼自身の気付きなのだ。感謝して、プラス発想で、生活を楽しんで欲しい。

夜明け前 第2章

平成7年9月11日

9日、10日と、自覚症状が強くなったようで、やっと病院へ行く気になってくれた。
一人では心細いらしい。
「男なんて、弱い動物なんだ。」とぽつり。
覚悟していた通り、即日入院。
浩さんは、少し楽観的に考えているようだが、私は嫌な予感を振り払う事ができない。
「山手のお母さんに連絡する?」
「いや、しないでいいよ。最悪の事態になった時でいいよ。」

「光の手」、読み終わる。
最近は瞑想中に7つのチャクラ強化のため、第一チャクラから順番に、赤、橙、黄、緑、青、藍、白、と意識しているからだろうか、眠る時、目を閉じると、七色の星が視野全体に広がり、キラキラと瞬き、美しい。


平成7年9月14日

腹水が抜けないばかりでなく、頭痛、発熱のため、浩さんの心は苛立ち、不安、恐怖で波立っている。
担当医からは、何の説明もない。
看護婦に頼んで、医師との面談時間を取ってもらう。
医師に会った途端、立て続けに4度も「覚悟しておいて下さい。」と言われ、それから、吐き捨てるように、
「肝硬変になっていて、酒を飲み続ければどうなるか、本人は知っている筈だ。医者はどうにもできません。癌になっていなかったとしても、胃の周りの静脈が、いつ破れるかわかりません。いつ破れてもおかしくない状態です。今日、起きるかもしれないし、明日かもしれません。その時は死にます。たとえ最良の道を進めたとしても、3ヶ月の入院は覚悟して下さい。また、治るなんて考えないでください。今より悪くならないようにするだけです。肝硬変を治す薬なんてありません。」
怒っているかのよう。
若狭さんが言っていた言葉を思い出す。
「医者はね、患者が嫌いなんだよ。」
一応、検査データのコピーをもらった。本を買って調べてみよう。
わかっている。
浩さんも、私も、わかっている。
前回の入院時も、覚悟してくれと言われたが、今回は、医師から言われるまでもなく、覚悟している。
彼の顔つき、皮膚の変化が、否応なく事態の深刻さを教えてくれる。
覚悟はしていても、一人になった時、涙が出る。


9月9日、雨宮さんに私の潜在能を通して、浩さんの身体状況を見てもらった時、
「残念ですが、ご主人は僕の力では治りません。過去生で殺人のような大きなカルマを背負っています。魔神クラスのとてつもなく大きな呪い、悪霊が10人は憑いています。ご主人の霊性ステージがもう少し高ければ治せますが、ステージがまだ低いところにいらっしゃいます。
肉体的に救う事ができないとしても、霊性を救う事はできます。一緒にやりましょう。このままの魂で死ぬと、霊界にさえ入れない可能性があります。別の世界に入ってしまいます。せめて、魂の浄化だけはしてあげましょう。」
「貴方の霊性は、さらに上がっていますね。以前、僕が憑けてあげた5人の神様は、それ以上のランクの守護神が憑いたので、既に去っています。
貴方は過去生で随分がんばってきたようですね。すごいパワーがある。必ず貴方は能力を開花できるでしょう。
今、高次元への進化のため、身体の変化がどんどん進んでいますので、小さなトラブル、例えば、物を落とす、階段から落ちる、転ぶなどの事が続きますので、注意して下さい。」


医師との面談後、浩さんの視線が痛い。
私の表情から、彼は答えを読み取ろうとしている。
貴方は気が弱い。以前、二人で話し合ったことがある。
私が不治の病いにかかった時は、絶対に本当のことを伝えて欲しい。病いの正体を知らずに、ある日突然逝くことほど、辛いことはない。
助からないとしても、私は病いと正面から向き合い、自分なりの人生の終焉を納得して逝きたいし、生きてきた人生の全てを肯定し、感謝の心で旅立ちたい。
貴方の場合はどうすると聞いた時、
「その時になってみなければわからないよ。俺は君ほど強くないよ。」
と言った夫の言葉を心の中で反芻する。

「光の手」に書いてあったチャクラのキレート療法をやってみた。
とても気持ちが良いと言う。
特に最後の仕上げとして、身体から50〜60cm上に、両掌を下向きに掲げ、頭から爪先までオーラフィールドを形作る気持ちで掌を動かしている時、彼の胸の上で、両掌の中心部に他の場所とは異なる感覚があった。
浩さんの身体から放射される熱感が、胸の上では更に強くなるので、しばらく胸の上に掌を止め、神の生命エネルギーがより多く流れ込むよう意識した。
「神よ、私の掌を通じて貴方の生命エネルギーを浩さんに流します。私は神の意志に従います。私の心と魂は、貴方に委ねます。私は神の存在を信じます。神が私の掌を通して、浩さんを癒していくのを信じます。」
心に念じながら、初めてのチャクラキレート療法とオーラヒーリングを自己流ながらやってみた。
後で「どうだった?何か感じられた?」と聞いてみると、私の両掌が頭からみぞおち辺りに来た時、その辺一帯にホワッと温かさが広がり、とても良い気持ちになったと言う。


平成7年9月15日

敬老の日。品川へ出かける。「波動のシルバー革命」の講演会。塩谷式「正心調息法」を教わる。
現在、93歳の塩谷先生の話に涙が出た。
これだ!これなら浩さんも、自らの身体のために実行できるし、私も毎日の瞑想時、浩さんが治る想念を入れて実行できる。この方法で浩さんの死神を退散させられるという確信に近いものを感じた。
信じよう、自分の内なる神性を。
私はヒーラーになってみせる。浩さんの生命を救ってみせる。
医師が見放し、雨宮さんも無理だと言った彼の生命。絶対に治してみせる。
ありがとうございます。塩谷先生、やってみます。やり抜いてみます。
今まであったどの人に対するより、今日の、この強烈な波動は何だろう。
自然に涙が出てきた。本当にありがとうございます。
理由は分かりませんが、私は「できる」ことを感じました。
塩谷先生の93年にわたる生命と、研究、実践活動があればこその感動です。
先生との出逢いを、神に深く感謝します。何度でも伝えたい、ありがとうの言葉。
心が震えてハイになっている自分を感じます。
家に帰って、早速、知恵さん、理恵さんに、学んだばかりの正心調息法の意味と方法を教える。
まるで酔っ払っているかのように、私の声は大きく、ウキウキしています。
エンドルフィンが分泌されているのでしょうか?講習会場でやった通り、帰りの電車の中でも、ワンクール実施。
浩さんが治ったという想念と、その至上の喜びをイメージし続けています。やり抜きます。浩さんのヒーラーになってみせます。そして、浩さんを今までの仕事から解放させてあげます。
彼が心より「やりたい」と思うことを、それがどんなことであってもやらせてあげます。彼の魂が至福体験できるようにしてあげることが、私の役割なのだと、今日、心の奥深い部分で知りました。ありがとうございます。


平成7年9月21日

彼の血液検査の結果は冷酷そのもの。
GOT259(基準値10〜40)GPT98(基準値4〜50)LDH593(基準値290〜540)ALP598(基準値110〜350)ガンマーGTP402(基準値80以下)。
浩さんの体調はサイコロの目のようにクルクル変わる。

19日はとても上機嫌で調子がよさそうだった。
喫煙所へ行く廊下で私の肩に手を回し、照れていた。
便がやっと止まったということで安堵したのだろう。
ところが、20日は頭痛と微熱で不機嫌。心なし、彼の白目が黄色っぽく感じた。
黄疸だろうかとの思いを打ち消してみたが、今日ははっきりと黄疸だとわかる。
熱が38度に上がり、肝臓が痛み始めている様子。
やっと食事を取れるようになった矢先だったのに、今日は何も受け付けない

「医師から胆管炎になっているようだと言われた。」と報告を受ける。
医師に会う。
「はっきりとしてはいないが、おそらく癌です。それも、癌の部分がかなり大きい。」
「手術をする事になりますか?」
「いや、もう少し時間をください。もう少し調べてから結論を出します。」
「主人から胆管炎らしいと言われましたが…。」
「…ご主人には何も言わないでください。いいですね。言ってはダメですよ!」
最初感じた不吉な予感、このまま家に帰れないという思いが顔を持ち上げてくる。
黄疸、昏睡……。
最悪のシナリオが消しても消しても現われてくる。
そんな筈はない。私の思い過ごしだ。彼は救われる。救ってみせる。何度も自分の心に訴えかける。
彼は回復して、仕事を辞め、好きな生き方をさせてあげる。
心よりお互いを理解し合える生活をする。生活費は私がケアーする。
そんなイメージを、私と浩さん両方の潜在意識へ植え込む努力をしてきたが、悪魔のシナリオは嘲笑うかのように、強引に私の意識に忍び込んでくる。
遠くないその日が、確実に近づいているのを私の身体がキャッチしてしまう。
手術は行われないだろう。
なぜか私にはわかる。考えるのを止めよう。
たとえ、どんなに悪魔のシナリオが現われようとも、私はイメージを重ねていこう。
クロ(娘が拾ってきた猫)が約10日ぶりで、今日帰ってきた。
3日間連続でクロが帰ってくる夢を見た。
そして、そのとおりになった。


平成7年9月22日

今日も38度の熱で肩の筋肉がパンパンに張り、左手が吊ったらしい。
夕方5時半頃、病室へ入っていくと、お手伝いの人から「お宅の旦那、今日、脂汗を出して大変だったんだよ。」と伝えられる。
認めたくない状況が、ジワジワとその輪を縮めて迫ってくる。
今にも牙をむき出して、浩さんの生命を喰いつくしにやってくるのでは、との胸騒ぎから、私は病院へ出向いたのだ。
今日は来れないからと伝えてあったので、浩さん、私の姿を見て驚いている。
まるで小学校から帰ってきたやんちゃ坊主が、その日一日、学校であった出来事を一気に母親に話すように、今日の発熱との闘いの一部始終を話し続ける。
「なぜ、熱が出るのか教えてくれないから、不安になるんだ。手が吊るのは肝臓が悪化してるからだ。」
と訴える。
そして、すがる目……。
答えられない質問に、私は吊ったというその左手のマッサージをすることで、その視線と質問から逃げる。

夕食は、家から持ってきたすりおろしとろろのみで終る。
洗面器に湯を入れ、自然塩を溶かし、彼の両足をその中に浸ける。
足裏全体をふやかし、軽石で硬くなった角質を取り去る。
丹念に足裏全体を塩でマッサージする。
足の裏には全ての臓器のツボがある。特に肝臓の反射面に塩をたっぷり擦り込む。
彼の額から汗が滲み出る。
彼の質問は恐いけれど、彼の姿を見ないのはもっと恐い。
一日一日が崖っぷち。目を離すと、奈落の底へ落ちて行きそうで不安。
どんなに心で、絶対に大丈夫、と繰り返してみても、私の身体は危機を知っている。
断末魔の叫びが聞こえてくる。
どうしても叶わぬ願いなら、せめて彼を苦しめないで欲しいと強く願う。
癌の痛みは耐えられない激痛であると本にも書かれているし、話しにも聞いている。
その業火に向かって、一日一日、彼が進んでいる気がして、昨夜、眠ることができなかった。その時、私はいかなる道を選ぶべきか。
不安は、次なる大きな不安を生むだけだから、今日だけを見つめようと、虚しい言葉を一人、胸に刻む。
真実は、今、この瞬間だけ。
だから、今を大切に生きよう。
人は誰でもいずれ死ぬ。
早いか、遅いかだけのこと。
私にもその日は確実にやってくる。
死は、むしろ誕生だと書いてあった。
祝福すべき本当の人生に戻る誕生の日。
苦しみのない、至福に入る旅立ちと書かれている。
私は、そのことを頭では信じ始めている。いや、信じようと決めている。
それでも、せめて後5年、待ってもらえませんかと切なく神に語りかける。


平成7年9月24日

浩さんが入院してから、この所ずっと不思議な夢を見続けている。
最初の夢は、どうやら私自身の浄化のようだった。
象の鼻が、滑り台のような形で目の前に現われて、誕生以来、出会ってきた多くの人達が、その鼻先の上に一人ずつ座る。
その人達一人一人に、私は深く頭を下げ、これまでの非礼を詫びる。
「本当に、申し訳ありません。どうぞ、お許し下さい。」
私の言葉が終ると、象の鼻が高々と掲げられ、その人の身体は細かい粒子に分解され、消えていき、次の人の身体が象の鼻に座る。
同じ事が次々と繰り返されていき、目が覚めた。

次に見た夢はヒーリングのトレーニングを受けている。
ヒーリング手法の一つ一つは覚えていないが、ヒーラーになるための授業を受けていた。
そして、その後見た夢は、ほこり臭いボロボロの長屋で、私は懸命に誰かのヒーリングをしている。
ヒーリングに集中しようとするのだが、邪魔が次々に入ってきて集中できない。
私のエネルギーが、どんどん消耗していく。
「お願い、誰か助けて!」救いを求める。
すると、導師が現われ、私の背後からエネルギーを送ってくれる。
ありがとうございます。
心から、姿は見えないその導師に感謝して、私はヒーリングを続行する。

今日(24日)、久しぶりに夢日記を清書していてドキッとした。
9月13日に見た夢が、今日の出来事とオーバーラップしている。
夢記録はぼんやりとした頭で、夢遊病者のようにめちゃめちゃの走り書き。
後から読んでみても、自分の書いた文字なのに、読めない箇所もあるくらいの乱雑さだし、書いた端から忘れていく。
何日分か溜まったら清書していた。


浩さんの病いは日を追って悪化していく。
朝夕の瞑想時、彼の治癒を祈る。チャクラヒーリングキレート療法の真似事。
本当に効果があるのかという焦り。
でも、やらないではいられない。
病院は、古く、狭く、騒々しい。
前回の入院時は、静かだし、清潔感のある病院だった。
個室に入ってもらったのだけど、今回はとても経済的なゆとりがなく、大部屋で我慢してもらっている。
前回は個室入院で、一ヶ月の費用100万円を支払ったが、今の私にはその費用に耐える力がない。「ごめんね、浩さん。」と心で詫びる。

それにしても、空気が澱んでいるし、色彩が暗い、部屋が狭い、患者同士の諍いが絶えない、看護婦さん達のレベルも低い。
病気と闘う前に、この騒々しい環境に疲れ果ててしまいそう。
「せめて、この環境ストレスを、何とか解決してあげることはできないのか。」と、口にできない悲しみを神に託す。
今日も、相変わらずの騒々しさで、ヒーリングに集中するのに時間がかかる。

洗面器に作った塩湯で足浴。
その後、足裏へ塩の擦り込みマッサージ。
そして、チャクラヒーリング、キレート療法、オーラヒーリング、祈りの順でやっていく。
スタートして20分〜30分たった頃から、彼は気持ちの良い寝息をたて始め、鼾まで聞こえ始める。
眠っている。
それまで、苦しそうに歪んでいた浩さんの顔が、緩んでいる。
目を閉じているから、私には見えていないが、熟睡しているのが、彼の呼吸音でわかる。

彼の肝臓の上、30cm位の所に両掌をかざし、私の全チャクラから掌を通して、
宇宙の無限なる生命エネルギーを注ぎこみ、私と浩さんのオーラが合体し、大きく黄金色に輝く光景をイメージする。
私の掌は、下から突き上げてくる熱感と、痛感で疼いている。
一連のヒーリングを終え、両掌を合わせ、神への感謝をし、目を開ける。
すると、同時に、浩さんの深い落ち着いた寝息が止まり、彼も目を開ける。
「ああ、眠っていたんだ。」と独り言。
それが何かは分からないが、ヒーリング中、彼の身体は何かを受け止めている。


9月13日の夢の中で、私のヒーリングを邪魔する力は、この病院のざわめき、同室の患者から浴びる視線。
おんぼろ長屋は、この病院の事ではないだろうか。
「私は勝つだろう。自分を信頼することで乗り切っていく。」
これは、夢の中で私が語った言葉。
そして、ヒーリング中に、今日、実際に心に繰り返した言葉。


「私の内なる神の分身よ、宇宙に充満する生命エネルギーを、私の身体を通して、浩さんに注ぎ込みます。
彼の体内に入った神のエネルギーは、細胞を元気一杯にし、全身を駆け巡ります。
全細胞が、本来の力を取り戻します。
肝臓に巣喰う癌細胞が、消滅していきます。
私の一部である神の力が存分に開花していきます。
神のエネルギーは愛の力。愛の力は必ず彼の身体を癒します。
私は自分を神の意志に委ねます。私の心と魂を、神に捧げます。
私は人生で最上のものを受け取ります。
私は人生で最上の目的、神の意志に仕えます。私は神をはっきりと感じます。
神の存在を心より信じます。神よ、ありがとうございます。深く感謝します。
神の愛の力で浩さんは回復します。」

私は、自分が神の分身であることを強く信じていく。
神の分身であるからこそ、神の力、ヒーリングエネルギーを自分のものとする事ができる。
それを信じなければ、自分を信じなければ、ただの真似事。お遊びで終ってしまう。
黄疸が、目だけでなく、皮膚にも広がっており、今日の彼の顔には、死相のごときものが感じられた。
悪霊か、病魔か、癌細胞か知らぬが、私は闘う。
「私は勝つだろう。」という夢の言葉を、神のメッセージとして奇跡を起こそう。

夜明け前 第3章

平成7年9月26日

浩さんの転院が明後日と決定した。
亀有にある東部地域病院への移動を医師より聞かされる。

「この病院には充分な検査設備もないし、肝臓の専門家がいない。亀有には専門の医師チームがそろっているし、設備も良いのでそちらへ移って欲しい。
しかし、亀有にいったところで何らかの効果が出るなどと、期待しないで下さい。
何もできないことも予測されます。
あまりにも癌が大きすぎるし、肝臓の表面全体に及んでいるので、いつ破裂するかとても危険な状態です。
手術は、もちろん既に不可能ですし、抗癌治療もできるかどうか不明です。
データと紹介状を送ります。あちらでは、まず、血管造影などの検査から入るでしょうが、治療手段が既にないとなったら、また、この病院へ戻されることになります。
あちらは治療方針を決定することが主な目的です。」
「積極的な治療ができないのなら、家に連れて帰りたいのですが。」
「今は無理です。アンモニアが体内に非常に多く、それを排出しなければ肝性昏睡になって、お終いです。
昏睡状態で再入院しても打つ手はないし、家に連れて帰るとそれを早めるだけです。」
「食事療法をメインとして癌の治療をされている病院もあると本で読んだのですが。例えば、海外などではマックス・ゲルソン療法で、良い結果が出ているとも聞き及んでおります。そのような病院へは?」
「そんなの大嘘です。医学でそんなことは認められていません。何で玄米で癌が治りますか。問題外です。」
「それでは病院では、ただ単に死ぬ日が来るのを待つということですか。どんな治療をするのですか。」
「対症療法しかないでしょう。癌そのものを治すことは、医学ではできません。
くれぐれもあちらの病院へいったら、良い結果になるなどと期待しないで下さい。
あちらの先生から家族の方とトラブルを持ちたくないので、その件を良く話しておいて欲しいと言われています。それにしても、病院に来るのが遅すぎますよ。
4年前に発病したとき、既に癌はできていた筈です。その病院で見過ごしてしまったんですね。あまりにも癌が大きすぎます。2〜3年でこんなに大きくなる筈がありません。
今では遅すぎます。
それにしても、入院する前日まで仕事に行っていたなんて、信じられません。
あんな身体で仕事をし続けていたということに驚きますし、本当にそのことに対しては敬服しますよ。」

医師は見事に患者を投げ出した。そして責任追及の道も封じ込めた。
「ありがとうございました。」
とても丁寧な、そして冷たい説明で、医療は幻想でしかないということを再認識することができました。

転院しよう。
浩さんもここの病院、および、医師に対し、不信感を持ち苛立っている。
次なる肝臓専門チームが何をやってくれるか見てみよう。私独自のヒーリングは続行する。
家に連れて帰れる段階まで、毎日病院でこっそりと、そして一心に、神との会話をトライしながら、ヒーリングをやり続けよう。
ひいきめかもしれないが、ヒーリング中、彼は必ずぐっすりと熟睡している。
今日も「眠れない。痛い。」と苦しがっていたが、私のヒーリングが始まるとすぐにスースーと穏やかな寝息をたて始めた。
約1時間後、合掌して、ヒーリングを終了すると、昨日同様、その目をパチッという音が聞こえるほどはっきりと開け、「眠っていたのか。」と言う。
私の都合の良い思い込みだけではない筈だ。
何かが、私の身体から浩さんの身体に流れている。浩さんの身体に安らぎを与えている。脳波の同調が起きている。
本によると、この時、自律神経系統が調節され、免疫機能を高める。
そして、自然治癒力が強化される筈である。
それを信じよう。

「私は勝つだろう。自分を信頼することで乗り切っていく。」

今日も昨日同様、少し元気だった。夕食を少しだけだけれど、食べてくれた。
二日間、体調が良さそうな日が続いたのは、入院して以来初めてのことだ。
医師にそのことも告げてみたが、
「昨夜と今朝、鼻血が出ています。多少の違いがあるように見えても、変化はありません。
むしろ、入院時より悪化してきています。」

そうです。私は医師の最後の言葉―入院時より悪化してきています―を強く感じています。
入院してから急激に浩さんの身体は、1日1日と悪くなりました。
医師の庇護下に入ったという彼の安心感、気の弛みからでしょうか、入院したその日から急斜面を転がり落ちていくようです。
そこに私は「意志」「気力」「意識」の意味を再度受け止めていました。
だからこそ、私は闘います。
自分自身と、そして浩さんの「自分で治すんだ。」という強い意志力を呼び起こすこと。
私は勝つ。私の体内に在る神と合一し、奇跡を起こす。
私は信じる。自分の内に在る神を信頼し、ヒーリングを毎日続けていく。


平成7年9月27日

今朝、本谷氏に転院の件、電話で伝える。
先日、見舞に来られたとき、私の話す神の存在、人間の持つ不思議な力、目に見えない諸々の存在について、彼は同意して下さった。
今日、「僕は信じるよ。あなたのヒーリングの力を信じる。だから、やり続けなさい。何かが起きるかもしれない。あなたにはその力がありそうな気がするよ。」との言葉を頂く。

明日、転院のため、散髪の外出許可がおりる。
凄い顔つきの浩さん。入院してから今日までの自分の苦しみは何だったんだ。専門の医者がいないのなら、もっと早く転院させるべきじゃないか。何もしないで、ただ苦しませて、一層体調を悪くさせて、追い出すのかと、不平、不満、怒りを鎮めることができない様子。やせ細り、辛さ、恨みのせいだろうか、身体中から鋭い針を突き出し、触れるもの全てを傷つけてやるといった感じの硬さがある。
散髪後、病院へ帰ろうとすると、「イ・ヤ・ダ!」と言う。鮨を食べると言い張る。
夕食用に作った玄米粥にすりごまを混ぜたものと、梅干しを持ってきている。
「病院へ帰ろうよ。私の愛が山盛りいっぱいの、玄米粥を作って持ってきたんだよ。食べてみたけど、とっても美味しいよ。」
「イラナイ!!」
まるで反吐が出ると言わんばかりに顔を歪め、そっぽを向く。
一生懸命、あなたの身体の回復を願い作ってきたのに、その態度はないでしょうと一瞬ムッとはしたものの、もしかしたらこれが最後の外食になるのかもしれない。
明日、生命の火が消えても、誰を責めることもできない状態だから、そんなに鮨が食べたいなら食べさせてあげようと思い直し、途中の鮨処に入る。
ネタが少なく、残念ながら美味しくない。
それでも浩さん、卵焼き、カンパチ、アジ、カニなどを食べる。
病院に戻るとすぐに点滴が始まる。
塩の擦り込みから始まる私のヒーリングセッション、1時間半。
肝臓の大部分を喰い荒らしている癌細胞が消え、自然治癒力の働きにより、肝細胞の新生をイメージして神の寛大なる愛の光を希う。

『母なる地球の底の底、何億年にもわたり真っ赤に燃え続けるマグマがある。
その猛々しいマグマの生命力が、私の身体を通して浩さんの体内に注ぎ込む。
浩さんの体内は、神の寛大なる愛の光でいっぱいに満たされる。
その神の光に触れて、全ての細胞が甦り、本来の機能を取り戻す。
全ての臓器が甦り、本来の機能を取り戻す。
全細胞、全器官が一体となり、チームを作り、浩さんの身体の修復がダイナミックに始まった。
異物を取り囲み、体外排出するチーム、新しい細胞を新生するチーム、見事な調和でその仕事が続けられ、自然治癒力の歌が響き渡る。
神よ、感謝いたします。肝臓に巣喰う癌細胞が小さく小さくなっていきました。
そして、全て消え去りました。
新しい肝細胞がどんどん作られ、肝臓が甦りました。
ありがとうございます。浩さんの肉体が甦りました。生命の火が赤々と燃え立っています。
そして、魂さえも浄化され、過去の業が洗い清められました。
魂の進化が、今始まりました。
神よ、あなたの寛大なる愛の意志に心より感謝いたします。』

このメッセージを、右足裏を右掌で包み、左掌で右足首をつかみ、一心に念じます。
次に足首に右掌を、足の付け根、リンパ節部分に左掌を置き、同じメッセージを心に繰り返す。
右掌をリンパ節に、左掌を第二チャクラに、そこまで終ると、次は左足に移り、同じことを繰り返す。
両足が終ると、右掌を第二チャクラに、左掌を第三チャクラに、右掌を第三チャクラに、左掌を第四チャクラへと順次、第七チャクラまで繰り返し、最後は第七チャクラ(頭頂)に両掌をのせ、繰り返す。
全部で12回、私は祈りのメッセージを繰り返す。
大抵、この頃までに彼はぐっすりと眠りに入っている。

第一段階が塩湯での足浴と足裏への塩マッサージ。
第二段階がチャクラへのヒーリング。
そして、第三段階として、両掌を下に向け、浩さんの頭の部分から胸の方へと、順次チャクラを意識しながら、オーラヒーリングに入っていく。
両掌は浩さんの身体から30cm〜40cm上に掲げる。
この時、私の両掌中央部は、彼の身体から突き上げてくる熱線にジリジリと焼かれる。
足裏へもその熱線は広がり、私の全身が焼かれている感覚に襲われる。
体内にムア〜ッとした炎を感じ、汗がにじむ。
体表面のあちこちに、針で刺されるような痛感が走り、腕全体には痺れが断続的に走る。

『私の第一チャクラから赤い光が地表に伸びていく。
その赤い光は地中に入り、マグマに行き着く。
母なる地球の、熱く、赤い生命力を吸い上げて、私の身体を通し、浩さんの身体は赤い赤いオーラで包まれる。
私の身体の第二チャクラ、そこから橙の光が流れ出る。
橙の光が浩さんの身体を包みこむ。第三チャクラの黄の光、私の第三チャクラから流れ出て、浩さんの身体全体を包みこむ。
私の第四チャクラから、愛の光、緑の光が、鮮やかに流れ出て、浩さんの身体を包みこむ。
第五チャクラからの青い光、青い光が浩さんの身体を包みこむ。(この辺りから私の身体は全身痺れ感に包まれ、身体から何かがはみ出して行き、頭蓋骨の境界線がなくなり、皮膚感覚も消え失せ、自分の身体と空間が溶け合う。空間と私が融合し、一体となる。)
第六チャクラからの藍の光、私の身体から流れ出て浩さんの身体を包みこむ。第七チャクラの白い光、大きく大きく広がって、浩さんの身体を包みこむ。(この時には、頭頂から足元にかけて円柱形の白い光が、私の身体の中心を貫いている。)
神よ、感謝します。
浩さんの全身は、七つのオーラ全てに包まれ、守られています。
私の身体から発する七つのオーラが、浩さんのオーラと合体し、一つの大きな光となり、私と浩さんの身体をすっぽりと包み込んでいます。
私達は、一つの大きな光となり、ピラミッドの内部で祈ります。
そのピラミッドの上方に、金色に輝くもう一つのピラミッドが見えます。
その黄金の光り輝くピラミッドが、静かに私達のいるピラミッドの方へ降りてきます。
今、二つのピラミッドは重なりました。
私達は、光り輝くまばゆいばかりのピラミッドの内部で、神の愛を受け、癒されていきます。寛大なる愛の光に感謝します。
私は神の意志に従います。私の心と魂は神に委ねます。
私は人生で最上の悦びを受け取ります。
私は人生で最上の目的、神の意志をやり遂げます。私は心の底より神の存在を信じます。』

両掌を合わせ、合掌。
神の寛大なる愛の意志に、深く深く感謝します。
何冊かの本を読んでの自己流ヒーリングセッションがこれで終ります。
毎回、合掌して目を開けると、浩さんも穏やかに目を覚まします。
これで良いのか悪いのか、尋ね、教えを請う人とてなく、ただ毎回、浩さんの身体に、微かながら良い変化が感じられます。
間違っていようとも、これでいいんだと、自分を励ますのみ。

今日は、とっても疲れました。
夢で見たあのエネルギーの枯渇状態そのままです。
塩湯に入ってエネルギー充電をしなくてはと思いつつも、足が風呂場まで進みません。
ともかく、横になりたい。眠りたい。
でも理恵の受験勉強をスタートさせたばかりなので、何とか午前1時まで付き合う。
もう駄目。寝ちゃおうとベッドへ。
眠りたい、眠りたい、眠りたい・・・・・。
よ〜し、もうやっちゃおう。
起き出して、正心調息法「浩さんの身体から癌が消えた。」のメッセージを25回繰り返し、瞑想。
結局、眠るのは午前3時になる。今、とても大切なとき。ちょっとの油断が命取り。
後で悔やむより、今の辛さを耐える方がマシ。
浩さんの生命力を取り戻すことが第一優先でやり抜こう。


平成7年9月28日

退院手続きを済ませ、タクシーで転院先の東部地域病院へ行く。
今までの病院とは打って変わって、明るい光が溢れている。
嬉しくなった。テレビや映画に登場してくるサナトリウムの感じ。
どこもスペースがたっぷりとってあり、歩いている人の数が少ない。
病院からの紹介状がなければ診てもらえないと聞く。
地域で手に余る病人のみを送り込み、医療の方針を決定する場所で、最高の頭脳集団を医師として抱えているという説明を受けてきたけれど、そんなことより、私にはあのごみごみとした喧騒の場から抜け出せたことが、何より嬉しかった。
看護婦さん達も教育が行き届いている感じ。
案内された病室は、ナースステーションの隣。
二人部屋のようだが、ベッドは一台。
窓は大きく、光が踊っている。広く、明るく、清潔。
何とか環境の良い個室に入れてあげたいとの想いが通じたのか、この部屋は私の想いを上回る安らぎの部屋。
だけれど、ここは明らかに緊急患者用病室でもある。
病院の素晴らしさ(?)にウキウキする心と、「やっぱり・・・」と重くふさがる心。
ここが浩さんの死に場所なの?

担当医師に呼ばれる。
若く、知的で凛とした自信に満ちている医師の言葉は、簡潔で短い。
断層写真を全て見せられ、死の宣告。

「既に肝臓の大部分は癌に犯され、表皮をも破壊して癌細胞は飛び出しています。
手術して切り取るという第一の方法は不可。
第二の方法は造影剤を入れ、肝臓に血液を送り込む血管に詰め物をして、癌細胞への血液供給を止め、同時に抗癌剤のみを注入する方法がありますが、その為には残りの肝細胞が生命維持できるだけの力が必要です。
ご主人の場合、その残りの肝細胞も既に肝硬変となっているので、肝機能が期待できません。肝不全となり死を迎えます。ですから第二の方法も不可です。
第三の方法は末期治療です。
栄養を点滴で与え続け、痛み止めでその時が来るのを待つ。
この第三の方法しかないでしょう。
一つだけ検査をしてみますが、2〜3日で決定となります。
今週中に結論が出ますので、元の病院へ戻ってもらうことになります。
この病院に居続けることはできません。
アメリカのように死を迎える心の準備をするホスピスのシステムが日本にはありません。今日にもその時が来るかもしれませんが、念のためお伝えします。
僕は尊厳死を大切にしています。
呼吸が止まりましたら、その時点ですべての医療を中止します。
いたずらにに管をつけて延命させるより、人間として人間らしく旅立たせたいと考えています。
冷たいようですが、呼吸の停止が起きた場合、そのままとしますので、前もってご承知おき下さい。
それと、これも僕の考え方ですが、患者には告知した方が良いと思っています。
但し、これはご家族が考えることです。ご自分で良く考えて、後悔のないようにして下さい。
既に何人もの患者とご家族を見てきましたが、どちらかというと、告知しない方が良かったというケースの方が多いように思われます。
僕は今日、初めて患者さんと逢ったばかりですから、ご主人に伝えるべきかどうかわかりません。あなたが決めて下さい。
ご家族、ご親戚にはすぐに話した方が良いでしょう。
あなたにはその時居てもらいたいので、病院に泊まってもらうことになるでしょう。」

感情を出すことなく、必要な事項を必要なだけテキパキと語る医師の姿から、全く希望のないこと、そして浩さんの生命は長くてもここ数日間しかないことを知らされる。

わかっていた。
私の身体は医師から念を押されるまでもなく、9月11日入院したその日、「浩さんの生命は1ヶ月」というメッセージを受けていた。
なぜあの時1ヶ月と感じたのかわからない。
誰から言われた訳でもないのに、「浩さんの生命はあと1ヶ月」の意識が唐突に私の身体に刻印されたのだ。
ただ、その意識を否定し続けてきた。
形のない澱のような、暗い意識雲、悪魔のように赤い舌を出す。心の動揺を無理にも押え込む。

「全く医療の余地がなく、ただ死ぬのを待つだけでしたら、元の病院へ返したくありません。家に連れて帰ります。」
「その方が良いと、僕も思います。家族と共に、家族に囲まれて旅立たせてあげることがベストですが、問題があります。
栄養剤を入れ続けねばならないことと痛みの問題です。素人では不可能でしょう。
それに、家族の苦しみは大変ですよ。
それでも覚悟して自宅ケアーをあなたがやると決めるなら、ケースワーカーを探してみても良いですが、日本にはほとんどそのシステムはありません。」
「その時は是非お願いします。辛くとも私は家に連れて帰ることを選びます。」

泣くまいと心を目一杯引き締めていても、勝手に涙が出る。喉が詰まる。
医師に少し感情が湧いてきたのか、最後に彼は希望を遠慮がちながら口にした。

「万に一つの希望、可能性はご主人の自然治癒力が活動を始めることです。ほとんどそれはありえませんが、全く希望がないということでもない。万に一つですがね。」

私はその万に一つの可能性を信じ、入院以来ずっとその道を模索しています。
それを実行するのみです。

医師との会話が終っても、私は隣の病室へ入れない。
気持ちを入れ替えねば入れない。
トイレへ行く。顔を洗い、鏡とニラメッコ。
笑ってみたり、髪を指で何度も撫で付ける。
明るい表情ができるまで、自分に微笑を送り続ける。
両手で頬をポンポンと叩き、「よ〜し。私は元気だ。」と弾みをつけ病室へ。

浩さんの顔といわず、身体全体から死の臭い、死の姿がかいま見える。
転院という行動が、彼の体力を消耗させている。
顔色はどす黒く、くっきりと黄疸が出ていて、目も真っ黄色、最悪の段階に来ていることが、どんなに否定しても、その身体全体で語ってくる。
本人は切れば治ると思っている。

この場に居ることに耐えられず、
「今日はどうしても行かなければいけない所があるので、これで帰るね。明日は理恵の高校説明会が夕方まであるから、夜来るね。」
と転院の手伝いのためついてきてくれた知恵さんを急かして病室を後にする。
もっといて欲しいという彼の表情に目を背け、まるで能天気のお気軽女房然として外へ出る。

亀有駅前の喫茶店に入る。
知恵さんも私も病室を出てから口を開かない、開けない。
言葉を発すると、私は自分をコントロールできないだろう。
彼女は黙って私の心の準備が整うのを待ってくれている。
「あ、の、ね。」鼻が詰まる。喉が詰まる。
それでも自分の感情を殺し、殺し、詰まりながらも一部始終を話す。
涙が静かに頬を伝い続ける。
知恵さんも目を真っ赤にして声を殺し、共に二人で泣き続ける。
今夜はどうしても山手の母と毅司に電話しなければいけない。
毅司には明日か明後日の飛行機を取らせよう。
山手の母は明日来るだろうか。
「お袋に知らせるのは最後の最後、最悪のときでいいよ。」と言った浩さん。
お母さんが来たら自分の状況を知ってしまう。修羅場が強引に脳裏を焼き尽くす。
今夜にも病院から「すぐ来て下さい。」の電話が入るかもしれない。
母に何と切り出そう。体内に不気味な暗雲が渦を巻き、広がっていく。
知恵さんにも覚悟してもらって協力を頼む。

私にできることは他にないのか、心を落ち着かせて考える。
そうだ、津留さんに会おう。

「病気はほとんど、悪霊のせいだよ。K・Kならその悪霊を吸い取ってくれるから、病気なんか治っちゃうよ。」との津留さんの言葉が心に反響した。
何でもやってみよう。
どうしても近藤さんに連絡を取り、万に一つの可能性をやってみよう。
元の病院ではあまりに狭くて駄目だったけど、幸いなことに今日から病室は広く、そして個室になっている。隣はナースステーションだけれど、何とかなるだろう。
まるで願ったり叶ったりの病室だ。
近藤さんの神霊治療、私の夢に現われた導師は誰なのか、今もって不明だが、私の導師が居る筈だ。
近藤さんに会おう。
知恵さんと別れ、私はそのまま九段下の事務所に向かう。
電車の中、涙が止まらない。
両目にアイマスクのようにハンカチをあてがい、心の動揺を押し隠す。

九段下の事務所には山口さんと先日会った神社の波動調整をするという持丸青年がいた。来意を告げると近藤さんは今、連絡がつかないという。
「僕がやります。僕にやらせて下さい。僕、行きます。」
唐突な声。
持丸青年が「さあ、どこですか。今からすぐ病院へ行きましょう。神が僕にやれと言っています。」
変な言い方だけれど、「あなたもできるのですか?」とおずおずと聞いてしまった。
「近藤さんの方が格が上だけれど、神事はすべて二人で一緒にやっていますから。」と山口さん。
何ともはっきりしないが、「僕、最近ヒーリングパワーが上がりましたから、大丈夫です。任して下さい。シヴァ神を先日ヒーリングしましたよ。僕、病気治しが大好きなんです!」やたら元気で、軽くて、明るい少年のような青年を見つめる。
「近藤さんじゃなく、今日、この場に僕がいるというのは、僕の仕事だということなんです。神が僕に与えた仕事ですから、大丈夫です。近藤さんでなければならないとしたら、今日、この場に神は僕を呼ばなかった筈です。」

何とも言いようのないシナリオになってきたが、屈託のない威勢良さに引きずられるようにタクシーに乗りこみ、つい先程出てきたばかりの病室へ戻ることとなった。
車中、青年は自己の波動を上げるべく瞑想を始めた。私も瞑想に入る。
彼の波動が私に伝わってくる。
最近、神社などへ行くと、掌に波動を感じたりしていたが、それよりも遥かに強く、私の身体全体が大きく彼の波動に包まれる。
浩さんにこの青年のことを何と説明しよう。
もし、看護婦さんが来たらどう言おう・・・・。
ともかく、流れに任せよう。今は何も考えまい。

病室に入る。
「今日は。僕、持丸という者です。」
深々と頭を下げて元気良く自己紹介する青年は、たったそれだけを快活
に言うと、すぐにヒーリングに入っていった。
きょとんとしている浩さんに、私は何の説明もしなかった。
説明をしなかったというより、持丸さんの動きがすぐに始まったので、
何も言えなかった。
浩さんは不思議そうに、時々目を開けて彼の動きを見たり、
眠ったりで、一言も言葉を出さなかった。
身体の辛さもあっただろうが、ともかく持丸さんを受け入れてくれた。
同室に居る私の手、足、身体に持丸さんの波動が入ってくる。
掌、足の裏がズキズキと燃え始め、身体の境界線が消えていく。
時折、浩さんが足を動かす。ピクッ、ピクッと足指が痙攣している。
何かが起きている。何かを感じている。
私も一緒に瞑想し、癌が消えていく光景をイメージする。

約1時間、青年のヒ−リングが終った。
浩さんは額にグッショリ汗を吹き出している。
「熱い、熱い。足が燃える!」と布団を跳ね除ける。
夕食が配られる。
「どうする?食べられそう?」「うん。食べてみる。」
不思議な出来事に私は目をみはった。
カレーライスと野菜サラダを浩さんはすごい迫力でガツガツと食べ始め、見事に皿の上のもの全てを食べ尽くした。私も青年も呆気に取られる。
今日の昼まで、食事には一切手をつけず、箸さえ持とうとしなかった人とは思えない。その食べ方は健常者。顔色も心なし良くなっている気がする。
「寒くて寒くてたまらなかったのに、今は熱いよ。身体中が熱い。半袖のパジャマを買ってきてくれ。」
これが浩さんからの言葉。
足の裏が妙に白く、冷たく、血流の少なさをはっきり示していた先程までの身体に、どうやら血液が音を立てて流れ始めている様子。
足が熱い、足が熱いと言って額から美しく輝く汗の粒を吹き出している。
「す・ご・い!」
目の前で起きた現象に、私は言葉を失っている。
「手応えがあります。今、幣立の神、地球の中心を司る神がここにいて、その神がヒーリングをしました。僕がやった訳ではありません。僕は身体を貸しているだけです。大丈夫です。もうすぐ退院できますよ。回復しますよ。それにしてもすごい食欲ですね。」
信じているけれど、信じられない。嘘のような現実の出来事。

病室の壁に近藤さんの手による御札を貼って、邪気が再度浩さんの身体に入り込まないようにと、腕時計にガード役としての波動を与えてくれた。
キツネに騙されている気分ながら、私の心に再び希望がやってきた。
私は勝てるかもしれない。もう少し様子を見よう。
母と息子への連絡はもう少し待ってみよう。

夜明け前 第4章

平成7年9月29日

今日も持丸さんが来てくれた。私なりのヒーリングをしている最中の入室だった。
私の行動とは無縁に、持丸さんもすぐにヒーリングに入り、私とダブルスでヒーリング。彼のヒーリングの邪魔になってはいけないと思い、ベッドから離れ、壁際に立つ。
すごい波動が伝わってくる。
昨日より強烈な波動で、私の両掌はドックンドックンと脈打ち始める。
ドックン、ドックン、強烈な感覚に身を委ねる。
神よ、私はあなたの意志に従います。私の心と魂をあなたに委ねます。私は人生で最上の悦びを受け取ります。私は人生で最上の目的を成就します。私は心よりあなたの存在を信じます。強烈なリズムに身体を任せ、それを心に呟いた。
浩さんの生命の火が甦っている。
足指がピクピク動いている。
体温が上がっている。
昨日同様、青年は夜8時まで私と共に病室にいてくれる。
帰り道、途中にあるお店で食事を一緒にする。
気持ちのいい食べ方で、私の心は軽くなっていく。

持丸さんは1年間シドニーで暮らしたこと、近藤さんと二人でイスラエルに行ったこと。その後、津留さんと巡り合ったこと、ヒーリングが好きでこのままヒーリングを仕事としたいが、今一緒に暮らしている女性から、お金を稼がない男は最低だと言われていて悩んでいること。
一度はヒーリングをやめ、仕事に就き、お金を稼ぎ、津留さん、近藤さん達の活動を援助する側に回ろうかと思ったが、やっぱりできなかったこと、などを話してくれる。
掌が大きくて、分厚く、指が短い。柔らかそうで、暖かそうな掌をしている。
少年のような風貌だけど、29歳になるという。
純な青年はゲゲゲのキタロウツアーをやろうかと考えているという。
日本全国、経営不振で企業が悩んでいる。そんな企業へ出向き、その会社に取り憑いている悪霊を追い払い、神を招き入れ、経営を安定、発展させようというのがゲゲゲのキタロウツアーだとの説明。
客が入らなくて困っている何人かのエステサロンオーナー達の顔が浮かんで消えた。
本当にそれでビジネスが持ち直し、客が入ってくるようになるならば、私はいくらでもそのコーディネーターとなってあげられるだろう。


平成7年9月30日

持丸さんのヒーリングで嘘のように元気になってきた浩さんを見せたくて、知恵さん、理恵さんを連れて病院へ行く。
天国から地獄へ突き落とされる。
機嫌が悪い。
昨夜からしゃっくりが出始め、夜も眠れず、呼吸が止まりそうだと怒りをあらわに言葉が荒い。
早速、ヒーリングをやってみるが、意地悪でわざとしゃっくりをして私を困らせているかのように騒がしい。
時にウッと声を詰まらせ、やせこけて浮き出たあばらの胸を拳骨でドンドン叩き、プハーと息を吐き出す。
知恵さんも、理恵さんも、声もなくただ黙って見つめるのみ。
「俺はこんなに苦しいんだ。誰のせいだと思う。おまえ達のせいだ。」
とでも言っているかのよう間断なく、これでもか、これでもか、と胸を叩く。
「奇跡が起きたんだよ。見てちょうだい。顔色もとても良くなったし、生気が溢れているんだよ。」
と鼻高々で二人を連れてきた病室は、まさに砲火飛び散る戦場と化してしまった。
昨日までの悦び、あれは何だったのか。
すべて夢?すべて嘘?
暗い気持ちで病室を出る。
知恵さんから「癌が肺に広がったんじゃないの?あれは普通じゃない。山手に連絡した方がいいよ。」と暗いアドバイス。
返事をすることもできない。私の心は不安の海の底。
やっぱり奇跡はありえないのか。現実は変えようもないのか。
一時、良くなったように見えたのは、ただの幻、その場しのぎの気休めか。
明日まで待ってみよう。
明日の様子で考えよう。
神よ、あなたは私をからかっているのか。
明日は良くなる。きっと良くなる。
今日でなく、明日電話をしても間に合う筈。明日まで待とう。
でも心は落ちて行く。
肝臓を突き破って表面にまで出ているという癌細胞が、他の臓器を犯しても不思議はない。むしろその考えの方が現実的である。
「スピードが速すぎる。」との医師の言葉が体内に木霊のように鳴り響く。


平成7年10月1日

頭痛がする。身体が重い。
今日の浩さんはどんな色?
浩さんの回復イメージで瞑想を始めても心は裏腹、集中心を失っている。
天使と悪魔が出たり入ったり。
悪戯悪魔にもて遊ばれているようで、水をたくさん飲み、病院へ。
しゃっくりは非情にもまだ止まっていない。
強い薬を飲んでみたが効果なしとの報告。
気を取り直し、少し熱目の湯に塩をたっぷりと入れ、ラベンダー油を落とす。
足浴から始まる私のヒーリングの開始。
神よ、私はあなたの意志に従います。思いを込めて集中する。

ありがとう!呼吸が静かになりました。しゃっくりが止まりました。
神よ、あなたはまだ見捨ててはいなかった。
私の身体が宙に浮いているように揺れる。手足は痺れている。
浩さんは私の掌の下でぐっすりと眠っている。

でもヒーリングを止めた途端、目を開けて強くはないがしゃっくりが無情にもまたスタートする。
情けない。やはり自己流のにわかヒーリングでは持続力が足りない。
どうすれば良い。
何が間違っている?教えて欲しい。力が欲しい。
疲労感に打ちのめされそうになるが、負けるものか。
「私は勝つだろう。私を信頼する限り。」と心に何度も繰り返す。

明日は月曜日。持丸さんが出張から帰っている筈。
明日、津留さんの事務所に行ってみよう。近藤さんに会えるかもしれない。
持丸さんが待っていてくれるかもしれない。
行ってみよう。きっと、きっと、助けてくれる人が事務所にいるだろう。
いなくとも、山口さんが連絡をつけて助けてくれるだろう。
はかない望みを胸に明日を待つ。
昨日よりはそれでも良くなった。まだ山手に連絡しなくても良いだろう。
もう一日待って考えよう。
母へ連絡をしないで浩さんを回復させたい、回復させるぞ、回復するぞ、の心のひだの隅の方から不安が顔を出してくる。
葬式はどこでやればいいの?
浩さんの死装束がちらちらと現われては消える。


平成7年10月2日

持丸さんに会わせて頂いた御礼や、創生会のこと、塩のことなど聞きたくて津留さんの事務所へ向かう。山口さん一人しかいらっしゃらない。
御礼を述べ、この間の状況をお伝えし、できれば今日、病院へ来てもらうことはできないか、私の力では不十分で、何が起きるか恐い。
すぐ電話して下さるが、近藤氏も持丸青年も留守。
仕方なく一人で病院へ向かう。
浩さんの様態は良くなく、再度山口さんに電話を入れてみる。
持丸さんは友人の手術に付き添っているとのこと。どうやら手術した人というのは、彼が一緒に暮らしている女性らしい。
たいした手術ではない様子だけれど、術後、側でヒーリングをしていたいであろうことは私にもわかる。
「そうですか、分かりました。もし来れるようであればお願いします。」
私の声は冷静に話したつもりでも、乱れていたのかもしれない。
あきらめて、一心に浩さんのヒーリングをしていると、持丸さんが汗を吹き出して呼吸も荒く入ってこられ、休む間もなくヒーリングに取りかかろうとして下さる。
「まずは汗をお拭き下さい。」とタオルを差し出す。
「御見舞の方達は時間ですのでお引き取り下さい。」
夜8時の院内アナウンスが鳴り響く。
それでも止める気配はなく、浩さんが気にして私に目で合図する。
持丸さんのヒーリング中、いつものことながら足指がピクッピクッと動き、体調が回復してきているのが分かる。
私の方から「もうこの辺で。」と声をかけるまで真剣に、一心に続けて下さった。
彼女の側にずっとついていたかった筈。本当にありがとうございました。

駅までの途中、夕食でもと店に入る。
帰宅が遅くなるのではと心配したが、構わないと言う。
「僕の支配星はケンタウロスなんです。自分の生命と引き換えにしても彼女を守る星なんです。ご主人もケンタウロスですね。だから近藤さんではなく僕が選ばれたんですよ。
ご主人は良い人です。本当に良い人です。」
持丸さんの過去生が加藤清正であり、津留さんは豊臣秀吉、近藤さんは織田信長だという。自分達の仲間にはまだ徳川家康は見つかっていないそうだ。
持丸さんの彼女は「大変苦労している人で、父親が働かず、暴力を受け、とても傷ついている。どうしても救いたい。幸福にしたい。
だけど、憎んでいる父親と同じように、僕もお金を稼がない。だから彼女に受け入れてもらえない。今日、出ていって欲しいと言われました。
彼女の話し相手になってあげて下さい。一見、とっつきにくい感じを受けられるでしょうが、知り合えばそんなことはないんです。」
「分かりました。私にできることならさせて頂きます。もし、おいやでなくて、泊まる場所がないときは、どうぞいつでもいらして下さい。
部屋は空いていますし、第一、私の家は競売にかかっている状態ですので、私達も住まわせて頂いているようなものですから。遠慮なくお過ごし下さい。
私は多くの人達と共に暮らすのが好きな方ですし、食事だって大勢の方が楽しいでしょう。お互いに干渉はせず、自分のできるお手伝いはして頂きますが、出たくなったらいつ出ていっても構いません。家は解放します。
たいしたものは作れませんが、彼女と一緒に食事に来て下さいな。
知恵さんは料理が得意で、自然食に近いものばかりですが、是非、どうぞ。」
不思議な人で、どんなに浩さんへの不安があろうとも、持丸さんと話していると、大丈夫、浩さんは回復する、という安心感、落ち着きを与えてくれる。
心がウキウキし始める。


平成7年10月3日

津留さんが近藤さんと共に病院へ来てくれるとの連絡が入る。ありがたい。
午後3時、亀有駅改札で待ち合わせ。
亀有への電車が地下から地上へ出て、シートに座っている私の背中から光がさしたとき、膝に乗せたリュックの上に組んでいた私の左手の甲に目が吸い寄せられる。
赤、橙、黄、緑…七色の小さな粒子が、指の根元から甲にかけてキラキラと光っている。何だろう。こすってみるが消えない。

30分前に約束の改札口に着く。
駅北口にまるで季節感のおかしい、大きな男が立っている。
ショッキングピンクのランニングシャツに白い短パン、スニーカー姿。
どこか南の国から直行してきたという雰囲気だ。時々目が合う。
その人がなんと私が求め続けていた神の使い、K・Kその人だった。
ほとんど裸同然で、厚い胸がいやでも目に入る。
3時過ぎ、津留さんが到着。

病院へ向かって歩きながら、浩さんの病状や経過を話す。
「しゃっくりが一時も止まらず、呼吸困難で息が止まりそうになる。」と言ったとき、急に近藤さんが大きな声で、「ガァハッハッハッハッ!」と高らかに笑い、「相当悪いことをしてきたようだな。」と言う。
津留さんからは「ご主人は浮気をしたことはありませんか。」これも唐突な質問。
「ないと思いますが、わかりません。たとえあったとしても、私は問題にしていません。浮気したければしても良いと言ってあります。」
「う〜ん。奥さんにはちょっと席を外してもらうことになるよ。」
「津留さんのお役目は何ですか。」
「う〜ん。ご主人の場合、どうもヒーリングだけでは駄目みたいなのでね。僕が話しをしてあげなくてはいけないように感じたから来たんだよ。」
???でも、心強い。
まるでピクニックへでも行くように軽い足取り。

病室のある4階に来て、近藤さんの姿はどうしても目立つし、場違いな感じがするので、ナースステーションの横を通ることを避け、他の病室の前を通って入る廊下を選んだ。
廊下のコーナーを曲がった途端、近藤さんの足がピタッっと止まった。
そして両手を大きく広げ、「はぁぁぁぁぁぁ…」という喉を震わす息を発した。
驚いて振りかえる私を、津留さんが先へ促す。私と津留さんが先に病室に入る。

死相を表わしている浩さんが、かすれた小さな声で
「腹水を抜くことになった。5時間で1,500cc抜く。何を食べても良いという許可が出た。欲しいと思うものを何でも食べなさいと言われた。桃を食べたい。」
ほとんど声にならない声。
「津留さんと近藤さんが来て下さいましたよ。」
「桃が食べたい。今すぐ食べたい。」
そんな会話の中、大きな体躯の短パン、ランニングの神の代理が入室。
「奥さん、桃を買ってきて、1階で待っていて下さい。僕が呼びに行きますから。」
津留さんの言葉で私は追い出される。

院内の売店にはリンゴ、みかんはあるが、桃はない。
駅前まで今来た道を戻り、果物屋を探す。やっと見つけた果物屋に桃はない。
既に季節外れ。
仕方なくブドウ、いちじく、梨を買って病院へ戻る。
腹水を強制的に抜くのは最後の手段だと、以前入院していた病院の医師から聞いている。後は死あるのみとの医師の言葉が脳裏に響き渡る。
浩さんは何を感じているだろう。
腹水の強制排出=死という公式を前にして私はこの問いに何と答えよう。
近藤さん、津留さん、私は信じます。あなた達の不思議な能力を!

1階の待合室で果物を抱えて1人で待つ。
約1時間後、津留さんがニコニコしながら「もういいよ。部屋に行こう。」とやってこられた。彼の顔は笑っている。
病室への道すがら、「大丈夫なんですか。浩さんは回復しますか。」私の質問に津留さんは「今ね、ご主人の魂がとても喜んでるよ。」とだけ。
「本来なら彼の母に知らせなければいけないんです。医師からは、会わせたい人をすぐ呼んで下さいといわれているんです。」
「呼ばねばならないとき、あなたがそれを感じます。必要なとき、必要なことがあなたの心に沸き上がってきます。あれこれ考えないで、自然に任せればいいんです。
伝えたいとあなたの心が思うときが、その時です。」
「私は伝えたくないんです。伝えたくないという思いで心はいっぱいです。」
「そういう時は、伝えなくて良いということなんです。」
津留さんとの話しはいつもこの調子。

病室に近づくと、「ギャァァァァァッ!!」とすごい叫び声。浩さんの声だ。
部屋に入ると近藤さんが浩さんの両足親指を自分の指で挟み、軽く持ち上げている。
「いいよ、いいよ、いい感じだ。もっと叫べ。もっと声を出せ。我慢なんかしないで、思いっきり大きな声を出せ。」
と笑いながら声をかけている。
浩さんはこれ以上は開かないというほど口を大きく開き、
「痛いよ、痛いよ。アァァァッ!ガァァァッ!痛ぁーいっ!!」
それはもう、ものすごい叫び声。まるで、悪戯っ児のプレイングルームに入った感じ。
どうやら本当に痛いようなのだが、浩さんの顔が輝いている。生き生きしている。
幼い子供達が遊びに夢中になって騒いでいるという光景がそこに繰り広げられている。
私は呆然として声も出ない。津留さんは笑っている。近藤さんも笑っている。
悲鳴を上げている浩さんの顔も笑っている。(本人は本当に死ぬほど痛かったらしいが、私の目には生き生きと輝いていて、こんな屈託のない笑顔を見たことがない。)
勿論、この声はナースステーションに筒抜けだし、廊下にも響き渡っている。
「いいぞ、いいぞ。痛いか。痛いか。痛ければ痛いと思いっきり声を出せ。自然治癒力が出てきたからもう大丈夫。」
「血液も流れ始めた。よ〜し。よ〜し。いいぞ、いいぞ。もっと声を出せ。」
看護士や看護婦達が立ち替わり部屋にやってくる。
「大丈夫ですか?」
皆が笑っているので彼らは怪訝な顔をして出たり、入ったり…。

その後、近藤さんは浩さんから離れ、神との交信(?)を始める。
様々なポーズで彼は声を発し始める。ただ見つめ続けている私。
何を言っているのかさっぱりわからない。古代語を話している様子。
それも一人ではないようだ。言葉としゃべり方、声、身振りが少しずつ違っている。
どうやら複数の神々が近藤さんの身体の中に入り、彼の身体を借りてしゃべっているらしいことに気づく。
7〜8人、交代に現われて話している。
最後には好々爺のような感じの神が現われ、腰を曲げ、
「あんた、辛かったのう。可哀相じゃった。だがな、それもあんたの役目じゃったんじゃよ。」
と浩さんの肩を叩きながら話しかけている。
その後、近藤さんの行動が変わった。
シッと直立不動になり、近藤さんの声で、「神々合一!!」ただ見つめ続けている私。
「ありがとうございました。おかげさまで、この地に住む全ての神々を合一することができました。ついでに、この病院も掃除しておきました。」と近藤さん。
浩さんは「足が熱い。足が熱い。」と騒いでいる。
白く冷たかった足が、今は赤く染まっている。
足の裏に触れると、私の燃えている掌よりも熱い。

病院の玄関まで送っていく。「ありがとうございました。」の私の言葉に「いや、これが僕の仕事ですから。」と快活に屈託がない。
大きく手を振って、数度振りかえりながら、にこやかにまるで面白いゲームに堪能した後の子供の様な感じを振りまいて、ショッキングピンクのランニングシャツの大きな男は去っていった。
不思議な安堵感、説明のつかない胸の内を抱え病室に戻る。
浩さんは生き生きしている。
生命の火が消え去る寸前に、燃え立ち始めた。
私の顔を見ると、「鮨食いたい。鮨買ってきてくれ。」

近藤さん、津留さんの二人から言い渡された言葉がある。
「ご主人の身体は大人ですが、たった今からご主人を赤ん坊だと考えて下さい。ご主人のわがままを全て通させてあげて下さい。
時には腹の立つこともあるでしょう。
でも、赤ん坊の言うことだからと思って好きなようにさせてあげて下さい。
それがご主人のヒーリングになっていきます。
また、あなたがムッと感じたとき、その感情はどこから出てくるのか、じっくり観察して下さい。
自分の心を見つめて、第三者として、その感情がなぜ出てくるのか観察して下さい。
そうすればご主人だけでなく、あなたも癒されていきます。」

桃の次は鮨ですか、そうですか、と独り言を呟きながら暗い道を駅前まで鮨屋を探しながら歩く。
上鮨一人前買って、病室に帰ると、彼は大鼾で高らかに眠っている。
しゃっくりも出ていない。ともかく安堵。
浩さんの眠っている顔を見詰める。
今夜こそ、今夜こそと母へ何と伝えるか苦しみ、悩み続けた数日間。
でも、私は連絡しなかった。
これでいいんだ。例え何が起きたとしても、それは私が責めを受ければ良い。
私はどうしても浩さんを治したい。
絶対に助からないと医師から宣告されていても、自然治癒力の可能性、万に一つの可能性に賭けて行く。
その為には、自分の心の歯止めが必要なんです。
母へ連絡するという行為は、医師の宣告を認めることになってしまう。
ごめんなさい、お母さん。
謝って済む問題ではありませんが、どうしても私は連絡できません。許して下さい。
近藤さん、津留さん、ありがとう。
私の心は今、温かい。
例え今後、浩さんの体調が急変し、肉体が滅びることがあろうとも、彼の魂が浄化され、生き生きと甦ったことを、証拠も証明もないけれど、私の身体が感じ取っている。
浩さんの魂は、今日救われました。そのことを感じている私の魂。
変ですが、それは9月11日、浩さんの生命は後1ヶ月と受け止めた同じ本能が受け止めています。
浩さんの魂を救うこと、それが私の役割だったのかもしれません。
癌が奇跡によって消え、肉体が甦ることを今も願い、これからも毎日、今まで以上に祈り続けますが、例えその奇跡が起きなくても、私は心おだやかに、それは既に決定済みの彼のスケジュールとして受け止められるような気がします。
今、とても嬉しい。変だけど嬉しい。
浩さんの魂を救うために計画された神からのプレゼントだったのです。
浩さんの心は真っ黒でした。
恨み、苛立ち、無気力…。
何度も彼に、その心のありようを変えて欲しくて話しをしましたが、全く私の言葉を省みてはくれませんでした。
「前向きに考えろというのはわかるけども、俺はストレスの真っ只中にいる。毎日その中で働いているんだ。前向きに、気軽になんて無理だよ。」
吐き出すように言い、毎日、毎日、愚痴の連続。
「その心の持ち方が身体を悪くするそうよ。」
どんなに話しても聞いてもらえませんでした。
そして、彼は医師が首をひねる程の猛スピードで肝臓全体を癌化し、再生不能の重大事態にしてしまった。

病気に感謝する心が出てくれば、その病いは癒されていくことを知っているつもりでしたが、本当にはわかっていなかった。
この一連の出来事は、神からの私達二人へのプレゼント。
今、私の心は震えます。
神は本当に存在し、一人一人、厳しいけれど、愛の試練で魂を救って下さる。
フィクションや文字としてではなく、実態としての神の意志が私の身体に入りました。
浩さんの肉体を随分いじめてしまいましたが、彼も気づいていくでしょう。
「彼らの話しは難しすぎてわからなかった。俺は科学的に考えているから、本でも読まなければわからないよ。」と言っていました。
もう少し時間がかかるかもしれませんが、必ず浩さんも今回の苦しい体験がなぜ起きたのか、理解していくことと思います。
少しずつですが、彼の考え方に変化が出ています。私の言葉に以前ほど反発していない様子です。
どんな風に言ってもわかってくれないと諦めかけていた神の存在、神の意志、自然の力、瞑想、心、意識、意志、食事、想念による共鳴現象…などを浩さんに伝えること、わかってもらうこと、それを援助して下さったのですね。
瞑想中や夢の中で見せてもらった出来事は、全て神からのメッセージであり、また私の祈り、願いを叶えて下さったのですね。
涙が出てきます。ありがとうございました。

夜明け前 第5章

平成7年10月4日

瞑想中に変な心象を見た。
「クロ」がトイレに入る。
「クロ」が去った後のトイレには白米(炊いてあるもの)が一面に敷き詰められ、その上に肝臓(浩さんの使い古しのもの?)がのっている。
使い古しの役立たずになった肝臓と白米、どちらも不要と言うことで「クロ」が排泄したらしい。
浩さんの体内には新しい肝臓が完成したということだろうか。
「クロ」はなぜ我が家に来たのだろう。
理恵が公園で見つけて連れ帰ってより、あまり日も経ていないとき、10日間行方不明になった。
瞑想中と夢の中で3日間続けて現われた。
「クロ」は必ず帰ってくるという、不確かだがどこか確信のある予感があった。
我が家に来て日も浅く、ましてやマンションの9階。
本来なら帰ってこないと思うのが普通。
行方不明中、私の部屋に「クロ」の糞が落ちていた。不思議な猫だ。
悪戯好きの「クロ」に毎日振り回されている。
壁紙を剥ぐ、留守番電話をセットする、クーラーを入れる、夜中にはそこらにある物を利用して遊びまわる。
私達は皆、寝不足になる。でも、憎めない。

浩さんに「家で変ったことは?」と聞かれて、「クロ」に皆振り回されていることを伝えると、「捨ててしまえ。」と言う。
「生き物は一度飼ってしまった以上、それはできないよ。愛着もわいてきているしね。」ということから、今朝の瞑想の話しをする。
とても変な心象だけれど、私はこれまでにも多くの意味不明な心象や、おかしな、そして不思議な夢を見続けている。くだらないと簡単に片付けられない数々の夢。
どの心象も、どの夢も、誰かからのメッセージであり、事実を伝えてくれているような気がしている。
もし、今日の心象も事実を神が伝えてくれているとするなら、「クロ」は浩さんの命の恩人、じゃなくて恩猫ということになる。
私の勝手な夢物語かもしれないが、浩さんの生命を吹き消すはずだった肝臓癌は消えてしまったのではないだろうか。
「クロ」がその病巣を白いご飯(粕、人体に病いをもたらす白い悪魔。浩さんは白米しか食べない。)と共に、これが原因だよと教えつつ排泄してくれたのではないだろうか。
物事や出来事に偶然はなく、全て必然であり、意味があると言う。
「クロ」はなぜ現われたのか。
そして浩さんが入院した翌日、なぜ姿を消したのか。
「クロ」は帰ってくることを瞑想と夢の中で伝えてきた。
そして、使用済み、USED LIVERを排泄した。
思い過ごしでもいい。思い込みでもいい。「クロ」は浩さんの生命を守る、神からのメッセンジャーガール。捨てるなんてとんでもない。
まだまだ振り回されるだろうが、大切にしたい。浩さんも理解してくれた。

今日はイメージ療法の話しをした。
以前より少し前向きに話しを聞いてくれた。
「使い古した肝臓を捨てたんだね。新しい肝臓を創るんだね。」と帰り際、言ってくれた。7月くらいからまともな便が出たことがなかったのだけれど、今日持って行ったはぶ草茶を飲んですぐ、トイレに行き、普通便が出たと言う。
す・ご・い!!
ずっと水便だった。
数ヶ月ぶりのまともな便だ。
父さんありがとう。父さんが作ったはぶ草がきっかけになってくれた。
「近藤さん、津留さん、持丸さん、父さん、そして連日連夜あなたの回復を神に祈りつづけているTAKAKOさんに感謝しようよ。皆、がんばっているんだから。健康になった、新しい肝臓ができた、病気が治ったと心でイメージして繰り返してね。」と言うと、
「俺だってがんばったんだよ。昨日は本当に死ぬかと思ったよ。そのくらい痛かったよ。」と言う。
このまま私の思いの通り、イメージの通り、自然治癒力の不思議な力、宇宙の無限なる神の力で浩さんが回復することを心新たに確信する。

神よあなたの存在を心より信じます。
浩さん、入院してより時々、私の体に触れたがる。
前の病院でも、廊下で肩に手を回してきたことがあったが、この病院でも手
に軽く触れたり、私の着ているポロシャツの袖を持ったり・・・。
連日の病院通いと眠る時間の短縮のため夕方になると眠気がやってくる。
「とても眠いの。浩さんと一緒にこのベッドに横になりたいなぁ。」と言うと、
身体をずらしてくれた。
椅子をベッドに近づけ、腕と頭をその隙間に乗せ、少し休息をとる。
何も言葉はかけないが、浩さんが、やさしく、やさしく、私の肩をトントンと叩き始めた。
やさしいリズム。ありがとう。
浩さんのやさしさが、その手を通じて、私の体内に広がっていく。ありがとう。


平成7年10月5日

津留さんから2度、電話が入る。
浩さんの身体を回復させるかどうかは、今や浩さんの問題ではなく、私の問題だと言う。医師からたとえどんな情報が入ろうと、それに迷わされてはいけない。
私が心に思い描く心象が、そのまま現実の映像として現われてくる。
私が、もう駄目だなと思えば駄目になるし、大丈夫、治ると思えば治ってきます。
私は無限の力を持っているということに気づきなさいと言う。
「あなたが全てを決定するのです。あなたが無限の力を持っているのです。あなたが創造主なのです。自分の心をよく見つめ、心からの愛が広がる様、やってください。」
ポイントは既に、浩さんの心ではなく、私の心の動きだとやさしく話して下さる。
また、今回の原因を外に求めるならサタン、自分の内に求めるなら愛、とも伝えられる。
「祈願するのではなく、当然のこととして、こうなる、こうなった、と心に描くことが現実を創っていきます。
祈願は現実化しません。こうなって欲しい、あのようになって欲しい、という心の裏には、そうならないと思う心が潜んでいます。
祈願ではなく、一切の不信を捨て、そうなると決めてしまうことです。自分の心にいろんな絵が見えてくるでしょう。
それらの絵を判断したり、意味をつけたりしないで、あるがまま、ただその絵を見つめて下さい。第三者の目で自分の心を見つめるのです。決して判断をくだしてはいけません。」津留さんの声は常に一定で、流れるようにソフトに入ってくる。
昨日の瞑想時の心象を話してみた。
「そうですか、いい子だ。あなたは良い生徒です。」
そのやさしい響きで私は嬉しさに包み込まれる。いつものこと。
津留さん、近藤さん、持丸さん達と会ったり話した後、私は必ず心が浮き立ってくる。
ハイになって幸福感に包まれている自分の心を見出す。ありがとう。私は幸福です。
今日はCD PLAYERを買って美しいメロディのものを数枚病院へ持っていこう。

ゴルフボールを持ってきてくれと浩さんからの電話。肩が痛くてたまらないからとのこと。CDを持っていくねと言うと、
「今日、また腹水を抜いている。肩が痛くて眠っていない。吐いた。だからCDなんか要らない。」
暗雲が広がってきている。この様子では、どんなわがままが待っていることやら・・・。出るわ、出るわ、ああでもない、こうでもない。
次から次へ悪態ついて、肩が痛い、マッサージをしろ、もめ、体を拭け………。
私が何か悪いことでもしているかのように次々と注文、要求が飛び出す。
ヒーリングをするための準備に入っても、集中させてくれない。無視するしかない。
近藤さんからもらった彼の名刺を左手に持ち、右手でいろいろやってみるが、とにかく不機嫌に唸り、騒ぐ。
病室に入って幣立ての御札に合掌した途端、頭はグァンと痺れる。
すごい力が部屋にみなぎっているとわかるのに、浩さんは不平、不満の苦り切った面相で取り付くしまもない状況。
名刺を持った左手の痺れも、今までになく強く、近藤さんのパワーを実感する。
どうすれば浩さんの肩の痛み、苦しさを解除できるかわからぬまま、え〜いままよと名刺を持った左手を、痛む肩の下に潜り込ませ、右手を肩の上に乗せ、「浩さんは治った。治った。」と心に繰り返す。
しばらくすると、唸り声が聞こえなくなった。
近藤さんの全身像をイメージし、私の身体に近藤さんが入っていることをイメージした。唸り声が静かになり、深い呼吸に変った。熟睡に入ったようだ。
そのまま、じっと時を待つ。

6時。夕食のアナウンスで目を覚まし、「眠っていたのか?」「そうよ、ぐっすり眠っていたわ。どうだった?気持ちよかったの?」「うん、痛みがなくなった。」
目覚めても痛みはぶり返してこなかった。
近藤さん、ありがとう。
近藤さんの全身像をイメージしたのが良かったのかしら。
左手にある名刺に頬ずりしてみる。
名刺が暖かい。私の手の内にあったからか、それとも、名刺が波動を発しているからか、私にはわからない。
名刺の表には「神惟」、裏には「洗心、大宇宙大和神」と印刷され、常の心と御法度の心が擦り込まれている。
この洗心の言葉は、関英男氏の著作「高次元科学」の中で出会い、とても興味を持ち、メモしておいたものだった。洗心に沿って生活をしようとも心に決めていた。

『 洗  心 』  大宇宙大和神

常の心
強く、正しく、明るく、我を折り、
宜しからぬ欲を捨て、皆仲良く、相和
して、清く、感謝の生活を為せ。

御法度の心
憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒
り、不平、不満、疑い、迷い、心配ご
ころ、咎めの心、いらいらする心、せ
かせかする心、卑屈な心を起こしては
ならない。


生来、私には憎しみ、呪い、怒りなどの感情を持つ能力がなく、どんな辛い出来事に対しても、その出来事を自分に引き寄せたのは自分の言動だという想いがある。
その原因を自分の内に探し、くよくよせず、生命を取られたのではないから良しとしようという超楽天的思考がある。
なぜ、そう考えるようになったのか、また、いつ頃からか、定かではない。
中学2年生のとき、淡い恋心を抱いていたKさんが、他の女生徒と親しげに楽しい会話をしているのを見ると、心に寂しさはあるものの、Kさんは今、この瞬間、楽しい時間を持っている、Kさんが幸福なら私の心も幸福と感じ、相手の女生徒にありがとうの言葉を心中で口にする。
そんな性癖を持っていた。だからかもしれない。
洗心の文章に触れたとき、「あ、これいいな。いただき。」という感じでメモした同じ文章が書かれている近藤さんの名刺を両掌に挟み、ありがとうの言葉を心に繰り返す。
何が起きたのかは不明だが、ともかく、浩さんの耐え難い肩の痛みが、嘘のように消え去った事実に深く感謝する。

この病室はいつ来ても暑く、私は頭、背中、足から汗が滴り落ちる。
そんな病室に不思議な物がある。もう何日間放置したままだっただろう。
バナナが1本、窓辺に置いたままになっている。
既にジュクジュクになるとか、腐っても良い頃で、今日の夕食にバナナが出たので、窓辺のバナナを手にとってみる。
硬いままで、皮をむいてみる。新品同様、どこも何とも変化なし。
冷蔵庫に入れていた無花果はグチュグチュになっているのに、陽の当たる窓辺に数日間放置されたままのバナナは、まるで、今日持ち込まれたもののよう。
毎日、いろんな出来事があって、もう驚かない。
ただ、腐らないバナナがそこにあると私の心は冷静に受け止める。


平成7年10月6日

浅野先生から遊びにおいでよとの連絡。
先月で規定の台数をクリアーされたので、中級代理店昇格のお祝いの件もあり、病院へ行く前に、恵比寿まで出かける。
「いつも留守番電話で、お出かけのようだけど、何をされているの?」
この先生は何かを感じている。前回もそうだった。
会社を倒産させて、やっと私の心がそれなりの落ち着きを取り戻し始めた頃、やはり「遊びにおいでよ。」の電話があった。
今回も、浩さんのことで、ある程度、私の心が落ち着いてきた今日、「遊びにおいでよ。」この先生に嘘は言えない。これまでの経過を話す。
私の話しが呼び水となって、浅野先生自身の数奇な人生、不思議な出来事、そして彼女の持っている不思議な予知能力などを話し始められた。
「滅多に話さないのよ、こんな事。だって、人に気味悪がられるだけでしょ。」という話しの内容はすごかった。
彼女のハイヤーセルフというのか、守護霊というのか知らないが、普通の人なら耐えられない出来事から彼女を守り、導き、立ち直らせている。
単に一人の守護霊だけでなく、現在彼女の人生を取り巻いている人達が、まさに大事なとき、彼女を救っている。
娘さんもそうだし、多胡さん、姫子さんもそうで、彼女の人生転機に大きな力を発揮し、彼女が道を踏み外さない様導き、救いつづけている。
彼女の話しが霊的に理解できるし、納得できる。本来、浅野先生の魂は、もっともっと力があるようで、惜しいな、恐れないで本来の力を発揮して欲しいなと思ったが、そんな事を言える立場に私はいない。
それを感じているのは多胡さんのようだ。多胡さんは彼女の魂の全てを知っていて、だまって見詰め、守り続けているようだ。お姫様を守る爺やのごとく、深い愛で包んでいるんだなと、その魂の関係が見えてきた。

浩さんの話しを落ち着いて明るく語ることができた。
それもこれも、津留さんのアドバイスのおかげと、改めて感謝する。私の心に迷いはない。浩さんは必ず治るとの確たる信念が私の内にある。
夕方4時過ぎ、恵比寿を後にし、亀有に向かう。

6時前、病室に入ると、浩さん、憮然とした顔で椅子に座っている。「遅くなってごめんね。」と明るく入る。
今日は、アーダ、コーダ、アソコが痛い、ココが苦しいと堰を切ったように不平、不満がその唇から発射される。
来た、来た、来た。もう、それで全部かしら、今日の不満は。何でも言ってよ。全て私が解決してあげると心の内で独り言。
「今日、CTと造影をやった。明日、説明がある。明日は何時に来る?」
「俺は肝硬変の悪い所を切った方が良いと思う。」
浩さんは、医師と私の言葉―肝硬変がとても悪化している―をそのまま信じているようだ。本来なら、あなたは既に死んでいる身体なのよと、また心の中で独り言。
今、こうして言いたい放題、まるでアソコが痛いのも、ココが苦しいのも、全て私の責任とでも言うようにぶつけてくる姿がおかしくなってくる。
近藤さんの「御主人を成人の大人と思わないで下さい。生れたばかりの赤ん坊だと思って接して下さい。」との言葉に、「そうね、あなたは赤ん坊。」と私の心にはゆとりが生れている。
普通なら怒りさえ感じるであろう浩さんの口にする言葉の数々を、笑って受け止められる。津留さんが部屋から出るとき、浩さんに向けて「ニューライフを大切にね。」と言った言葉を、どのように受け止めているのだろうか。
New Life、まさに新しい生命が生まれたのだ。今までの浩さんの生命ではない、新しい生命が息づいている。
一回の人生で、二度目の生命を体験しているあなたは、スーパーヒューマンボディ。
あなたがその事実を知ったとき、どのような反応を示してくれるのでしょう。
楽しみが一つ増えました。
「退院したら温泉に行くんだ。絶対に行くんだ。」
「そうね、行きましょう。どこがいい?温泉に行って、いっぱい愛し合いましょう。Make Loveのやり方憶えてる?」
軽口まで飛び出した。

明日の医師の説明が、今から楽しみだ。
浩さんは大きな大きなおなかを突き出し、あっちが痛い、こっちが苦しいと騒いでいる。
黄疸もまだ消えてはいない。
心臓の血管へ直接差し込まれたチューブも、そのままではあるが、顔は健常者の輝きを放っている。こんな病人が他にいるだろうか。「臨終に間に合わなくなります。すぐに御家族に知らせて下さい。」と呼吸停止までのカウントダウンのボタンは既に押されている。
医師は死の宣告をするときを、今か今かと待機している。
それなのに、肝腎の患者は意識昏迷に陥るどころか、その妻に元気一杯わがまま放題、言いたい放題。今日もうどんを買いに行かされた。
機嫌は悪いが、呼吸が止まりそうには見えないし、危篤にもなりそうにない。
医師はきっと戸惑っていることだろう。
だから死の宣告をして、既に一週間以上も経過しているのに再検査、CTや造影を実施したのだろう。
ただ心配なのは、肝臓への血管を閉じて抗癌剤の注入を開始されるのではないかということ。そんなことはして欲しくない。
抗癌剤はむしろ、彼の身体を地獄へ突き落としていくのではないだろうか。
このまま自然治癒力により、癌が消えていくのを待たねばならない。
医師は理解してくれるだろうか。切りたがっている浩さんは理解してくれるだろうか。
切らなかった、切れなかったことが彼を救っていることを、どのように理解してもらえるのだろう。
ともかく、明日、考えよう。

昨日同様、痛みが激しいという背中へ、近藤さんの洗心の名刺を左手に持ち、その手で痛いという部分を覆っていく。
ある点に私の左手が触れた途端、大きな衝撃がその手に走った。
左腕全体が硬く棒きれになったようで、手の平から肘に向かって、腕の骨より太い痺れがグイグイと入ってくる。まるで感電している感じ。
なんと形容して良いかわからないが、厖大な数の微粒子がそれぞれ渦を巻き、塊となり、掌から肘、肩に向けてグワァンという感じで唸りを発しながら突き進んでくる。
その磁界(?)のために、私の左腕は倍の太さになっているという錯覚にとらわれる。
しばらくそのままにして耐えていると、フッと何も感じなくなった。
「痛みが消えたでしょ。」と聞いてみる。
楽になったようだ。掌を少しずつずらしていく。全く何も感じない部分もある。
更に掌をずらしていく。
先ほどの衝撃ほどではないが、やはり痺れが入ってくる箇所がある。
痺れを感じる箇所があると、しばらくそこに掌を止め、痺れ感がおさまるまで待つ。
その一連の動作を繰り返して、全て、どこからも痺れを感じなくなるまで背中一面、左手をずらしながら触れていく。
彼の顔つきが穏やかになり、言葉がおさまった。痛みがなくなったようだ。
彼の身体から手を放し、次なる苦情処理に入る。

私の身体は異変を感じ始めている。
ヒーリングをすると毎回程度の差こそあれ、いつも感じていることだが、身体のあちこちで針を突き刺されたような痛みが走る。
右下腹部、恥骨下部でチクチク針に突き刺され、右足の付け根が痺れてくる。
その後、右足大腿部内側にも痺れを感じる。
左手から入った浩さんの負のエネルギーが、右足から抜けていくのだろうか。
いつもは割と短時間で消える異変だが、今日は衝撃の大きさによるのだろうか、右半身への異変はなかなか消えない。
左掌の真ん中に、直径4〜5cm位の穴がぽっかり空いてしまった感覚と、左腕の痺れ、肩から腕全体が重く、鉄の添え木をつけられたようにズッシリとだるい。
右足大腿部内側の痺れも消えてくれない。
気功師は早死にする人が多い。
患者の負のエネルギーを受けすぎ、それを排出できないためだという記述を読んだことがある。この感覚がそれであろうと、何となく理解する。

身体がヒーリングを求めている。
浩さんの身体から私へ移動した負のエネルギーを出してくれと言っているのがわかる。
疲労感も大きい。
昨夜も家に帰りつくと、なぜかぐったりとして、自分の身体に不信感を持った。
塩風呂に入って、負のエネルギーを出さなければと、身体が私に囁くが、身体がだるく、風呂場まで行けない。左肩から背中一面が張っている。
かろうじて遠赤外線ホームサウナをONにして汗を出す。
サウナでの発汗入浴後、身体は少し軽くなり、背中の凝りも消えた。
でも、今日はサウナではなく、塩風呂だ。
絶対に塩風呂に入りなさいと、身体が私を急かす。
だるさをおして湯を入れる。
37度くらいのぬる目の湯に天然塩とレモンを一個スライスして入れる。
レモンを加えた塩風呂が癌の毒素を身体から排出すると書かれていたからだ。
じっくりと、レモンの香りに包まれて、浴槽内で瞑想。
「浩さんは健康になった。腹水は見事に抜けた。」とイメージを繰り返す。
入浴後、左腕の痺れはまだ残っているが、全身的には軽く感じる。
左腕の痺れは、ここずっと眠っている時間以外、絶えず感じ続けていることなので良しとしよう。
2〜3日前から下顎の内側、下歯の中央部分が急にプックリと膨らんで、下唇から下部全体が痛く、物を飲んだり食べたりし難かった。
舌先上下にも一つずつプツンと突起物ができ、とても痛かったのだが、今日、それらは消えている。不思議体験が続いている。いちいち騒いでも仕方がない。
もう少し様子を見てみよう。
チャンスがあれば、近藤さんに聞いてみよう。

夜明け前 第6章

平成7年10月7日

浩さんの再検査があった模様。
医師の怪訝な表情を想像して私は楽しんでいる。
呼吸停止になる筈の人間が、呼吸停止どころか、一日一日と強く、逞しくなっている。
医師達のこれまでの経過の中に、浩さんのような例があっただろうか。
隣の病室にいる80数歳と思える女性も、どんどん良くなっていくのが壁越しに伝わってくる。
3日、近藤さん達が病室に来られる前は、はっきりと死に向けて一直線の雰囲気だった。物音一つ聞こえず、家族の人が泊まりこんでおり、湿っぽい重い空気が澱んでいた。
それが、あの3日以降、物音が聞こえ始め、声が大きくなり、騒がしく、笑い声がながれ始めた。
「まったく食事を受け付けなかったのに、もう、お腹が空いたの?良く食べるね。」
「だって、お腹が空くんだもの。」
壁越しに聞く会話が面白くて、私はニヤニヤしてしまう。
この女性の担当医も悩んでいることだろう。

瞑想中、見知らぬ30歳代、ぽっちゃりとした丸顔の女性が満面の笑みで右手を胸にあて、良かったね、もう安心だね、と私に幸福波動を送ってくれた。
この女性に見覚えはないけれど、驚かない。
その内、この女性とどこかで出逢うだろう。
もしかしたら、私の過去生の中の一人かな?などと楽しく思いをはせている。
浩さんはもう大丈夫なんだと確信する。彼の顔は既に健康人の輝きだ。
腹水はまだ抜けないけれど、それさえ完了すれば退院できるだろう。
病室の波動がものすごく高い。
幣立の御札に掌を合せた途端に、私の意識は宇宙へ飛び出していく。
瞑想を始めると、すぐに身体の輪郭がなくなって宇宙の一部となる。
私が宇宙か、宇宙が私か、という心境を楽しんでしまう。
意識を体内のミクロに集中してみる。
心臓でも肝臓でもどこでも良い。私はまず、内臓そのものになる。
内臓を構成している細胞になる。細胞を構成している分子になる。
分子を作っている原子になる。そして、陽子、中性子、電子となる。
私の意識が陽子となって体内を見渡す。
そこは、果てしない宇宙が無限に広がっている。
私を他と隔てていると思った皮膚は銀河星団のごときもので、境界線などどこにもありはしない。
皮膚は星屑か、塵か。更に遠くを見つめる。
そこはどこまでも続く永遠の宇宙。息子も娘も宇宙そのもの。
すごい数の星々が瞬いている。
身体の内と外を分けていると思っていた輪郭(皮膚)など幻想でしかない。
微粒子がそのあたり一帯に寄り集まっているだけの通過自由の星団でしかない。
そして、その運行リズムは私の意識ではなく、もっと大きな存在によってコントロールされていることに気づく。
太陽や月などの運行と共に、私の身体も共鳴し合い、営まれている。
宇宙創造の大いなる意志がそこにある。
津留さんの言葉、「あなたが無限なる力を持っているのです。あなたが創造主なのです。」が心地よく私を包み込む。そうなんだ。私とは身体じゃない。ものを思う心が私なんだと納得する。

「手後れになります。すぐ家族を呼んで下さい。」
の医師の言葉に、私はどうしても従えなかった。従いたくなかった。
知らせると、医師の言葉を現実化してしまうという不安と、浩さんは死なないんだということを、自分の意識にしっかりとつかんでいたかったからだ。
不思議物語の登場人物になってしまったような面映ゆさ。
戸惑いながらも現実の話なんだよと自分に言い聞かせる自分がいて、その滑稽な光景を見つめているもう一人の自分がいる。
人間万歳!地球万歳!宇宙万歳!
人間の持つこの無限なる力に目覚めるなら、地球は救われる。宇宙は救われる。
もう、本にある文字だけの世界ではない。
私は文字通り、この美しい地球を再生させることができる。
私だけでなく、全ての人間にその力がある。
誰でも心に正しく思うだけで、地球は確かな千年王国に変っていくだろう。
津留さん達のやっていることが、この一連の体験を通してやっと理解できそうだ。
誰彼なく抱きしめたい高揚感を持て余してしまう。私の生命に感謝する。
私の身体に感動する。
そして、何億年生き続けているのか知らないが、私の霊魂を抱きしめる。


平成7年10月11日

快晴後、大嵐。
浩さんの様態変化に戸惑っている。
10月8日はとても上機嫌だった。
顔つきも良かったので、10月9日、初めて病院行きの休みをもらった。
入院して以来、初めて空けた病室。
浩さんを一人っきりにした一日がこんな形で私を責めるのか。
津留さん達のセミナーに出たかったし、先日の御礼も言いたい、浩さんの好転も報告したかった。
体調は良さそうなので、一日休みをもらった。
津留さん、近藤さんお二人に逢い、報告と感謝。
近藤さんに私のヒーリングパワーのアップをしてもらった。
津留さんからは、これから夫妻での役割が出てくるのでがんばってとの激励をいただき、10月10日、喜び勇んで知恵さん、理恵と三人で病院へ。

そこに待っていた浩さんは、悲惨という言葉以上の状態だった。
「えーっ!どうして!?」絶句する。
目の血管が切れ、片目は真っ赤。
顔から爪先まで、身体はパンパンにむくんで、まるで異次元の人。
たった一日でこの変わりよう。
何が起きたの?一体、何があったというの?地獄から這い出てきた悪鬼の姿・・・。
3人で手分けして手、足のマッサージ。
足首に手を当てると、私の指はズクズクとめり込んでいく。

今日は午前7時半に家を出て、病院へ向かう。
医師からの話を聞くためだ。
見舞は午後3時からなので、病院受付で、医師との約束の旨を伝えると、「それはそれは、大変ですね。どうぞお通り下さい。」と哀しみの顔。
午前9時前に呼び出された患者の家族への話は、既に了解済みの様子。
イイエ、ワタシハ、ダマサレナイゾと心を硬くする。
医師にどんな過酷なことを宣告されようと、私は自分を信じる。
9月11日の入院以来、どんな医療行為もなく、既に死を待つのみ。
家族をすぐ呼び寄せるようにとの話はもう3回も聞かされている。
今日が4回目になるだけのこと。
例え目を血走らせていようとも、全身が倍に膨らんでいようとも、浩さんは今日生きている。その事実を大切に対面してみせよう。
9月11日、入院した時、一ヶ月の生命という天啓を身体が勝手に受け止めたことを思い出す。
今日、生きていることの意味は、峠を越した、浩さんは全快するということと自分に訴えかける。

やはり同じ内容の話だった。
肝臓はもう破れている。腎臓も全く機能していない。癌の転移もあるだろう。
全く処置法はない。痛み止めとしてモルヒネを加える。
モルヒネを与えることで死期を更に早めることになるが、患者の身になれば、どうせ助からない生命、せめて楽に旅立たせてあげたい。
その時は今日かもしれないし、明日かもしれない。
意識がはっきりしているので鎮静剤などで意識の低下を図っていくという。
「ちょっと待って!」の声を飲みこむ。
本当にそれほど痛いのか?
私の目には、時に痛みを訴えるが、その部分に掌を当てると、毎回浩さんの痛みは消えていき、ぐっすりと眠りに入っている。病室で何度も聞く。
「本当に薬がないと眠れないほど痛いの?できれば薬を飲んで欲しくない。自然治癒の力が弱くなってしまうよ。
痛くて我慢できないのなら仕方ないけれど、できれば、薬なしでやってみようよ。
昼間、あなたはそれほど痛がっていないし、痛い時、私の掌を当てれば痛みが消えているよね?明日からできる限り病室に泊まることにするから、薬飲まないでがんばろうよ。」
と。
医師に悪気はないと理性では受け止めるものの、心は「早く病室を空けたいのね。」と責めている。
「助かる見込みがあるのなら、多少の痛みは我慢させますが、助かる見込みはありません。だったら、楽にしてあげましょう。」
医師は医師としてのマニュアル通りの言葉を述べている。
医師を責めたとて、何になろう。
「今に見てろ!モルヒネを使わせない。明日から泊まりこんで、痛みは全て私が消してみせる!これ以上彼の生命力を奪うことをさせてなるものか!」
口に出せない心の叫びを平常心を装って受け止める。
「延命治療は一切いたしません。」これでもかと私の心と身体を切り刻む。
「よろしいですね!!」更に追い討ちの刃が飛んでくる。
「はい、結構です。」冷たい金属のような自分の声に驚く。

医師との会見後、2時間ヒーリングを続ける。
浩さんに反応が出た。尿が出そうだ、起こしてくれと言う。
真っ赤なおしっこがそれでも元気良く、白いビーカーに水しぶきをあげた。
量的にはわずかだが、「これだけ出たのは久しぶり。昨日は一滴もでなかった。」と浩さん。よーしっ、がんばるぞ。次はこの倍の水しぶきを出させるぞと闘志に燃える。
午後、普通便が出た。
嬉しい。私のヒーリングは間違いなく彼の身体を揺さ振っている。
でも、浩さんは喜ばない。
医師から聞かされている言葉が全てで、医師の期待通りの尿の出方ではない、便の出方ではないと言う。こんな便は出ても意味がないんだと訴える。
医師が恨めしい。
なぜ、そんなことを伝えるのか。
全く出なかった尿と便が出た。それだけを、なぜ認めさせない。なぜ褒めてやれない。
なぜ希望を与えない。
「薬を飲んでそれで便が出れば、アンモニアを分解、放出できるんだけど、薬を飲んでいないから駄目なんだ。」
何てことを言っているんだろうと苛立つが、彼を責めても始まらない。
「そうなの。でも、出ないより出た方がいいに決まってるじゃないの。まして、水便じゃなく、普通便なんでしょ?すばらしいことだと思うよ。
私もがんばるから、浩さんも病気は自分で治すんだと強い意志を持ってよね。
病気を治すのは医師じゃない。本人の力なんだから。
医師は手助けしてくれる人なのよ。それだけよ。
浩さんの、絶対に治すぞ、治ったぞという想いの方が大切なのよ。」
と何回も何回も口にする同じセリフを繰り返す。

私の瞑想がかなり深くなっている。目を閉じるとすぐ脳の唸りが始まる。
私の脳の唸りと連動して、浩さんの鼾が始まる。
浩さんの脳が私のそれに共鳴して眠り始める。眠りなさい。
薬なんかなくてもあなたは眠れるのよ。眠りは自然治癒力を高めてくれる。
今日の私は目を閉じさえすれば、条件反射のように脳の唸りが始まっている。
近藤さんにやってもらったパワーアップが効いているのだろう。
通算、病室で8時間。私の脳は唸りを発し続け、少々身体がふらつく。
彼の身体に掌を触れなくても、私は全身で彼が放射する癌の邪波動を吸収し続けている。身体のあちこちでピシッピシッと痛みが突き刺さり、背骨に重い凝りを感じる。
「おいでよ。もっとおいで。もっともっと私の身体に入っておいで。
浩さんの身体より、私の身体の方が、居心地がいいよ。さぁ、皆で手をつないで入っておいで。」
と呼びかける。
浩さんのベッドの周囲は、かなり厚い邪波動が蠢き、暴れている。
手を目一杯天井に突き上げても、邪波動が感じられる。
「頭が痛い。」とこめかみを押す浩さん。
「ココダヨ、ココ。ワカル?」と私の手を取り、その部分に持っていく。
第六チャクラ、第七チャクラに掌を当てるとすぐ、スヤスヤと眠りに入る。
まるで子供が怪我をして、母親の掌を求めるように、浩さんは私の掌を探し求める。
眠りなさい。
たっぷりと眠って、無限の生命力を呼び覚まそうよ。
かつて持っていた、神の力を思い出そうよ。
数億年生き続けているあなたの魂は、そんな弱虫じゃない。あなたには神の力がある。
私のこの力だって、ほんの一ヶ月前、眠りから覚めたばかりだけれど、こんなにパワフルよ。
眠りの中で思い出しなさい。
人間には無限なる力があることを。

昨日より、浩さんに彼の身体で起きていることを教えた方が良いのではないか、という考えに取りつかれている。
毎日彼の側にいて、彼が必要以上に医師を信頼しすぎていることに対し、私は不安を感じ始めている。
鼻血が出たに始まって、些細な出来事の一つ一つをすがり付くように医師に訴えている。医師は黙って話を聞くが、何ら解決法を持っていない。
ちょっとした不快感の訴えに対して、すぐに麻酔で対応する。黙らせる。眠らせる。
それしか医師の治療はなくなっている。
浩さんの甘えが麻酔の量をどんどん増加させているのを、このまま黙って見続けることに、私の心は粟立っている。
多少の不快感は我慢してもらった方が、彼の生命力にプラスになるとの想いが逆巻く。
でも、私に伝えられるだろうか?
それを聞いたとき、彼の心はどのような動きをするだろうか。
それが受けとめられぬほど、大きすぎる衝撃であった場合、私に何ができるだろう。
本来、泣き虫の私は、浩さんに伝えている状況をイメージするだけで、しゃくりあげ、鳴咽する。
私は泣いて、話せなくなりそうだ。そうなると、更に悪い事態に入ってしまう。
「あと一ヶ月、生命がもつことはありえません。」
医師の言葉が甦る。
思い余って、津留さんに助言を求める。
「麻酔をしたから死ぬというものではありません。モルヒネだってそうです。
毒物でも薬と思えば病は癒されます。大元の真理に戻って下さい。
人に死はありません。この世とあの世があるだけです。
この世にいることが善なのか、あの世にいることが善なのか、あなたが決めることではないでしょう。
ベストなことしか起きません。
今、目の前で見えていること、真実だと思っていることは、全て幻なのです。
みんなあなたが作り上げた幻想です。
ねばならない、ということは何もないのです。
あなたの心に浮かぶ不安こそが、あなたの望まない結果を作っていきます。
想い悩むことをお止めなさい。無になることこそが大切なことです。
想い悩むことを止め、無になって、自然の流れを見つめなさい。
こうしてやろう、あのようにしたい、という心が自我なのです。
ご主人が望むなら、医師の行為を全て受け入れなさい。それが死をもたらすわけではありません。
そう思いこんでいるあなたの心が、周りに大きな影響を与えていき、あなたの心が創り出すイメージ通りの出来事を作ってしまうのです。
死は恐いことではありません。
住む場を変えるだけで、ご主人の魂は、今までと同じように生き続けています。」
「私の仕事が彼の心をマイナスに向けてしまったんです。
この一年半、彼は大きすぎるストレスを抱えてしまい、毎日毎日、愚痴ばかり口にしていました。
恨み、憤り、満たされない心のはけ口を求め続け、病いを大きくしてしまいました。
彼にはもう、好きなことをさせてあげたいのです。
だから、このままあの世へ行かせたくないんです。」
「それが自我と気づいて下さい。
彼の病いがあなたのせいだという考えも、あなたが勝手にそのように決めているだけです。彼は今、好きなことをやっているのです。
彼の魂は喜んでいます。
あなたは今、懸命に、彼に愛を注いでいます。
何も決めてはいけません。
心を無にするのです。
それより、あなたのヒーリング能力が上がったことを喜びましょう。」
「医師の仕事も、彼の言葉も、全て受け入れなさい。
ベストのことだけが起こります。
あなたが駄目だと思ったとき、駄目だと思ったそのことが起きます。」
私は泣いてはいけない。不安になってもいけない。
どこまでも明るく、浩さんの幸福、健康な姿だけを心に描き続けること。
モルヒネの投与量がどんなに増えようと、心にかげりが起きないよう、心を無にしていくこと。
自分の心との対話。
津留さんに御礼を言って電話を切る。


理恵と一緒にレモン入りの塩湯に入る。
「今朝パパの声で『リエ、起きろ!!』って聞こえたの。思わず『ハイッ!』っと言って飛び起きちゃった。」
と笑いながら話してくれた。
浩さんの魂が、身体から抜けて、家に帰ってきたのだろうか。

夜明け前 第7章

平成7年10月21日

初七日が過ぎてしまった。
嵐の中にいるのか、夢の中にいるのか、まるで時間という観念が私の中から消えていった。何が起きたのか、どこで配線ミスをしてしまったのか、バチバチとスパークしたまま私は大きな渦に巻き込まれ流され続けている。
配線ミスから生じる現実の時の流れ、タイムテーブルに嫌でも身体は組み込まれ動かされていく。
今日が何日で、何時で、そしてあの瞬間からどの位の時間が経っているのか、確かなものは何もない。
ただ感ずるのは、身体の中に何かが胎動し続けていること。
24時間、体内が唸りを発し続けている。
こうして、久しぶりにペンを取っているこの瞬間も、脳が唸りを発し、体外へその波動を出し続けている。
モア〜ッとした電磁波の塊のようなものが頭頂より天に向けて昇り続けている。
以前、痺れ感覚は左手だけだった。
葬儀後、左背中(心臓の反射点?)を中心に痺れが渦を巻き始め、右手にも広がった。
何をしているときも、この唸りと道連れ。
夜、ベッドに横になると、全臓器がそれぞれ独自の唸りで振動し、その唸りの集合として身体全体が大きなひとつの心臓と化し、呼吸し、震えている。
誰に対し、何に対し電波を発しているのだろう。
浩さんの魂に呼びかけているのだろうか。
逆に、彼の魂からの呼びかけに反応しているのだろうか。


10月12日、病院側から特に何も言われなかったが、浩さんの夜の状態を知りたくて泊まることにした。
背中、特に右側の背中(右胸にカテーテルが挿入されている)が痛んでいる模様。
それと、腹水によって二倍くらいに膨れてきた両の足がだるいようで、足のマッサージと背中へのケアーをすると、彼は安らぎ、短いが深い休息に入っていく。
夕方4時頃から断続的に続く痛みに、私の瞑想とマッサージ、ヒーリングが続いた。
足の裏から甲へ、足首へと下部から順次、脚の付け根に向けて浮腫の砂を少しずつ少しづつ押し上げ、リンパ節へ流していく。
指を入れると彼の身体に私の指の跡がくっきりと現れる。
すぐに溝が出来上がり、土手ができる。
海辺で砂遊びをしているような虚しさだ。
それでも気持ちが良いらしく、荒れていた呼吸は穏やかなものに変わり、一時の安らぎに浩さんはまどろむ。
右足だけで1時間、次は左足。まどろみの後、背中を叩いてくれと言う。
右背中に1時間、左背中に1時間。これら一連の流れが午前4時頃まで続いた。
この間、自力での排尿は、最初20〜30cc位だろうか、少しづつの排尿ではあるが、それでも4回、だるい身体を鞭打ちベッドから起き上がった。
便は黒と黒褐色で、糊状のものだった。
それにしても昼と夜とでは別人のよう。
今まで面会時間終了の夜8時になると帰宅していたので、この夜の苦しみが解からなかった。浩さんはまるで狂暴なサタンのように荒れ狂った。
心臓の血管に直接挿入されている栄養補給チューブを何度も引き千切りそうな様子を見せる。
こんなにも苦しんでいたのか。
麻酔でもモルヒネでも打ってあげて下さい。
何も知らない私が愚かでした。
ごめんね。できれば我慢しようねなんて言った私の言葉は粉々に散っていきました。
夜中、静まりかえった病棟に浩さんの声だけが大きく響き木霊する。
ガアーッと何度も何度も痰を吐く。
膿の色と血の色、痰を包んだティッシュは瞬く間にベッドの周囲に散乱していく。
朝方、酸素マスクと心電計を付けられる。
血圧が下がっている模様。
それでも浩さんはがんばって、サタンと闘っていた。
午前6時過ぎ、浩さんはやっとおとなしくなり、眠り始める。

今日の太陽が窓いっぱいに降り注ぎ、病室は春の日差しを思わせる明るさに包まれる。
彼は治る、回復する、退院するという想いの私は、彼の本当の苦しみを見ていなかった。解かっていなかった。
生命を取り戻すため、避けては通れない関門のひとつととらえ、ただただ無事に神の試練をやり過ごしてくれることのみを祈っていた。
何て愚かな楽天家なのか。
こんな私をあなたはうらんでいるでしょうか。

10月13日午前中、浩さんは200cc位の排尿をした。嬉しかった。
「やったね。こんなにたくさんのおしっこ。何日ぶりなの?凄いよ!次はこの倍だね。」
勢い良く排出された尿に私は生命力の躍動を見ているつもりだった。
昼間、津留さんとの電話での遣り取り・・・・

「浩さんのことを調べてもらったよ。
99.9%駄目だったが、今や50%まで生存率が上昇している。もう一息だ。
氣が身体に通っていない。腹水が氣の流れを遮断している。
明日、氣を通そう。今、その準備をしているよ。
彼を北枕にして、塩枕、塩足枕にする。背中一面に塩を敷き、お腹に塩を乗せる。
それで、氣が全身を流れ始めるよ。もう大丈夫だ。やったね。
塩12Kg、明日持丸が病院へ持っていくよ。もう大丈夫だ。」

勝った!
私と浩さんは絶対に生存不可能と4度にわたり宣告された病魔に勝てるんだ。
奇跡を起こすことに成功するんだ。
私は悦びで有頂天になった。
ありがとう神様。
浩さんが全快したら、この体験を広め、神の存在、心の大切さ、宇宙の真理を一人でも多くの人に伝えていきます。
感謝と感動で私は1日病室で明るかった。
もう一日病室へ泊まるつもりだったが、浩さんから「帰っていいよ。」と言われ、何も食べていない彼に暖かい玄米粥を食べさせたいとの想いから、帰ることにした。
電話で知恵さんに保温弁当箱を買っておいて欲しいと依頼。
「明日、美味しいお弁当を持ってくるね。もう大丈夫だよ。今からどんどん元気になるよ。おしっこもいっぱい出せたし、がんばろうね。」
とどこまでも全快を信じている、屈託のない私だった。

どこで紐を掛け違ってしまったのか。
私は信じていた。悦びに沸き立っていた。
明日、午後1時、面会時間スタート後、塩による氣を通すヒーリングで浩さんの闘病ドラマは奇跡のクライマックスを迎える。
医師の困った顔が浮かんで消えた。
すごーい!!嘘じゃないんだ!!本当にやれたんだ!
これまで読み続けてきた不思議の世界の生き証人として、私は創造主の存在、意識のパワー、人間の持つ本来の能力などを広めていくんだ!
神よ、ありがとう。
どこまでも舞い上がっている私だった。
だから、10月14日、午前6時45分、病院からの電話を受けても落ち着いていた。
「呼吸が細いので酸素マスクを付けました。心電計を付けました。意識ははっきりしています。できるだけ早く来て下さい。」
昨日と同じ状況しか思い描けなかった。
昨日も同じ時間、同じことが起き、マッサージなどによって浩さんは回復し、とても元気だった。
私が昨夜帰る時も、背中を叩いていたからだろうか、ぐっすりと眠り込んでいた。
今日の午後1時からもっと楽になるから待っていてね。
看護婦の感情のない事務的な話し方に私は全く危機意識を持たなかった。


平成7年10月22日

時だけが無意味に通り過ぎていく。
私の身体は空洞になってしまったように、魂が開きっぱなしの頭頂から抜けていく。
全身が小刻みに振動し続けている。
ベッドに横になると体内の唸りが感じられる。
急に涙が出てきたり、何ともなかったり、私の心はコントロールの埒外で遊んでいる。
朝、昼、夕、知恵さんが作ってくれる食事をただ食べるだけの生活。
身体に力が入らない。絶えず頭が唸りを発している。

10月14日、病院からの電話を受け、塩と、シーツの上に乗せる塩を入れる袋としての大きなゴミ袋、ガムテープなどを用意して出かけようとしたその時、とても明るく美しい太陽に足が止まった。
太陽に向かって座り、浩さんの全快を願って瞑想に入った。
それほど私は危機意識を持っていなかった。
瞑想中、救急車のサイレンがうるさく響いた。
「こんなに朝早くなんだろう?いやだなあ。」
との思いに不吉な感じを受け、瞑想を止め、家を出た。

大手町乗り換えのため、西葛西のプラットホームを端まで前に進んで立つ。
その時、左目が虹を見る。
「え?こんないいお天気なのに、虹?」
と意識を虹の方に向ける。
もちろんそんなものは現実に見えはしない。
幻視と言うのだろうか、現実には存在していない虹を私の感覚は捕らえていた。
電車に乗る。
なぜ虹なの?
虹の意味は?
浩さんの状態が下り坂を転げ落ちていた時、津留さんからの連絡で、
「明日、近藤さんと一緒に病院へ行くよ。亀有駅改札で午後1時、待ち合わせしよう。」
と言われて亀有駅に向かう千代田線の中、日の光が当たった私の左手の甲一面にキラキラ輝く粒子、赤、橙、黄、青…。虹を粉々に砕いた粒子のようなものが付いていた。
その時の不思議な感覚。ずっと手を見つめていた。
あれは何だったのか。
そしてプラットホームで感じた虹。
このふたつの出来事に共通点はあるのか。
手に付いた虹の粒子。
その日、呼吸停止になりかけていたが、近藤さんたちのヒーリングで驚くほどの回復をした。
そして、この虹を見た日、午後1時より塩ヒーリングによって回復が確定する予定だった。


病室に着いた時、18号室は医師と看護婦、そして物々しい心電計のピーッピッと鳴る音や機械類で臨終を演出する舞台が完成していた。
浩さんの身体はベッドの下の方へずり落ち、苦しそうな呼吸をゆっくり、ゆっくりと繰り返していた。
そんなばかな!
一体何が起きたの?
私は浩さんの身体に取りついてすぐにマッサージを始める。
医師や看護婦が18号室から消え、私と彼の二人っきり。
「さあ、どうしたの?回復するのよ。健康になったのよ。」
足、腕、頭…。途中から掌に塩を擦り込み、彼の身体をどこかまわずマッサージを続ける。身体中が唸りを発し、頭から、額から大粒の汗が噴き出し、体表面を流れ始める。
「呼吸が楽になる。呼吸がしっかりしてくる。癌は消えた。」
どの位時間が経過しているのか私には解からない。
津留さん、近藤さん、持丸さん、急いで、急いで。
すぐここに来て。
私一人じゃ力不足。
助けて。早く。早く。
徐々に焦りが出る。看護婦さんに依頼して知恵さんを病院に呼んでもらう。
今は例え一秒でも浩さんの側を離れるわけにはいかない。
一時も私の掌を、私の唸る身体を浩さんから離すことはできない。
津留さんを呼んで。
近藤さん、持丸さん、早く来て!
私を助けて!
心で虚しく繰り返す叫び。
どの位たった頃か解からないが、浩さんの呼吸が大きくなった。
よし、いいぞ!もう少し。
途中途中、医師や看護婦が様子を見に来ていた。
浩さんの呼吸が大きくなったと感じた直後、医師が入って来て怪訝な顔付きで浩さんを見つめ、それから私の動きを見つめた。
「塩か。」ポツリと口にし、医師は部屋から外に出てしばらく後、「奥さん、ちょっと。」と呼ぶ。
「え?今、離れられません。」
「ちょっとですから。」
の言葉に促され、仕方なく浩さんから離れる。
「他に誰か来ますか?」
「いいえ、私だけです。」
「そうですか。」
すぐに病室に戻り、再び必死のマッサージをし始めているとき、医師と看護婦が入ってくる。
看護婦が酸素マスクを外し、チューブを口に差し込む。
口内のものを吸い出す。
何をしているんだろうと思いつつ、それでも私は全神経を両掌に集中し、彼の身体を隈なくマッサージし続ける。
視界のはしっこで、チューブを随分奥深く差し込んでいるところを見る。
そんなに深く差し込んだら浩さんが苦しがる。
むせてしまうよとの思い。
その時、そのチューブに赤い液体が流れ込んだ。
医師が浩さんの左手首を取り、「○時○○分です。」の言葉。
悪い冗談はやめてちょうだい。
あなたたち、何をやっているの?
「奥さん、ちょっと。」の言葉で始まった一連の流れ。
スローモーションで脳裏に再演される最後のドラマ。
ちょっと待って。
なぜ、チューブを入れるの?
なぜ、そんなに奥深くまでチューブを差し込むの?
浩さんの呼吸は大きくなってきたばかりだったのに!!
あの大きくなった呼吸は死を意味するものだったの?
医師たちは規定通りの役割を静かに、そして冷酷にこなして去っていった。
浩、浩!駄目だよ。もう少しだから。
1時にはみんなが来てくれる。
だから辛いだろうけれど、もうしばらくがんばって!
あなたは回復するのよ。
退院して一緒に温泉にいくのよ。
楽しく明るく暮らすのよ。
心で呼びかけ続け、マッサージを続行する。
浩さんの掌が冷たい。
暖かくなれ。
血液よ、全身を駆け巡れ!
さあ、生命の火よ!燃え上がれ!
悲しみなどなかった。
ただただ、浩さんの呼吸が再度始まることだけを想い、全身に塩を塗りつけながらマッサージを続けた。
知恵さんがやってきた。
津留さん、近藤さん、持丸さん、それぞれの連絡先を伝え、状況を伝えてもらい、彼らの反応を待ちつつマッサージを続ける。
医師、看護婦が何度も病室にやってくる。
「奥さん、病室を出てくれませんか。御主人の身体を整えなければいけません。腹水を抜いて、綺麗に洗ってあげなければいけません。時間が経つと身体が硬くなって、手を組んだり、笑顔を作ってあげることができなくなります。」
「もう少し、もう少し居させて下さい。」
と粘りながらマッサージを続ける。
浩さん、時間がないのよ。
早く、早く目覚めてよ。起き上がってよ。もう時間がないのよ。
お願いだから急いでよ。
「もう、これ以上待てません。部屋を出て下さい。」の医師の声に押し出される。
「見てちゃだめですか?」
「駄目です。出て下さい。」
知恵さんと二人、廊下に出される。
理恵に電話をする。
そんなばかな。
夢でも見ているよう。
喉が渇く。
知恵さんに水を買ってきてもらい、1リットルのペットボトルを抱えゴクゴク飲み続ける。ペットボトルを持ち歩き、山手へ、片山へ、その他連絡を入れ始める。
何時に他界したのか、その時間が解からない。
医師の宣告した時間、○時○○分。
聞いてなんかいなかった。
公衆電話で毅司の電話番号を何度も押すが、応答なし。

それから看護婦の指示による一連のドラマ。
地下の霊安室。
浩さんは呼吸をしている。
私には聞こえる。
でも、目を開けてくれない。
起き上がってくれない。
いいよ。もう少し待つよ。
葬儀の最中に目覚めた人だっているんだもの。
もう少し待ってもいいよ。
必ず目を開けてね。
あなたは死んじゃいない。生きている。
呼吸が見えるもの。音が聞こえるもの。
霊安室でも飲み続ける水。
家まで運ばれ、やっと毅司に電話が通じる。
思ったほど涙が出ない。
だって生き返るんだもの。
そうなんだもの。
待ってるよ。
あなたが起き上がるのを・・・。

夜明け前 最終章

平成8年3月21日

通夜の読経の中、いまだに私は万に一つの奇跡を待っている。
喪服に身を包み、夫の遺影を見つめているとき彼の写真が光り輝き、笑顔で彼が語りかける。
「おい、なんて顔してるんだよ。俺は今とっても幸せなんだ。ハッピーだよ。お前も俺と一緒に笑えよ。すごくいい気持ちなんだ。」
「え、本当?本当にハッピーなの?」
「そうだよ。気分爽快だよ。」
「ふ〜ん、そうなんだ。幸せなんだ。」
私の右隣に座っていた娘、理恵が私の腕をつかみ、
「ねぇママ、パパが笑ってる。光ってるよ。」
「理恵にもそう見えるの?ママと同じだね。今、パパが笑ってとても幸せだから、ママにも一緒に笑ってくれと言ってきたよ。」
「うん。パパ楽しそうに笑ってるね。」

三日三晩眠っていなかったためかもしれないが、それからの私はハイ状態に入ってしまった。
浄めの宴のとき、もう自分では心が制御できない。

「通夜の席にお集まり頂きありがとうございます。浩さんはとても幸せなんですって。とてもハッピーだから私にも一緒に笑ってくれって言うんです。
彼が幸せだから私も今とても幸せなんです。
彼のために皆さんも楽しくお食事して下さいね。」

この態度はまずいよ。
世間の通念では悲しみに沈む場面で、喪主である私がこんなにはしゃいではとんでもない妻だ、夫が死んだことを悦んでいると受け取られてしまう。
まずいよ。これは絶対にまずいと自我は慌てふためき、たしなめるのだが、お酒を持って酌をしてまわる私の声は明るく、笑顔を止められない。
その場にいる人たちの驚いた顔を感じながらも、ハイ状態を止めることができない。
冷静になれと咎める自我とはしゃぐ私。
そして、
「いいや。誰が何を思おうと、浩さんの魂が幸せだと語り、共に喜んでくれと言っているんだもの。それにスッポリ包まれ、はしゃいでいるこの人のやりたい様にさせてあげよう。
親戚や友人たちにどのように思われようと、この人は大丈夫。
それで傷つくような人ではない。
思いのまま行動していいよ。おやりなさい。
浩さんの魂と一緒に遊びなさい。」
という第三の私であるらしい声を聞く。

「どうしてもっと早く知らせてくれなかったの?」
「せめて生きている間になぜ母親を呼ばなかったの?」
浜口家親族からの当然の批判、お叱り。
何度も悩みながら、でも私は母に連絡できなかった。
浩さんを回復させることしか考えたくなかった。
母や浜口家の親戚の方々からどんな非難を受けようと、浩さんの死のドラマを中止にさせたかった。
医師から4度目の死の宣告を受けたとき、息子に電話し、彼の父の状況を詳しく説明し、私のやろうとしている、また、やっていることを話した。
「母さんのやりたい様にやっていいよ。
山手のばあちゃんには怒られるだろうけど、医者が手放しているんだから母さんの可能性をとことんやっていいと思うよ。
僕は母さんの考えに賛成するよ。」
22歳の息子は私以上に冷静な声で私を励ましてくれた。

10月14日、病院から母に電話で浩さんの死を告げたとき、
「えっ…。原因は肝臓だね。いつからなの?なぜ、もっと早く伝えてくれなかったの?」
「………。申し訳ありません……。」

申し訳ありません、この言葉以上に何が言えるだろう。
私に言える言葉はこれだけだった。
母もすごい人だと思う。
この時たった一度、なぜもっと早く生きているうちに伝えてくれなかったかとの言葉を出しただけで、それ以後は恨みがましいことや私を非難する言葉を発することはなかった。言いたいことが胸一杯にあるだろうに、母はよそよそしいくらい冷静であった。
母の夫、浩さんの父親も肝臓癌で亡くなっており、常日頃から浩さんの肝臓の状態が良くないことを知っており、彼の顔を見るたびにお酒を控えるよう口にしていた母だった。
諦めと憎しみであろうか、心の奥深くに押し込めた憎しみの感情を、私は創り出してしまったのかもしれない。
ごめんなさい。
でも、私も覚悟をして選んだ道です。
母の心に根深い憎しみの感情を呼び起こしてしまったとしたら、その責任は私にあります。母の心が癒されるまで、そのエネルギーは私が受け止めます。
黙して語らない母の心、同じく黙して語らない私の心があった。


ブリスベンからの飛行機便が取れず、息子の帰国に合せる形で葬儀は10月17日と決まり、浩さんの身体は3日間ドライアイスで保護されることになった。
彼の身体はドライアイスの働きもあり、触るととても冷たいけれど、皮膚の弾力は一向に変化しない。
死後硬直が始まるから早く病室から出て行けと急かされたのだが、焼却寸前も彼の身体はどこに触れても柔らかい。
生きているときと寸分違わぬ弾力をしている。
相変わらず娘と私には彼の呼吸が見え続けている。
お願いだからもう冗談は止めて。
起きてよ。
今ならまだ間に合うのよ。
肉体が焼かれてしまったら、あなたの帰るべき拠り所がなくなってしまうのよ。
お願い、目を覚まして。
火葬場の人が驚くほどがっしりとして大きく立派な骨が私の目の前に表われるまで、まるで呪文のように心の中で繰り返し、繰り返し、彼の魂に声をかけ続けていた。
48歳、早すぎる死に骨は対応できず、最も大きな骨壷にさえ彼の身体を形成していた骨は入りきらず、係りの人に捨てられてしまった。


肉体は滅びても、魂は永遠不滅であるということをいくつかの書物から知識として得ていたが、肉体を持つ人間としての浜口浩との33年間の付き合いが終り、形を持たない魂との付き合いが始まったことで、輪廻転生という概念は単なる知識から具体的実証へ移行していった。

葬儀開始前、まだ他の人が来られていないとき、ヘブライ文学博士手島佑郎氏がお見えになった。
誰もいないこともあって、私は氏を夫の遺体へ誘った。
氏は夫の耳元に顔を寄せ、囁くように話しかけられる。
まるで夫が生きている人であるかのような接し方に、何を語りかけていらっしゃるのか、近くによって聞きたいと思うのだが、そうしてはいけないという内なる声が私を引き止める。
それはあまりにも神聖で侵してはならない空間を創り出しており、ただありがたくて涙が静かに流れていた。
不思議だけれど、大きな愛の存在を感じていた。
遺体から離れ、氏が私の方へやってこられる。

「あなたは幸せな人ですね。浩さんの大きな大きな愛に包まれている。
愛する妻や子供達を守るために、彼は肉体を失うことを選びました。
肉体があると何かと不自由で、十分にあなたを守れないからです。
肉体を捨てて、エネルギー体だけになった方が、彼は思う存分あなたを守ることができるようになります。
あなたは自分がどれほど彼に愛されているか、幸せであるか、その内に解かる日が来るでしょう。」

氏の言葉は大きく温かく私を包み込んでいく。
そこは現実に進行している事象とは別次元、別空間であり、音はなく、透明な時間枠。
私と手島氏と夫の3人だけが呼吸している。
その後、毎日、氏から思いやり溢れる、優しく、穏やかな声での励ましをいただく。
私の声が生命を取り戻した日まで氏からの電話は続いた。
ありがとうございます。


納骨のため、呉に子供達と共に帰郷。
骨壷を入れた桐の箱は形通り白い布に包まれており私の胸の中。
新幹線内で私は周りから隔絶されている。
何か変だよ。
平和な日常の映像からはみ出している自分の姿を無感情で見つめる。
こんな役柄が私の人生ドラマに組み込まれていたなんて、これは本当に事実なの?

納骨の日は朝からどんよりとして、はっきりしない天気だった。
浜口家の墓所へ行き、彼の骨壷を納めようとすると、骨壷が大きすぎてどの方角から入れようとしても入らない。
仕方なく、母は既に納められている小さな骨壷を取り出し、内部の骨をすべて出し、その壷に彼の骨を入れ始める。
勿論、その小さな壷には彼の骨は納まりきらない。
誰の骨か分からないが、出された骨はそのまま墓石の内隅に置き、余った彼の骨は風呂敷きでくるんで墓石の中へ納めてしまった。
辺りは暗くなり、雨が降り始める。
雨の中、私は祈る。

「どなたかは存じませんが、お許し下さい。あなたの骨を出してしまったことを深くお詫び申し上げます。あなたに対する意図は全くありません。
母の行為は息子かわいさ故の行動です。どうぞ、ご理解して下さい。
もし、許せないとお感じになるなら、その責はどうぞ私に与えて下さい。
母や弟、息子、娘にその責を与えないで下さい。
私の夫です。
全ての責任は私に取らせて下さい。
私の願いをお聞き届けいただけるなら、その証として、どうぞ天を割って私にお知らせ下さい。」

本格的に降り始めていた雨が途中で急に止み、雲が切れ、夕陽が差し込んできた。
「ありがとうございます。感謝いたします。」
再度、祈りを捧げる。


葬儀が終り、数日後あたりから少しずつ我が家を訪れ始めた人たちがいる。
津留さんや近藤さんのような特殊な能力を持っている人たちである。
この人たちは来るたびに
「浜ちゃん、お父さんがビールではなく、ウィスキーが欲しいと言ってるよ。それと、雑煮を食べたいんだって。」とか
「お父さんが麻雀をしたがってるからやりましょう。」
「なるほど!お父さんはこんな風に麻雀をやるんですね。」
「あ、これを捨てるんですね。」など夫に会ったこともない人たちでも、夫の全てを知っているかのように夫の要求を私に向けてくる。
不思議だけれど、どの言葉も否定できない。
確かに夫の言葉である。
夫の魂は常に私と共にあるようで、いつでも望むとき、私は彼らを通じて夫と話ができるという生活が続く。

ある時、台所で食事の支度をしていると、「ねぇ、ママ。ママって気管支が弱いの?」と晶美嬢(12月22日、我が家に居候していた持丸青年を尋ねて現われたその日から同居状態になっている。)が聞いてくる。
「そうよ、どうしたの?」
「ママのパパがね、タカコは気管支が弱いのにたばこを止めない。何度もたばこを止めるように言ったのに、ちっとも言うことを聞かない。頼むからタカコにたばこを止めさせてくれって言うのよ。」
「あら、自分だってお酒を止めなさいと私がどんなに頼んでも止めなかったじゃないの!それと同じよ。」
晶美嬢を間に挟んで私と夫の会話は続く。

「浩さんって私を守るために生れてきたのね。」
「ばかやろー。今ごろそんなことが分かったのか!」

またある時、晶美嬢が急に大きな声を出す。
「もういい加減にしてよ!私はパパの通訳のためにここに居るんじゃないのよ!」
「ママってすごいね。ものすごくパパに愛されてきたんだね。
パパ、うるさくてしょうがないよ。
ずっとママはこうだ、ああだと、ママのことばっかり喋り続けているのよ。
こいつは強がっているが、本当はとても淋しがり屋で泣き虫だから、一人じゃ生きられない。ずっとこいつの側についていてくれですって。一日中ママのことばかり喋ってるよ。」

別の日、
「ママ、パパが泣いてるよ。
本当は俺が何でもやらなきゃいけなかったのに、自信がなくて逃げてばかりいた。
何でもこいつ一人にやらせてきた。
最後の最後でも俺は楽な道を選んだ。
本来なら俺が頑張って生き残り、家族を守らなければいけなかったのに、またこいつに苦労させることをしてしまった。」
話しながら晶美嬢は涙をボロボロ流し、泣きじゃくっている。
「ママ、私が泣いているんじゃないのよ。パパが泣きじゃくって喋るから、私もこうなっているだけよ。」
「大丈夫よ、浩さん。私がこれまでやってこれたのはあなたが側に居てくれたからだし、これからだってあなたはこうして私の側についていてくれているんだもの。あなたには感謝の気持ちで一杯よ。」
「またお前はそう言う。いつもそうだった。それが俺は辛かったんだ。
お前は俺には大きすぎた。」
「お前はいつもそうやって俺を許してきた。その都度、俺は一層辛くなっていたんだ。」
「ごめんなさい。でも、私の本心よ。いろんなことをしてきたけれど、あなたが居たから、その優しさ、安心感に守られて好き放題なことをしてこれたのよ。
もし、あなたが居なければ、私は世界中を一人で歩いたり、会社をおこしたりできなかったと思うよ。
あなたが側に居てくれたからこそ、私は自分のやりたいことをやり続けてこれたのよ。
あなたの手の中で自由に遊ばせてもらったのよ。
だから、自分を責めないで。
15歳のときから、これほど深く愛されている女は、私以外にはこの世に存在しないと思うほどの大きな愛をもらってきた。心からあなたに感謝しているわ。」


夫の霊魂は常に私と共に生きているようで、平成8年に入り、ある日T・H氏より
「浜ちゃん、あんたのパパは四十九日もとっくに過ぎているのに、あんたの側から離れない。このままじゃまずいので、俺が上に上げようとしたんだが、上がってくれないんだよ。タカコが上に上がってくれと頼むのなら上がってもいいが、そうでないなら俺はずっとタカコの側に居る。
あんたが何をやっても俺は上がらないってダダを捏ねてるよ。このままの状態は良くないので、やり方を教えるからあんたがパパを上に上げてくれ。」と言われる。
「それと、パパの骨をこの家に取ってあるだろう。それもいけないね。
パパの未練がここに縛り付けられている理由はそこにもあるからね。」
娘がパパの骨が欲しいと言うので持たせていた。
娘と話しをしてパパの骨を綺麗な海に流してあげようということになった。


私は小さい頃から日本の墓というものがどうにも好きになれなくて、子供達に何回も聞かせ続けてきた私の肉体の最後の宴がある。
火葬場のあの狭い箱の中で焼かれるイメージほど恐いものはない。
「もし、ママが死んだら、その時はママの体を海の見える広い丘の上か、海辺に持っていき、薪を組んでその上に乗せ、ママを葬ってくれる人みんなを呼んで、キャンプファイヤーのように円陣になって歌ったり踊ったり、美味しいものをいっぱい食べてもらって、みんなでママと一緒に生きて楽しかったことを語り明かして欲しいの。
みんなで笑いあって欲しいの。
泣かれるより笑って送ってもらいたいの。
みんなが楽しく騒いでいる真ん中で風に吹かれて燃え上がる火の美しさを共有して欲しいの。
ママの骨の一部が風に流されるなら、流されるままにして欲しい。
そして、骨が残っていたら、それを小さく砕いて綺麗な海、そうね、エーゲ海も良かったなぁ。
エーゲ海でもどこの海でもいいけれど、透き通った綺麗な海に全部流して欲しい。
ママはこの地球が好きだし、旅が好きだから、まだ見ていない地球を海流に乗って見続けていたいのよ。
魚の体に入ってもいいし、形がどう変わろうと、この地球の生命として循環していたいな。これがママの願いなの。
具体的に実行するのは大変そうだけど、可能な方法があったら、そのようにママの最後を締めくくってね。お願いよ。」
「法律に違反しないで母さんの望みを叶えさせるのは大変だよ。」息子はぼやいていた。

自分のとき、それができるかどうか分からないが、夫の骨の一部がある。
この骨を私流の葬儀で送ってあげようということで、息子の第2の故郷でもあり、私たち夫妻が、生活が落ち着いたら家族全員、こちらで暮らそうかと話したことのあるオーストラリア・ゴールドコーストの海に夫の骨を流すことになった。


浩さん、あなたの心をこの美しい地球、海に委ねます。
楽しんで下さい。
あなたは一人では絶対に海外に行くのを拒んでいましたね。
私が一人で海外に出かけるのは構わないけれど、自分で海外に行くのは私が一緒でなければ駄目な人でした。
でも、今回は先に行っていて下さい。
その内、私もあなたに合流します。
美しい海を、その時は二人で思う存分楽しみましょう。

― 完 ―

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