てんみくろん

そよ風にのって 第1章

 29歳の時、夫と長男を日本に残し、単身渡米。休日と夜間に仕事をさせてもらいながらカレッジに通い、カリフォルニア州認定のエレクトロロジストの資格を得て、30歳で帰国。帰国した翌日より、一台の電話機、一個の机、一台の脱毛ベッドを用意し、銀行からの借入金80万円(無名の主婦にお金を貸してくれる銀行はなく、夫の名義で借りた。)で、ビジネスをスタートした。それ以降、16年間、それこそ1日24時間、1年365日、片時も休まないで働きづめに働いた。それはそれで、とても面白く、楽しかった。悔いは無い。主婦がたった一人で始めたビジネスは、いつのまにか拡大し、全国にサロン数25店、エステティック学院、販売会社の経営等で、社員数200名、年商約30億円になっていたが、最終的に約10億円の負債を抱え、倒産。残務処理以外にする事が無く、あり余る時間を神から与えられ、毎日が日曜日。散歩や読書がその時の私の生活だった。あれから、4年。私の人生は、180度変化したし、価値観が変り、心が変った。ぺしゃんこだった心が、まんまるに膨らんで、「今」という瞬間を心残りなく楽しんでいる。不安も嘆きも怒りも無い。あるのは、「今」を生かされている事への悦びと感謝だけである。目の前に起きてくる事の面白さで遊ばせてもらっている。ご迷惑をおかけした人々や企業に対しては、本当に申し訳無いと思う。

  私は、ここ1年以上テレビを見ないし(3台あったけど全部捨てた)、新聞も読まない。ラジオも聞かない。週刊誌も読まない。いわゆる世間で起きている出来事に興味が無い。興味がないというより、積極的に知りたくないといった方が正しい。知って嬉しくなるようなニュースがないからだ。耳と目を閉ざしていても、知っておく必要のある情報はどこからか必ず伝えられるから、それで良いと思っている。そんな生活の中、勧銀がどうした、総理がこうしたと風が教えてくれる。また、つぶれる心が沢山さまようことを少し残念に思うが、それも悦びの人生に出会う為の体験と考えれば、すばらしい出来事なのかもしれない。無責任に聞こえるかもしれないが、どんな状況だって、それを受け止める人の考え方一つで、その出来事は天国にもなれば、地獄にもなる。出来事は、出来事でしかない。出来事に意味をつけるのは、それを受け止める人の考え方一つ。どうぞ、心、お大事に!

  なぜ、このPo−Ra−Star Newsを出そうと思ったのか。「女が変れば、地球が変る」との思いが、その動機の一つではありますが、どうやらそれだけではなさそうです。創刊号を発送し終わって、さて、2号はどうしたものか、何を書けばいい?中身の無い頭と心に問いかけます。そんなある日、ひらめきがやってきました。「平成8年に体験した不思議な旅の数々があるでしょ」の声。2度の引越しでもなくならず、その時のメモは机の奥深くに眠っていました。イスラエルの旅のメモを久しぶりに整理していると、埃にまみれた3冊の原稿用紙まで出てきました。平成7年9月11日に緊急入院した夫との緊迫した状況を書きつづけていたものです。原稿用紙約150枚、読み返してみました。書き続ける気力が途中で無くなってそのままになり、忘れられ、放置されていた原稿が愛しく、誰に見せなくてもいい、息子、娘が、その内読むときもあろうと、最後まで書き続けてしまいました。読者は、息子と娘のみと思っていたのに、「出しなさい。そのために完了させたのよ。」との内面からの声。少し抵抗する自我がある。「手放しなさい。在るがままの自分をさらけ出すと決めた筈よ。誰もあなたを傷つけることはできないわ。手放しなさい。裸になりなさい。」内面との対話が2日ばかり続いたが、今日は久しぶりの快晴の空、いつも必ず来てくれる、黄、白、うす紫、灰色、黒白の蝶達の舞いを見ていると、心は自ずとおだやかになり、全てを受け入れようと決めました。

1998.10.2記

そよ風にのって 第2章

6歳の頃、私は、3年間、死と対面する経験をした。祖母の死、おばの新生児の死、祖父の死である。夕方になるとベランダへ出て、祖父や祖母達はどこへ行ってしまったのかと、泣きながら一番星に話しかけていた。その結果、死と闇を恐怖する子供時代を過ごしてきた。昼間は屈託なく遊べるのだが、夜眠ると、底無しの井戸のような闇の中へどんどん落ちていく夢を見続け、眠るのが恐く、いつまでも電気を灯けて起きていたりしたものだ。
答えのでない質問を、自ら創ってしまい、考えると味わうのは恐怖ばかりという日常の中で、中学生の頃、私は夢で幽体離脱をした。その時は、幽体離脱という言葉は知らなかったが、その夢は私を完全に捉えてしまった。死んでいる私の側に父と母がいる。私は天井あたりに浮いていて、「お母ちゃん、お父ちゃん、私はここにいるよ。こっちを見てよ。そこに眠っているのは私じゃないよ。私はここにいるよ。」大声で呼びかけるのだが、両親の耳には届かない。辛く、悲しい夢だった。
高校生になった時、この逃げられない私の心の闇の部分に手を差し伸べてくれたのが、夫となる浜口浩だった。自分の肉体が全くなくなり、私の存在と無縁に、世界が活動し続けることに対する恐怖が、少しずつ消えていったのは、死の恐怖の虜になるより、いつ死んでも、たとえば今日、この瞬間に死んでも悔いのない程、充実した生を生きれば良いのだという考えにたどり着いてからだった。30歳の頃、やっとそのことと生命の循環の必要性に気が付き、私は「生きて、生きて、生き抜きたいです。」という言葉を心に刻み、どんな事に対しても積極的に行動するようになっていった。
夫の死に立ち会い、魂の存在が知識や文字としての観念論ではなく、現実に存在するという具体論として納得できるようになり、(私は夫の霊魂と何度か直接、あるいは間接的に具体的な会話をした。)死に対する恐怖は今や、影も形もなく光の中に溶けていった。

そして今年2月18日、今村興一君との山梨への温泉旅行からの帰途、姉から携帯電話に連絡が入り、父の死を知らされた。その時、悲しみはなく、「ご苦労様でした。やっと自由になれたのね。良かったね。どこへでも好きなところへ、一瞬にして行けるようになれたのね。今まで辛いこと、たくさん耐えてきたんだもの。これからは好きなことをして楽しんでね。」と父の魂に呼びかけた。高速を東京に向かって走っていると、運転をしている興一君が緊張して、「恐いです。右手が思うように動きません。右足も痺れてきました。」と言う。「ごめんね。父が来たのだと思う。父は右半身が麻痺していたから。」「ああ、そうだったんですか。お父さんが来られたんですね。じゃあ少しスピードを落とします。」興一君はブラックホールと呼ばれていて、どこでも、いつでも、さまよう霊体が入ってくる。
以前、やはり高速道路上で、事故現場の横を走っていた時、「あの車のドライバーは死んじゃいましたね。ドライバーが壁に激突する瞬間の状況と、脳裏に焼き付いたスピード感、それに恐怖心が、さっき僕の身体に入ってきました。恐かったですよ。」という事があった。
夜、東京に着き、家で私の帰りを待っている息子、娘に電話をする。「帰るのが少し遅くなるけれど、夜中、呉に向けて車で出発するので、お弁当と、濃いコーヒーを作っておいて欲しい。帰宅後、すぐに出発できるよう、毛布などの準備もしておいて欲しい。」と頼み、私は興一君と近くの居酒屋へ行った。父とゆっくり二人っきりでお酒を飲みたかったのだ。父はとてもお酒が好きだった。娘二人の家族で、父は私を長男のように感じていた。「お前が男だったら…。」というのが父の口癖だった。お酒の好きな父は、身体が弱って、自分では飲めなくなってからも、私が帰ると酒を用意し、いつもは午後7時には床につくのに、その時は、真夜中までも私の側に座り、私が飲むのを嬉しそうに見つめ続けていた。「父さん、一緒に飲みたかったんだよね。今日は一緒に飲もうよ。父さんが、あの動かない冷えきった身体から解放されて、自由になれたんだもの。お祝いをしようよ。」何も言わないでも、興一君は私の心の内を理解して付き合ってくれる。私は日本酒を頼み、興一君はビールを頼む。ビール通の興一君に嫌いな銘柄のビールが差し出されたが、「あれ?おかしいな?美味しいですよ、このビール!ああ、そうか、お父さんが僕の身体に入っているから、お父さんの感性でビールを味わっているのですね。お父さん、喜んでいますよ。」興一君の身体を借りて、私は久しぶりに父と二人で飲み、父に感謝の言葉を伝えた。悲しみはないとは言え、父の肉体の喪失に時折、涙が出る。そんな時、父(興一君)は私の肩を優しく叩き、無言で慰めてくれた。

通夜の席、久しぶりに会う親戚の人達と談笑をしたり、写真を撮ったりしていると、姉の長女(26歳)から叱られた。「おじいちゃんが死んで悲しいのに、何やってるのよ!」私にとって、通夜の写真は父の思い出の集大成となるべき大切な一こまなのだが、死に対する想いが異なっている人に伝える言葉は見つからない。声に出しては言えなかったが、父の遺体に「ご苦労様。そして、おめでとう。やっと卒業できたね。しばらくは思いっきり遊んで、次にもう一度生れてくる時は、もっと楽しい人生にしていこうね。」と語りかける。「俺が死んだら戦友の歌をピアノで弾いて送り出してくれ。」小学生の頃、父と交わした約束である。その約束を、今果たすよ、お父さん。

『ここはお国の何百里、離れて遠き満州に、赤い夕陽に照らされて、友は野ずえの石の下…』

葬儀の間中、ずっと、私は父との約束の歌を繰り返し、繰り返し、心の中で歌い続けていた。

1998.10. 28
Takako

そよ風にのって 第3章

暇があると、私は目的もなく本屋に入ってしまう。何も買わないで帰るときもあり、数冊の本を手にするときもある。どの本を買おうと意図していなくとも、必要な本が勝手に私を呼び寄せてしまうようで、医学博士である塩谷信男氏の「自在力」(マンサーク出版 1,600円+税)という本が目に入ってきた。塩谷氏の著作は、既に2冊購入して読んでいたので、購入意志はなく、ただ、その存在だけが私の頭に入っていた。ところが、何回目かに本屋に入ったとき、なぜか私はその本を手にしてパラパラと頁をめくっていた。すると、まるで感電したかのような大きな衝撃を受け、全身に鳥肌が立った。開いた頁には、アフリカ旅行中に体験された不思議現象についての記述がなされていた。私自身もこれまでの4年間で多くの不思議体験がある。だから、驚くことはない筈なのに、この頁は私の頭蓋骨をも痺れさせる。これまでも何回か鳥肌が立つ体験をしているが、それらは首から下の現象で、頭骨をも収縮させるほどの大きな衝撃は初めてのことだ。塩谷氏の正心調息法は既知のものの筈なのに、この大きな反応は一体何だろう。再度、正心調息法にトライしなさいということなのか。本を閉じても鳥肌状態は一向におさまらない。どうやら、買って読みなさいという教えのようであるので、その本を持ちかえることにした。
読後、一つの流れが見えてきた。宇宙の意志とこれから迎える地球のドラマを、個としての私達がどのように受け止め、関与すべきかを伝える確かな意志が見えてきた。

11月7日、8日の二日間、板橋区立産文ホールで社団法人日本厚生協会主催の、「ドクターズ・ヒーラーズ ネットワーク シンポジウム IN 東京」が開催された。代替医療を積極的に利用し、患者のケアーを実践されている現役の医師達に加えて、快活で折り目正しいヒーラー豊島肇氏(元広域暴力団大幹部。大きな交通事故に遭い、幽体離脱を体験後、強力なヒーリングパワーを獲得。現在はヒーラーとして活躍中。)を交えてのスピーチなど、とても面白く、且つ、刺激的な内容であった。途中から日本サイ科学会会長の関英男工学博士が参加された。関博士から短いスピーチがあった。『来年の1999年9月26日、七色に輝く光の球体が天空に現われること。この球体は宇宙の創造主であり、この日より地球の自浄作用がスタートすること、即ち、地震や洪水、火山噴火など地殻変動を伴う一連の天変地異が地球上のあちらこちらで発生すること。この時「洗心」(当News Vol.3で紹介済み)をしている人間は、大型円盤に救い上げられ、地球の安定後、元に戻されること』などがその内容であった。数年前よりこのストーリーは多くの人から聞かされていたので、別に驚くこともなかったが、1999年9月26日という日時の確定は、初めて耳にすることだった。事の真偽は、来年のその日になればわかることだし、たとえ何が起きようと、私は観察者であり体験者としての立場をとるつもりでいるので、一つの情報として冷静に受け止めた。

 そして、現在96歳で、歳を加えるにつれ、どんどん肉体の若返り現象を体験されている、現役の医学博士塩谷信男氏の著作、「自在力」には「事態は想像以上に深刻であり、それをもってしても(人間の集合体としての意識の変革)、どうやら大浄化の到来は不可避なものだと、考えを改めました。人間が今から心を入れ替えても、もはや手後れである。我々は裁きを待つほかない。いかに悲観的に聞こえようと、人騒がせな言動だと言われても、私はそう考えるようになったのです。」「しかし、それは完全な地球の破滅ではありません。人類の終末でもありません。」「それは大がかりな浄化作用であり、裁きです。従って、天変地異が襲来して大惨状を呈し、人間がみそぎを受け、償いを果たした後は、地球は綺麗になり、人間は正しくあらたまって、真の平和な世界が訪れます。」「大がかりな地殻変動と天変地異の後、再び地球は安定して静けさを取り戻すでしょう。炎は収まり、洪水は去って、海は静謐に帰る。陽光も大気も澄み、草木は緑に燃え、鳥は鳴き交わす。汚れや悪はぬぐい流されて、地球は新しく生まれ変わる。そして、人間もまたそこから生き直すことになります。」「誰が生き残るかを、私達はくじ引きみたいに、神から選ばれるのではない。自分で選ぶのです。自分が主体となって、自分の意志で再生の道を選び取る。自分で自分を浄化していく、そういう人が新しい時代に生きることができる。だから、神から選ばれるのでもなく、偶然の奇跡でもなく、当然の結果として生き残るのです。外からのみそぎの波に洗われて、慌てて目覚めるのではなく、自分の意志で自ら償い、清めた人が、新生へのチケットを手にすることになるのです。」

そして、塩谷医学博士の提唱されている大断言『宇宙の無限の力が凝り凝って、真の大和のみ世が生り成った。』に話しがつながっていきます。一人でも多くの人にこの大断言を実行して欲しいという、氏の熱いメッセージが読む側に切実に迫ってきます。「心に断定し、強いイメージを描いた瞬間に、そのことは幽子の世界に出来上がり、それを宇宙無限力が次第に粗い世界へと作り上げていき、目に見える物質の世界に現実に形成されて、思いが実現されるからです。」「もし、大断言を行う人の数が世界中に増えていけば、地球のカタストロフィを未然に防ぐことができるかもしれません。何千万、何億人の想念が集約され、その口から大断言の言葉が発せられれば、天変地異が起る前に人間は改められ、世界規模の平和が実現できるかもしれません。それが無理でも、カタストロフィの被害を最小に食い止めることは、可能かもしれません。大断言にはそれだけの力があると私は信念を抱いています。」
長い引用になってしまったが、これは私の想いと行動にぴったりと重なっている。言葉こそ違え「人類と地球、宇宙全域に大調和が実現した。そして、人類をはじめとする宇宙の全生命体が悦びに包まれて生きている。」ことを、毎日の瞑想時、心に繰り返し唱え、集合無意識層の変革を目的として、このNewsを発刊し続けている。

昨年の夏頃だっただろうか、夜明け前の薄明の中、午前4時頃、酔った今村興一君(彼は酔うと別人格が表面に出てくる。)がポロポロと大粒の涙を流し、私に訴えた言葉がある。「人間はなぜ憎しみ合うのか。このままでは、地球は救われません。破滅します。10%です。たった10%の人でいいんです。愛・許し・感謝の心を持って生活する人が10%になれば、地球は救われます。浄化されます。でも、もう時間がありません。」「地球は宇宙の意志ではなく、人間の意志によって救うべきです。」「それがわかっている興一君が行動を起こせばいいんじゃないの?」「ダメです。僕は監視役です。監視役の僕が行動を起こすと、違反行為となり、すぐにも呼び戻されてしまいます。それでなくても、あっちにいるとき、ルール違反ばかりやっていて睨まれていますから。」「10%の人間の集合無意識を変えるのはお母さんの役目です。」(興一君は私を「お母さん」と呼び続けている。)「私にはそんな力はないわ。無理よ。」「どちらにしても、もう残り時間が少なすぎます。遅すぎます。」とめどなく流れ続ける、大河のような美しい彼の大粒の涙を忘れることができず、たとえ遅すぎようと、力不足であろうと、一人からで良い、愛・許し・感謝の念を広げ、悦びの想念波動を積極的に広げていこうと決めたのが、あの夜明け前の涙から約1年後の今年9月2日だった。

私は科学者でも予言者でもないので、これから起きるかもしれない宇宙の進化について、何も断定することはできないが、人間が持っている不思議な力「強い想いは現実化する」については、この4年間の実体験から多くを学んできた。一人でも多くの人がその「内なる力」に気づき、活用して欲しいと切に望んでいる。
塩谷信男氏の大断言を瞑想時10回唱えると、確かに大きくて強いエネルギーが頭頂から入ってくる。是非、試していただきたい。

1998.11. 30記
TAKAKO

そよ風にのって 第4章

「人は人と競いながら何事かを為していくが、私は誰とも、己自身とさえ競う気は毛頭ない。私は自分のペースでゆったりと楽しみながら、己の目的を為していく。自分を急き立て、自分と競うということも、今更する気はない。他人に見せるための人生ではないし、さらに、自分に見せるための人生でもない。ただ、感じ、識り、そして悦びのために私は生きる。」これは平成10年12月12日午前5時10分に見た夢の中で私が語った言葉。夫の入院以来、かなりの頻度で不思議な夢を見続けている。この12月12日の夢がきっかけとなって、久しぶりにここ1年半ぐらいの夢日記を読み返してみた。自分でその都度メモをしておいたものであるが、あまり覚えていなくて、その内容の一つ一つにあらためて驚き、感動してしまう。

平成9年8月30日
あれほど言っとろうが。もう、本当に時間がない。米を買っておけ。まとまった量の米じゃ。米さえあれば何とか凌げる。その日は目の前じゃ。

平成9年9月1日
今からは社会のシステムを根っこから変えていかなくては駄目だ。

平成9年9月29日
神の力を自由に使えるようになるため、修行をしている。

平成9年10月4日
籠の鳥。籠があると思っているが、本当は籠ではなく、自分自身であることに気づかない。言い訳として籠を使っている。籠があろうとなかろうと、心は自由。本当に恐いのは、物理的な籠じゃない。自らの心が作る幻想の籠を、あたかもそれが他人によって作られ、その中に閉じ込められていると自分を偽り、摩り替えていることだ。自分に都合の悪いことはかってに籠のせいにして自分を騙し、被害者として振る舞っている。籠なんてどこにもない。自分の心以外には―。それに気づきなさい。

平成9年10月7日
人類の危機。9月26日にそれは決定される。(平成10年11月7日、関英男工学博士が発表された創造主が天空に現われるという日と奇しくも一致している!?)

平成9年12月7日
私の潜在意識である魂が自己表現する場を求めている。小さな丸い霞んだボール状のものが幾つか宙に浮いていて、前後に揺らいでいる。

平成10年1月2日
仕事のやり方はとてもシンプル。利益を上げようなどと考えなくて良い。何が正しいか、シンプルに、大筋だけ外さないで、技術は見て覚えなさい。言葉が通じれば誰でもできる。心をなくしたら止めれば良い。生活のために仕事をするべきじゃない。やりたいことをやれば良い。好きな人がやれば良い。悦びを感じる人がやれば良い。それが仕事だ。

平成10年1月3日
私は瞑想をする。見えないものが見える。聞こえないものが聞こえるようになる。川下り。石くれが教えてくれる。真理の刀に切れぬもの無し。どんな岩でも石でも、スパッスパッと、その切り口も美しく、二つに分かれる。心に曇りなければ、真理の刀使う限り―。自らの姿形を変えながら守り続ける愛がある。真理の刀がすごいだけではなく、どんな時も側にいて、岩になり石になり、こちらの成長に合わせて切られてくれる愛がある。守ってくれる献身がある。無事に目的地に着けるのはそれら全ての状況があればこそ。

平成10年1月6日
偽物のビジネスをきらびやかに繰り広げる大勢の人達。美しくなる、健康になる、幸せになる、というキャッチフレーズで、男も女も狂乱のビジネス。違う。いやだ。狂った乱舞から外へ出ようとするが次々と幻想の中で踊り続ける男女が私の行く手を阻む。通して!どいて!私は出て行くのよ、興味がないのよと、群集をかき分けて進むが、群集の数に終わりがない。この人々の目は何を見ているのか。いつまで続くのか。男も女も、色とりどりの洋服で忙しく蠢いている。話し続けている。お願い!私をこの場から出させて。私を引き止めないで。話し掛けないで。道を開けて―。

平成10年1月27日
数人の男達がいる。空気も身体もどんより濁っている。想いを変えればこの場の空気が変わる。暖かく優しい風が吹いてくる。身体が軽くなっていく。この場にいる人達全員の身体にも、この新しく巻き起こった風が通りぬけている。みんなの顔が明るくなる。想いを変えるだけでみんなが幸福感に包まれる。

平成10年2月22日
いろいろな瞑想法が紹介されているが、何もこだわる必要はない。自分が楽しくやれて、嬉しくなってくる気分が出てくればそれで良い。目を閉じて、楽しいイメージを描いてみるだけでも良いし、慣れてきたら好きな色をイメージしてみよう。その色が見えてくるようになる。緑、青、赤、紫…など、見えてくる色はとても透明感があってピュア。あまりの美しさにただただ嬉しくなってしまう。ものを持つことの嬉しさとは、質の異なるもので、この嬉しさも軽く、透明で、ピュアだ。この嬉しさに慣れてくると、毎日、それこそ何がなくても、自分の心が悦びに満たされ、幸福感の中に生きることができるようになる。お金があるとかないとか、物があるとかないとか、極大から極小までの欲望に振り回されることなく、常にニコニコと笑って生活できるようになる。

ニュースレターを作っている。配布先リストを開くと、白い小さな紙が色とりどりのピンで留めてある。まるでお花畑。うっとりする。こんな風にしてあると、さっきまで文章を作るのが苦痛だったのに、ちゃんとやろう、この人達に喜んでもらえる内容のものを作ろうと心が弾んでくる。(顕在意識では何も考えていなかったし、記憶にも残っていなかったのに、この夢を見たちょうど7ヶ月後の9月22日…PO-RA-STAR☆NEWS創刊号を発行してしまった!!!)

平成10年12月5日
楽しいことだけ考えていけば、楽しいことだけが起きてくるよ。感じたときに感じたまま動けばいいんだよ。

平成11年1月5日
神から指示を受け、私はそれを行動していくことになった。

平成11年1月9日
地球への貢献を具体的にどうするのか。海の中で光を受けて輝いている直径30cmぐらいのクリスタル球を私は家に持ち帰る。

―神が見せているとしか思えません。全ての人間の内に神が宿っているといわれますが、私はこれらの夢によって、そのことを真実であると強く確信するに至りました。地球の波動が日を追う毎に上昇し、浄化の速度が一段と速まっています。地球を浄化する波動は、そこに生きる人間をも同時に浄化しているようです。生きる目的への気づきを促し、幻想でしかない日々の出来事に振り回されるのを止め、有限の生命から無限の生命への変容を遂げていきたいものです。

UFO氏から「ラムサ―真・聖なる預言」(角川春樹事務所 ¥1,600)の中に書かれている「人生の目的とは」を是非、このVol.5で紹介して欲しいとの依頼を受けました。以下はその本からの抜粋です。

はじめに
人間の内にある神なるものに気づくこと意外、人間に救いの道はない。あなたはこの気づきの種になるのだ。

人生の目的とは
神がたったひとつあなたに望むのは、よろこびを知り、よろこびになるということだ。それが父なるものを知り、父のごとくになるただひとつの道だからである。
この地上界での生において、あなたがここにいる目的とは何だろうか。多くの人々は、あるタイプの人間になる、あるいは特定の職業につくことが絶対であると教えられ、必ずそうなるよう家族や社会からきちんと見守られて育つ。なんとひどいことだろう。あるいは人類にとって自分が偉大なる師、救世主、あるいは治癒者としてここに送られたと想像する人達がいる。まあ何と高貴なことよ。さらに、神に近づくという、詳細まで決まっている聖なる道、狭き道を一歩ずつ進むためにここにいると感じている人達がいる。何と退屈な。この地上界にやってくるときには、まだ誰も目的は持っていない。父なるものは、あなたにも他の誰にも、人生はこうなるべきだという指示を与えてはいないのだ。ただし、それにはひとつ例外がある。それは父からあなたへのただひとつの望みであり、存在のあるべき姿の究極を教えている。それは、よろこびあふれる存在になるということだ。
よろこびとは何なのか。よろこびとは、まったく邪魔の入らない動きの自由のことだ。価値判断のない表現の自由だ。恐れや罪悪感のない存在のことだ。よろこびとは、自分が、自分自身の条件で人生を創造していることを知っている状態なのである。在るがままでいることを許されている自己の荘厳な姿のことだ。それがよろこびなのだ。
よろこびは、よろこびを生む。幸せでよろこびにあふれたとき、自分を愛し、在るがままの自分でいるときを多く過ごせば過ごすほど、あなたはすべての生にある神の力に近いところにいる。求めるものが、すべて自分を幸せにするため、という状態で人生を生きるなら、あなたは最も偉大な運命に向かって生きていることになる。そして奇跡的なことを成し遂げるだろう。自己と神に対する愛のすばらしい見本となるのである。偉大なる美、すばらしき神秘である自分自身を体験し、理解することができるだろう。最終的には、驚くなかれ、あなたは神の顔を見ていることになるだろう。それが自分自身であることに気づくことによって、である。するとあなたは、さらに偉大な新たなる叡智の中で、もうひとつ別の永遠の生という体験へと向かっていくのだ。

私の意識、価値観を大きく変えてくれた幾つかの本の中でも、この本は特別な一冊です。何回読んでも新たなる気づきが出てきます。まだお読みになっていない人は、是非とも、ご一読といわず、五読くらいをお勧めいたします。

平成11年1月11日

そよ風にのって 第5章

最近になって、まるで何者かに導かれるように日本の縄文時代、及びそれ以前の歴史や文化、人々の生活に引き付けられています。「日月神示」や「竹内文書」関連のいくつかの書籍、「一万年の旅路」、「神々の預言」、「人類の隠された起源」等の書に触れると共に、平成7年以降、尋ねてこられる多くの霊能力を持っている人たち(皆さん、揃いも揃って唐突に、理由もなくいらっしゃいました。)との話などから、「私は、あるいは、私たち人類は、どこから来て、どこへ行こうとしているのか。」という疑問と興味が、最初は針の先程の微かな点として心に入りました。その後、流れに任せた生活を続けているうちに、その微かな点は徐々に振動し始め、池になげられた小石によって湖面に同心円状の波紋が全体に広がっていくように、大きな力となって私を動かしていくようです。

先日、2月11日(紀元節)の日、「第5回日本人の和と心を学ぶ会、テーマ 山と暮らす心」が埼玉県上福岡市にある神明塾で開催されることを知り、五代真代さん、鈴木大樹さんをお誘いし、出かけてみました。初めて訪れる神明塾、玄関を入ると、すぐ右側に「さざれ石」と銘打たれた置物がありました。神明塾の佐々木将人先生より、それが「君が代」に歌われている、あの「さざれ石」だよと教えられ、小学生の頃よりその意味を深く考えることもなく歌い続けてきた「君が代」と対面させられ、その歌詞の奥深い心が私を捕らえてしまいました。(何故に、学校教育で、それは教えられないのでしょう?)

 君が代は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて
 苔のむすまで

午後12時45分から始まった会に合せるように、雪が舞い始めます。うっとりと窓から見つめる、ひとひらひとひらの雪が、なぜか暖かく、私の心を潤していくようでした。

記録映画「越後奥三面(おくみおもて)」―山に生かされた日々―の前編(2時間半)を見せていただいたのですが、この記録映画は1984年度日本映画ペンクラブ ノンシアトリカル部門1位、キネマ旬報文化映画ベストテン2位、1986年シカゴ国際映画祭ドキュメンタリー部門銀賞を獲得しており、「新潟県の北部、山形県との県境にある朝日連峰の懷深くに位置する奥三面。平家の落人伝説をもち、また縄文遺跡も残る、歴史の古い山村である。人々は山にとりつき、山の恵みを受けて暮らし続けてきた。その奥三面がダムの湖底に沈む。この映画は山の自然に見事に対応した、奥三面の人々の生活を、四季を通じて追い、ダム建設による開村を前にした、人々の思いをつづった長編映画である。」(民族文化映画作品総覧 1996年版より)というものです。
昭和23年、広島県呉市で生れた私には、原体験としての厚く覆われた一面の雪景色も、懷深い山々も、大根を干している軒先も、皆無なのに、なぜかそれらひとつひとつの映像が懐かしく、胸に迫ってきます。スクリーンの中では、天と地と一体化した霊性豊かな日本人の、たくましくもやさしい調和の生活が描き出されています。自然から与えられる食物(穀物、野菜、きのこ、木の実など)を丁寧に、感謝の念で頂戴し、春から夏にかけては、川で獲れる魚、冬はウサギ、熊が唯一の動物性タンパク源の生活で、季節ごと、あるいは収穫時毎に、まず最初にその恵みを自然(神)にお供えし感謝する日常生活が、忘れ去ってしまった大切な「自然=地球と共に生きる」ことの意味を教えてくれます。そこには、差別もエネルギー問題も、大気汚染や水汚染も、いじめや犯罪、ゴミ問題もありません。

縄文文化、それは天と地を、人の中になうことによって完成した文化なのだそうです。この穏やかで優しい気持ちにしてくれる記録映画は、あらためて私の中に日本、即ち「大和」への旅心を掻き立ててくれました。今という時代に、「大和」の民として生まれ合わせたことの深い意味を探し出したいと思います。アインシュタインが預言したという言葉が、今活き活きと私の心を捕らえています。

「世界の将来は、進むだけ進み、その間、幾度か争いが繰り返され、最後に疲れる時が来るだろう。その時、世界の人類は、真の平和を求めて、世界的盟主を上げねばならない時が来る。この世界的盟主となる者は、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越する、最も古く、かつ、尊い国柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰り、それはアジアの高峰、日本に立ち帰らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我々のために、日本という尊い国を造ってくれたことを。」

   アインシュタイン


1999.2.278記

そよ風にのって 第6章

3月13日、予定にはなかったのに、京都メキキの朝食会に出席する流れが作られ、その流れのままに朝4時、家を出て京都へ向かいました。遅れて参加した朝食会で、「倒産のススメ」を私は皆様の前で話すことを要請されました。急な出来事に戸惑いながらお話させて頂いたことは「私にとって、倒産することは、それまでの価値観と決別すること」で、それまで確かだと思っていた諸々の概念から自由になり、ゼロ地点に立つことであり、例えれば、この世にオギャーと裸で生れてきたその瞬間に立ち帰ることにつながりました。この肉体ひとつで、天地に「生きる」こと、ひいては「生かされている」ことの意味探しへの旅がその時から始まりました。具体的には摩訶不思議な人たちが次々と現われ、それまで正しいと思いこんできたことのひとつづつが目の前で仮面をはがされていき、不思議体験への道に入っていきました。
自然からの声に注意深くなると共に、生きるために必要な最低限のもので満足する心が生れ、自然に「感謝」の心も生れてきました。一椀の玄米ご飯、味噌汁、香の物の美味しさは格別で、それまで傲慢にも食べ散らしてきた中身なき豪勢な食卓では味わえなかった本物の悦びに涙し、心震えたこともありました。「生きる」質の転換を神から与えられた「倒産」という出来事がただただ嬉しく、感動の毎日を生きていることをお話させて頂きました。
「ホツマツタヱ」13綾に書かれている「すずあか(鈴明)の道」を迷いながらも模索していこうと思っています。「すずあか」の「すず」とは、「すずき(鈴木)」を意味しており、この「すずき」とは古代日本において、暦の役割をしてきた一年に一穂だけ伸びる非常に成長の遅い、その代わり6万年の寿命があると言われる木で、「すずあか」は日本独自の価値観、思想観から生れた人間の生き方を示す言葉だそうで、日本に「鈴木」という名字の人が多いのも、この心を我が物にしたいという人たちが多かったことを表わしているのだそうです。私たち人間も、この「すずき」のように不必要なものを所有せずに、必要以上に多くのものを浪費せず、生きるため最小限のものだけを使用し、慎ましやかに細く長く暮らすことが人間として正しい生き方であることが説かれているようです。

「ホツマツタヱ」13綾
      こずゑおもふに
いましめの なければみだる
はたれまや たからあつめて
すえきゆる これすずくらぞ
いきのうち ほしをはなるる
      これはすずかぞ
(訳)
末永く子孫のことを思うに、戒めがなければ乱れます。頭の回転だけが速く、利己主義で心のねじれた人たちが宝を集めます。その人たちの未来や子孫は消えていきます。これを「すずくら」と言います。生きているうちに欲望から離れること、これは「すずあか」と言います。

[新説]ホツマツタエ 理学博士 宮地正典著 より―
朝食会終了後、広隆寺を訪れ、名古屋へ向かいます。明けて14日、誘われるまま、その内容も知らず訪れた名古屋能楽堂で開催された『音魂霊(おとたましび)の集い』。大和心への旅を始めたばかりだというのに、この導きの尊さに唖然としつつ、この場へ誘われたことの悦びに、ただもう感動と感謝あるのみです。何が行われるのか極楽とんぼの私は、その場で手渡されたプリント3枚を頼りに、この集いの意味を確認します。「今回の音魂霊は、音楽家 横澤和也氏と大和古流御当主 友常貴仁氏との劇的で運命的な出会いによって実現された一期一会の演奏会です。」「本日正午、当能舞台におきまして矢渡しの儀を、無事執り行なうことができましたことを御報告申し上げます。本来ならば、御参集戴きました全ての皆様お立ち会いの上、催行致したかったのですが、堂内での矢渡しは大変危険なため、お立ち会い頂けなかったことを御了解頂きたく存じます。」神のお導きとしか言いようがありませんが、私たちはそれと知らず、その数少ない立会人として堂内に誘われ、まさに神儀鏑矢の実射を拝見させて頂きました。身に余る光栄です。

大和古流弓術奥義『降魔射の儀』

友常家が代々一命をかけ極秘裡に護持してきた大和古流は、日本古来の文武の道です。古事来歴をはじめ礼法、兵法、弓法、大和歌道(やまとうたのみち)、入木道(じゅぼくどう)、香道、茶道、華道、和笛など、文武の多くの家伝を当主一個人の内に修める掟となっています。全ての道において心法(こころののり)を一番重要なこととし、正師より伝えられる正道を宗としています。友常家はもともと『橘』氏で、敏達天皇の後胤、橘諸兄(たちばなのもろえ)が遠孫…と名乗りを上げる家柄で、古来橘流弓法の家として名をなしたところです。神武天皇東征に始まり、聖徳太子が日本国平定のため物部守屋を射抜いた神秘の弓矢を、『上司(じょうす)の法』として代々継承しています。南北朝時代、遠祖が吉野朝に伺候して以来、奥義は極秘裡に継承されていました。平成時代の幕開け『日本国平成国開(くにびらき)の儀』が日本三大稲荷の一つ、笠間稲荷神社において施行された際、当主廿一世貴仁氏の決断により奥義を初めて公にすることとし、昭和天皇即位の御大典の儀に使用された矢が日本国守護の矢として甲乙放たれ、虚空に鳴り響きました。本日披露されるのはその弓法奥義です。大和古流は心法による日本の古式の神武の原形を、厳正な理法の練磨と体足の運用の内に伝承し、日本尚武の真髄を守ることを使命としている。

堂内に張られた五色の幕が最初に目に入ります。この五色の幕は矢止めとして用いられ、紫、白、赤、黄、緑(黒の代わり)の一つ一つの色に意味があり、それは天にめぐる五つの惑星を表わしており、木、火、土、金、水、宇宙の全ての事象の根元を表わしているのだそうです。この五色の幕は、矢を止めるのではなく、久遠の虚空に放たれる無限の空間となり、そこへ大和古流廿一世当主の神魂と重なった大鏑矢、小鏑矢が「大和魂霊開」の言霊にのって美事に放たれました。無限空間へ大和心が鏑矢と共に突き進んでいったその瞬間、その矢は私の心奥にも届いた気持ちがいたしました。大和人として生を受け、今日まで生かされてきた自分の過去は過去として、それにとらわれることなく大和魂霊を持つものとして「今」を学んでいこうとの想いを自分の内に見つけた瞬間だったのかもしれません。
能楽堂からの帰途、UFO氏の「今日の儀式は三次元地球の終焉を意味しているんだよ。」との言葉にアインシュタインの預言と共に、これからこの世に広く認識されていくであろう大和心の働きに想いをはせていきました。会場で販売されていた友常貴仁氏の5冊の本、早速読み始め、大和魂霊とはいかなるものか、手探りながらその心を求める旅が嬉しく始まっています。

友常貴仁氏の著作リスト

大和的
未知の力をそなえる約束

千年の四季
はる なつ あき ふゆ、あめつちの聲

千年夢一夜
春立つ日、円覚寺烟足軒より

大和古流の「躾」と「為来」
ニッポンでは自然に学ぶのが礼儀

もう朝だぞ!
聖徳太子の末裔が解く「朝の不思議」

全て三五館より発行されています。忘れていた大和心への旅、一緒に遊んでみませんか?

1999.3. 27記

そよ風にのって 第7章

5月1日、池尻大橋で「生酒を楽しむ会」をやるけれど来ないかと友人、森本康彦氏に誘われ、美味い日本酒を堪能したのだが、その時、京都亀岡の自然農園から届けられたという手の平大の生椎茸をご馳走になった。大きさに驚いたが、シャキシャキとした歯ざわり、焼いてレモン汁をかけただけのシンプルさは、自然を丸ごと口に入れた感じで、椎茸の悦びがそのまんま私の悦びに変化した。その他の料理も自然が生きていて、感謝感謝の嬉しい時間を味わい尽くした。帰り道、菱田農園から届けられた椎茸の箱を大事そうに小脇に抱えている森本氏の姿が目に入り、「まだ残っているの?もしよければ1〜2枚私にくれない?」図々しく2枚もらって帰宅。嬉しくてその姿、形を娘に見せる。日々の買い物ではお目にかかることのない特大椎茸に目をみはり、翌日の味噌汁に刻んで入れる。美味いっ!!今日まで食べ慣れていた椎茸の頼りなさを改めて感じる。「アワビを食べているみたい。」と娘。「凄いよママ。美味しいよ。お替わりしてもいい?」しばし、娘と食材の持つ力について話が弾む。

食材自体が生命エネルギーを持っていれば、ほとんど料理などという技は必要ないし、むしろシンプルである方が手掴みの美味しさを感じさせる。こんなエネルギー溢れる食材は都会では手に入らない。手に入れようとすれば、それも可能ではあるが、コストがかかる。近くのスーパーにも地場野菜コーナーはあるが、値段が高い。味噌、醤油、塩だけは食の基本だから、拘りを持って高くとも購入するが、野菜までは手がまわりかねる。エネルギー溢れる暖かそうな泥付きの大根(300円)を横目で見ながら低体温で淋しそうな大根(100円)を籠に入れてしまう。「生きる」という大切な基本の選択が、経済という足枷で否応なく決定されていく。誰でもがいつでも、生きている食材を手にできる社会を夢見てしまう。食の工業化が生んだ文明の衰退、脳の歪みを悲しく思う。菱田農園に限らないが、自然農園が全国に広がり、一人でも多くの人が素材の違いを体感し、手ごろな価格で大地、地球のエネルギーをそのままに体内に取入れられる環境が整うことを改めて夢見てしまった。

そんなある日、電車の中吊りの雑誌広告が目に入った。「進む企業崩壊!親が外泊を許可してくれないので社員旅行にはいけませんと言う新入社員」なんと愚かしい。やはり食の工業化はここまで人間を駄目にしてしまったかとの思いに交差して、別の思いが脳内に生まれてきた。
経済的な危機によって企業は今、必死の戦いをやっているが、この記事は内部からの崩壊が起きていることを報告している。駅の周辺にたむろしている20歳前後のジベタリアンたち(立っていることができず、地べたに座り込んで何事か話し合っている若者たち)の姿、やりたいことが見つからないまま定職に就かず、アルバイトでその日暮らしを楽しんでいる若者たちの群れ。彼らだって本当は何かがしたい筈。心が悦びで沸き立つことがあれば、迷わずそれに飛び込んでいく筈。

4月に晶美嬢と二人で淡路、香川、岡山とまわり、京都で琵琶湖まで一緒した青年は、電気もガスもない京都の山奥で樵をしていると言った。実家は裕福な家庭らしいのだが、自ら望んで原始生活の体験をしている。身体の中心にしっかりとした芯が通っており、綺麗な瞳をしている。全身から生命エネルギーが放出しており、とても魅力的だった。

心を悦びで満たすことのできない現代の生活に、彼らは「No!」と言っているのだ。今のままの経済社会では、人間は悦びと共に生きられない。だから、彼らは私たちが長年にわたって教え込まれ、捕らわれ続けてきた「人間はこうあるべきだ!」という価値観を本能的に否定し、現代社会を崩壊させようとしている戦士(天使)なんではないかとの想い。行き詰まって窒息状態の現代社会を源に戻そうとする心優しき天使たち。顕在意識では何を考えているのかはわからないが、彼らは潜在意識でその意味を知っているのかもしれない。彼らは21世紀の新生地球を創造するために選ばれた戦士だったんだとの想いに自分で驚く。こんな思考回路が私に生れるなんて!陰と陽、男と女、善と悪、全てはひとつ。悪いことなど何もない。起きてくることは必然、意味がある。苦笑混じりに読んだ中吊り広告の文章を再度見つめる。「進む企業崩壊!親が外泊を許可してくれないので社員旅行にはいけませんと言う新入社員」彼らは何千年にもわたって築かれてきた人間の価値観と経済システムを内部から崩壊させるために送られてきた心優しき天使たち。この意識は私のもの?企業戦士の見本のようだった私が思いつくこととは思えないが、なぜかこの意識がやってきた。驚きと感動。シルクのブラウスからTシャツへ、ブランドバッグからリュックサックへ、パンプスからスニーカーへと自分を規定していた不自由な外見を取り外して、素の自分に近づいてきたが、この意識の変化に我ながら唖然とする。でも、満更でもないな、この世。面白いことが起きそうな予感で、苦笑は満面の笑みに変わり、私はウキウキ弾む心で電車を降りた。今日もいいことがありそうだなぁ。

1999.6. 23

そよ風にのって 第8章

3月、秋田にお住まいのS女史からとてもかわいい絵が届きました。そして5月、晶美嬢が山形の友人にもらったものだけれど、これはママ用だと思うので(彼女は友人ですが、私をママと呼び続けています。)と渡された絵があります。どちらも同じ物なのです。今回、当誌の表紙に使わせてもらうことになった「童万笑」という絵なのですが、同じ絵が2枚も手元にやってきたことで、この画家に会ってみようと思いました。数ヶ所連絡を取り、7月7日、新宿駅近くの談話室で会うことになりました。放浪画家と聞いていましたので、何となく髪が長くラフなスタイルの若者をイメージしていたのですが、ネクタイにスーツ姿で現われたその人は、笑顔の優しい紳士です。ご自分のことを「私はワンダラーです。」とおっしゃっています。心に溜め込んだ思いの数々を約3時間話されましたが、別れ際、彼から原稿を渡されましたので、それをそのままにご紹介します。

1999年〜2013年の重要な期間
あなたご自身の意識及び意識レベルにおいて認識され確認して下さい。

 地球上に平和を創出していくことは、単に戦争に反対するとか、戦争を放棄するにとどまらず、子供達のことを始めることです。なぜなら新しい生命として生れ成長している幼子や、子供達や、その子供達の未来や、未来を子供達に託すことを思うとき…。この地球を認識し、地球そのものや、地球の自然環境をも視点に入れる必要があるからです。
そして私から創出される童画“童万笑”を主とする様々な作品を、広く社会へ恵与していくこと、国内及び世界へ流していけばいくほど…。子供達、人々、社会が癒され浄化と進化発展が進み、地球レベルのヒーリングや地球そのもののヒーリングへ貢献していくことになります。なぜなら私を通して地球上に宇宙創造の源からの光エネルギー愛を放つことであるからです。従ってこれからは国内という狭い視点ではなく、世界に向けて地球レベルで行っていくことを意図いたします。その第一歩として今までの我彦の全てを放棄し、自らただ天及び神霊に身を委ね、その導きに沿って瞬間瞬間行っていきます。このことは新しいステージであり高雅な実践でもあります。

21世紀をになう惑星地球の子供達へ励まし、悦び、勇気を
現在、この惑星地球上ではチェルノブイリの原発大事故による地球レベルでの放射能汚染を機に、地球規模の自然破壊やエイズ、疫病、民族紛争、局地戦、人種差別、貧困などのもとで、多くの子供達が過酷なもとにおかれています。また、政治的対極、国家間の権利、国境という見えない壁、宗教上の違い、富の不平等、経済至上主義、増発する暴力や犯罪、そして人間愛や同胞愛の欠如などによって、世界中のいたるところでおびただしい数の子供達の生命が犠牲を強いられたり、人間としての尊重もされず、苦難な状況におかれています。
私は身近な子供達や国内の子供達と同じように、苦難におかれている子供達へ励まし、悦び、勇気、希望を与え、注ぎたい。そのため、汗を流し、童画作品15,000点余創出させ、自ら直接訪れることや、郵送で送るなどして国内5,100校の小・中学校や保育園、幼稚園、養護学校など、様々なところ、10,000ヶ所へ13,000点余の作品を無償で恵与、寄贈させて頂き、数万人以上の子供達やその子供達と関わる多くの方々へ励まし、悦び、暖かさ、希望、勇気を与え、注ぎ得ました。社会的経済的奉仕の実行を意図したものです。
13年間にわたり、全魂全身を注ぎ行ってきた自助努力を基本とする奉仕から黄金律の実践の結果、新しい能力が自然に発露されるようになりました。温かなエネルギーが実際に放出する童画及び心書をダイナミックに創出し得ることです
「童画」は子供達や人々に描き、温かみを与え癒し、「書」は人生及び経営への「慶び」と「発展」へ誘います。これからはよりダイナミックに国内外の小・中学校をはじめ、様々なところへ積極的に童画を寄贈していくため、「童万笑」の作品50,000枚創出させ、自ら寄贈させて頂く中で早急に一億円の恵財を創出したく思います。恵財(恵みの財)と表現いたしましたのは、実際に苦難にある世界の子供達へ温かな恵みを与え注ぎたいこと、まったく新しい国際的児童博愛奉仕事業を行っていくためのものだからです。

以上の視点に立ってご希望の方々へ「童万笑」の作品を手描きで創出し、提供いたしたく思います。より多くの子供達やより多くの家族の温かな喜びが、感謝が生れることへの誘いを意図して、次のように代金を設定させて頂きます。贈り物や御見舞などにも悦ばれることと確信いたします。

1枚5,000円で、2枚7,000円で、3枚10,000円で、手描きのままとなります。

同時に、1999年から2013年にかけての本格的な地球変容及び地球浄化の時期を迎え、特に厳しい経営環境にある一人でも多くの経営者の方々や、人生上のバランスを崩されておられる方々とそのご家族の方々へのサポートの意図でご希望の方々へ心書と童画を組み合わせて創出します。
我彦 秀光
お問い合わせはFAXにてお願いいたします。
FAX NO.023−632−2310(ホテルさかえや内・我彦 秀光)

そよ風にのって 第9章

 7月7日、童画家の我彦氏に会い、翌8日、山形に旅立ちました。山形の地は母性そのものの優しい波動で、祝福を全身に受け、ゆったりと幸せな日々を送っていたとき、晶美嬢からの電話を受けました。彼女は7月7日から宮古島へ行っています。「今、宮古島にいるの。ママは8月8日、宮古島に来ることになっているからね。準備しておいて。9月9日も必要よ。」一方的な電話に「あなたが動くのはいいけれど、なぜ私が必要なの?」と聞いてみる。「ママは<わ>の働きなのよ。ママの<わ>が必要なの。」彼女との付き合いは既に丸4年になり、慣れてきたとはいえ、分かったような分からぬ会話で、私の静かな生活に小波が立ち始める。<わ>の意味を自分で反芻する。<わ>とは「輪=円」であり、「0(ゼロ)」であり、「和」であり、「大地=母性」である。4月、彼女と淡路島、四国、岡山、京都と旅をしたとき、「富士山のすそ野を囲んでいる輪がある。それはママ。」「淡路(あわち=天と大地を結ぶ土地)はママ。」と言い始めていた。平成8年、イスラエル、オーストラリア、台湾、そして日本各地を1年間に渡って旅をし、その時の不思議体験から、世の中のいわゆる正邪の価値観が音を立てて崩れていったのだが、平成10年12月23日、広島、厳島神社を訪れたときから、更なる神秘への旅が始まっていた。

<わ>の役割が自分にできるのかどうか、じっくり考え始める。陰と陽の調和、白と黒の融合、心の奥深くくすぶり続けている娘との葛藤が、まだ解決できていなかった。何が正しくて、何が悪いことなのか。正邪の観念は、力を手中にした一部の人間が、他の多くの人間をコントロールするために、理屈を付けて固定化した概念でしかないことを頭で理解していても、現実の生活の中、頭髪を金色に染めた娘の姿に、目を背けてしまう自分の心を持て余していた。
内なる輪が完成しない状態で、宮古島へ行っても意味がないとの思いから、晶美嬢に一端は同行を断ったが、出発の3日前になって、内なる輪はつながった。相手に問題があるのではなく、それを見て規制の価値観に捕らわれ(日本人で金髪に染めるのは好ましくないという私の固定概念)、振り回されているだけであり、例え頭髪をトウモロコシにしようとも、娘は娘であり、私と共に生きてくれている、その存在自体に意味がある。
正邪の固定観念から、なかなか抜けられない私のために敢えて娘は、私が嫌だと思っていることを現出し続けてくれる有り難い存在で、じっくりと自分の過去からの生き方を思い出してみれば、娘の言動は実は私自身であるということに気づかされる。「ありがとう。私に気づかせるために君は、あえて損な役回りを演じてくれているのね。あなたの言動を、そのままにすべて認めて、あなたが今日も私の側で呼吸していることに感謝します。そして、あるがままのあなたを丸ごと愛します。」と、心の内で許し、愛、感謝の気持ちを娘に送ると、不思議なことに、口では何も言っていないのに、翌日から娘の私に対する言動が変わった。
自分の周囲で発生する問題点は、すべて自分の内に存在している。内なる分断(正邪)意識が、自分の心を波立てるだけのこと。「1」は「1」のままでは、己が「1」であることを知ることができない。娘との葛藤を通して知る自分の暗部、「2=他者」があって初めて「1=自己」が分かる。「正」は「邪」なくして成立しない。私の内にある白と黒の観念が、その必要性と共につながり、輪を形作った。

悦びで出発した宮古島。空港に降り立ち、そのまま連れて行かれたのは新城定吉氏の石庭である。新城氏は今年77歳で、天からのメッセージを受け、20年間たったひとり機械を使わず、梃の原理を応用して何トンもの大石を土中から掘り出し、配置。「神秘の石庭」を創っていらっしゃる方とのこと。詳しいことは何も知らず、ただ連れられて行く。宮古島滞在中、毎日この石庭を訪れることになり、石庭の中央にある聖なる場所と言われる丸いサークルに素足で入り瞑想する。

ある日、晶美嬢から「ママはひとりで思いのまま周りを歩いて、心が落ち着いたらこのサークルに入って来て。感じたままを声にして、皆に伝えて。」と言われる。物言わぬ多くの石から、気持ち良いエネルギーの放出は感じているものの、取りたててそれによってインスピレーションを受けるなどということもなく、ただ歩き、サークルに入る。皆が私の声を待っている。何もない。何を言えというのだ。困ってしまった。ポツポツと口を開く。「晶美たちの言うひとつひとつの言葉の意味<あ>とか<う>とか、カタカムナの何たるかは、私にはまだ分からない。私は私の言葉で、普通の人たちに分かってもらえる平易な言葉を使って話したいと思う…。ゼロ磁場という言葉がある。こちらにある、あちらにあると人はゼロ磁場を求めて足を運ぶが、ゼロ磁場は私の心にある。私たちひとりひとりの、人間の内にこそある。それを大切にしたい。」私が意識して喋ったのはカタカムナのことまでで、ゼロ磁場に関しては、勝手に言葉が口をついて出ていた。

毎日その日の報告に訪れているとき、変わった蜘蛛の巣がそこにあることに気づく。初めて目にするもので、中心部分が小さく、それでもはっきりと螺旋を描き、周りは細い糸でラフに張られ、蜘蛛の姿はない。磁場の影響で作らされているのであろうか。友人に頼んで写真を撮ってもらった。
新城氏との初対面のとき、「お前は何者だ!」とばかり矢継ぎ早の質問攻めにあって驚いたが、それ以降は受け入れてもらえたのか、自生のパパイヤやマンゴーなどを毎日振る舞われ、暖かく身内の者のように遇されることとなった。そんな中、「天地人の庭」というひっそりとした場所にも招き入れてもらえるようになったのだが、そこに足を一歩踏み入れた途端、全身に鳥肌が立ち、懐かしさが込み上げる。「私はここからやってきた。」自然に言葉が私の口からこぼれ落ちていた。

8月6日に旅立ち、宮古島、来間島、池間島、大神島、伊良部島、石垣島、西表島、新城島と回り、8月14日の深夜に帰宅。その日から新城定吉氏著作の2冊の本を読み始める。「宇宙に抱かれた石庭」と「人間は無限大」(共に発行人:新城定吉〒906−0013 沖縄県平良市字下里 2309 TEL09807−2−6751 各¥1,500)である。この本を手に取り、頁を開ける。すぐに眠くなる。一種独特な波動が出ており、目を開けていられない。それでも数頁ずつ読み進んでいく。苦労して(?)2冊を読み終わったとき、私はこれらの本を「読んだ」のではなく、「体験した」ことを実感する。
読後、新城氏に礼状を送った。それをここに紹介したい。

残暑、御見舞申し上げます。8月6日から14日まで、晶美嬢と共にお邪魔した宮古での体験につき、お礼状を書かなければと思いつつ、先生のご本2冊を読み終わってからにしようとの勝手な思い。その後、ポーラースターニュースVol.9の発刊作業に追われ、大変遅くなり、心が痛みます。どうぞ、お許し下さい。それでも、お伝えしたいことがあり、ペンを取りました。
宮古から帰ってきてから、私の環境に大きな変化が生じています。8月14日は見上げる空一面、どこもが虹色の雲で、その時から次なる旅へのステップは始まっていたのだと、今にして思います。大きな変化は、先生のご本を読み終えた頃から始まりました。

以前から私は良い波動、悪い波動、何であろうとそれを吸収してしまう体質で、避けることができず、在るがまま、感じるまま、自分の内で消化していくことをしていました。完全に消化するまでは身体が重かったり、頭痛、吐き気に耐えたりしておりました。私が苦しむ分、変わりに誰かが楽になるのなら、それでも良いと思っていました。先生のご本が発する波動はとても強く、それだけ先生の想いやご苦労を感じさせて頂いておりました。一度に長時間読むことができず、数頁読むと眠気に襲われ、本を閉じていたのですが、そのまま眠っているとき、夢を見ました。その日の日記の一部を紹介させて下さい。

『私は石庭にいる。石庭の波動が私の意識を変え、私の意識の変化によって石庭の波動が変わる。波動が変化した石庭から私に入ってくる波動によって、更に私の意識が変化する。この循環が続くことにより、場から一切の人間想念が薄れていき、天界(神界?)の中に私の身体は入っていく。ミクロの粒子が体内を流れ続ける。滞る場所はどこにもなく、サラサラと光り輝く透明な小川のように優しく優しく流れ続ける。』

この波動を何と説明すれば良いのでしょう。自然の中へ入っていけば心地よい波動に出会えますが、それでも人間の想念があり、濁りがありますが、今、体内を流れ、全身を包んでくれているのは、一点の濁りもなく、透明です。夢の中にいながら、私の意識は目覚めており、初めて出会ったこの波動に驚き、感動し、観察しています。欠けるもののない、すべてである神そのものとも呼びたいこの波動への道がどこにあるのか、この意識への流れに入っていくための方法が、おぼろげながら分かりかけています。起きてこのことをすぐにメモしなければ、この体験が消えていく。この意識が薄れていく。起きよう。起きてメモしようと思うのですが、あまりの心地よさ、この場に少しでも長く留まっていたいとの想いが強く、メモすることができません。初めて体感した波動、これが創造主?これが宇宙の大いなる愛?目覚める瞬間を伸ばし伸ばし、私はその胎内で安らぎ続けました。

この夢を見た後、私の身体は一切の波動から自由になれたのです。良いも悪いも何もない。波のない湖面のように、ただ静かに現象を写していますが、鏡のように凛として澄んだままです。電車に乗ろうが、雑踏の中に入ろうが、その場にたむろしている波動の影響をまったく受けなくなりました。それだけでなく、その後も連続して多くの意味ある夢を見続けております。その夢のすべてをここで書くことはできませんが、夢の導きにより、私達の本質は光であり、どんな制限からも自由になり、不老不死、若返り、肉体を持ったまま昇華することも可能な、全なる存在である事が、文字や理論としてではなく、実体として心に入りました。ありがとうございます。私の生命は、宇宙という全体に含まれる部分であると同時に、全体としての宇宙そのものであるということも体験いたしました。
昨日見た夢は、私が体感した宇宙創造の真理を自分の身体を通して、この地球に存在しているすべての生命体に大いなる光を与え、無限なる生命であることの意識を伝えます、という言葉を発し続けているのですが、私の口から生れ出てくる言葉の数々は(残念ながらひとつひとつの具体的な言葉は思い出せません)、聖なる響きを持っていて、視野全体が黄金の輝きで包まれました。その時、私の肉体はそこにはなく、金色の輝きの中、雲が様々な形に変化して猛スピードで移動していきます。

こんな素晴らしい夢の数々に導かれ、更に学び、体験を重ねていこうと思います。これら一連の流れが、先生の石庭から始まったことを、ここに感謝を込めてご報告させて頂きます。本当にありがとうございました。9月、再度訪問させて頂きますが、私はこれらの体験も交え、自分の心の情報誌『PO‐RA‐STAR NEWS』にこの新たな旅を紹介する必要を感じております。9月、訪問の際、石庭の写真を撮らせて頂きたくお願い申し上げます。素人の私が撮って、どれほどの映像を表出させうるかは分かりませんが、石庭の発する波動を撮って紹介したいと切に願っております。
汚い字で思いつくまま長い手紙を書いてしまいました。読んで頂けたことを心より感謝いたします。そして、先生の人生、生命に深く感謝いたします。ありがとうございました。
感謝
平成11年9月1日
浜口喬香子
 10月に入って、一緒に旅をした森本康彦氏より「波動スポット探検隊〜宮古島・神秘の石庭〜」というコピーを頂いた。そのコピーの中に、新城氏の言葉としてこの石庭についての説明があったので、それを転載させて頂きます。

この場所で、前世の記憶が甦ったり、未来への希望が湧いてきたり、あるいは病気の人が石庭やそこから出土する化石に触れることで治ることがあり、石庭への訪問が人生の転換点となるケースが少なからずあるようです。ここは神様が隠しておいた、宇宙と地球のエネルギーの交差する場所であり、ここで多くの人が交流して互いに認め合うことで「平和な世界」を創っていくためのエネルギーを横に広げていく、つまり世界中に広げていくための場所として、石庭を私に造らせたのだと思っています。


宮古島は、失われたムー大陸の一部であり、その時代の神殿のあった場所の上に石庭があるのではないかと思っています。そして、宮古島はちょうど魔の領域として知られるバミューダ・トライアングルの裏側にあたり、地球がバミューダから吸い込んだエネルギーを、宇宙に向かって吐き出している場所がやはり「三角形」をした宮古島だと思うのです。地球が呼吸をしているような感じです。

9月に再度、宮古島、石垣島、与那国島を訪問。2回に渡る西南諸島への旅は、私にとってさらなる気づきを生む不思議な旅となり、人類の起源や地球の創生にまで意識を広げてくれました。数多くの夢が、実体験してきたことの意味を、少しずつ教えてくれます。この旅を本気でまとめようとすると、原稿用紙で400〜500枚位になってしまうため、すぐにそれに取り掛かることはできませんが、その内、時機が来るならお知らせしたいと思います。

ただ、この旅はあくまでも私の旅であり、万人に同じ旅はありません。行動を共にしていても、晶美嬢には晶美嬢だけの旅であり、森本氏には森本氏だけの旅であるでしょう。何を見、何を体験し、何を感じるか、ひとりひとりが異った角度によって、場から何かを得られるのではないでしょうか。「生きる」ことの意味、「生命」の本質、及び「自己」の本質を、もしかしたら自然が教えてくれるかもしれません。私の体験に興味をお持ちになるなら、迷わず旅行カバンを持って玄関の扉を開きましょう。新城先生の本を読んでみましょう。そして、この旅の間中、ずっとお世話になった仲里果樹園(沖縄県宮古郡下地町洲鎌 827−2 TEL 09807−6−6443)にも、是非足を運んでみて下さい。仲里弘義、照子ご夫妻、及びご家族ご親戚の皆様、とても暖かく素敵な方達です。

TAKAKO
1999.10.21記

★★★  できるだけ写真をそのままに見て頂きたいので、最終頁(裏表紙)に掲載いたしました。石の写真は
森本康彦氏提供、螺旋の不思議な蜘蛛の巣は嶋田幸代さん提供です。ありがとうございます。

そよ風にのって 第10章

昨年の暮れ、UFO氏より、彼との「出逢い」と「二十一世紀に想う」につき、自由に面白おかしく何か書いてくれとの依頼を受けた。その時、彼に送った文章を転載する。

白峰由鵬氏との出逢いは玉手箱?

 人と人が出逢うことの縁、不思議さの意味が少しずつでも分かり始める種を、そうだよとの説明も無く手渡してくれたのが由鵬氏だったような気がする。彼と出逢って、既に丸4年の月日が流れ、それ以前とはまるで住む世界が変わってしまった。
夫の死後、お世話になった持丸青年が住む所が無いとのことで、我が家の一部屋を提供していたのだが、彼の誘いで下北沢で開かれていた「さくらの会」に参加した日、その会場で出逢ったのが白峰由鵬氏で、初対面の私に「あなたは弓削の道鏡をやっていましたね。」と声をかけてきた。過去生がどうだとかいう話とは無縁な生活をしていたので、「変な人!」と思い、その日は別れ、後日彼から「今から行きます。」の唐突な電話。何のため?理由不明のまま、彼の訪問を受けることになった。思えばこの日から私の人生舞台は大きく転換が始まったようだ。

 我が家のルーフバルコニーに神社を作ったり、普通ではない人を次々と連れてきたり、摩訶不思議なワークとかいうものを始めたり…。会社を倒産させ、夫を失い、本来ならひっそりと静かな生活に入っていく筈の私の周囲は、おかしな人、人、人…で埋め尽くされ、毎日のように違った舞台が開かれていく。私はただ家に居るだけで、劇場の特等席に居るようなものだった。
 ある夜、高坂和導氏の要請で、我が家の上空にUFOを終結させるということになり、次々に人が集まってくる。結論は見事な喧嘩別れとなったようだが、由鵬氏、及び霊能者らしき人にはUFOが見えるらしいのだが、ビデオを持ってきた高坂氏には見えない。勿論、私にも当然見えはしない。「一般人に見えるだけ波動を落とせ。」「今はまだその時期ではない。第三の目で見ろ。」の遣り取りの末、午前4時、「馬鹿野郎!ふざけるな!」の大音響が高坂氏より発せられ幕切れとなった。見えるという人達には五千機終結していたというのだが…。
 
 私自身が体験してきたことの中で、面白い現象を二つ紹介しよう。一つ目は、我が家に三ヶ月間同居していた榎戸晶美嬢の事。彼女は私の目の前で刻々と変化し、由鵬氏の導きにより霊能者になっていったひとりである。
 ある昼下がり、家には私と晶美嬢二人しか居なかった。昼食後、テーブルに向き合い、くつろいでいる時、私は異様な波動をキャッチし、「晶美、何か来たみたいだね。」と言った時から彼女の変化が始まった。顔が歪み、引きつる。声が変わる。何者かが彼女の身体に入り、喋り始めるのだが、彼女の自我がそれを許さじと闘っている。晶美と霊との戦い。「ママ、助けて!」晶美と男の声が交互に現われる。彼女には気の毒ながら、おかしくて笑ってしまった。その男が得意になっていろいろ喋るので、メモを取り出し、私は質問者になる。「あなたは誰ですか?」「わしは役小角(えんのおづぬ)じゃ。」私は役小角のことが記載されている本を持ってきて、その頁を開く。「見せてみろ…。フゥーン…。この部分は事実じゃ。じゃがこれは違うぞ…。本というものはいいかげんなものよのう…。本当の歴史がそのままに伝えられることなど無い。どの時代も、権力を握った一部の人間が、自分の都合のよいように歴史を書きかえるんじゃ…。これは違う!絶対に違うぞ!」「おまえたちはいい時代に生きておる。わしのように山にこもる必要も無い。それにしてもこのおなごはたいしたものじゃ。今でもわしを追い出そうと闘っている。このおなごは見所がある。たいしたものじゃ。アッハッハー。」
この時の会話はすべてメモを取ってあるが、詳しい内容はチャンスがあれば、別の時に書くこともあるだろう。静かな普通の生活が、突如、おもしろい舞台に早変わりするこの頃の私の不思議な「場」を知ってもらうために紹介した。瞬間、瞬間、何が起きるか分からない、そんな生活が続いていた。

そして二つ目、ある夕食会に参加した時、品のよい素敵な女性が私の前に立った。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。「お願い、助けて。」言葉はこれっきり。何のことかは分からないが、彼女の真剣さ、切実さが伝わってきて、意味も分からず彼女を抱きしめ、「大丈夫、大丈夫よ。必ずうまくいくわ。」と口にする。その後、どうにも彼女のことが気にかかり、由鵬氏に話してみると、「彼女は癌だな。」と言う。どうなるかは分からないが、やれることはやろうと、私は彼女の職場のある宇都宮まで遠赤外線サウナ「さがの」を持って出かけることにした。
 このサウナで癌が消えた人を私は何人も知っている。宇都宮で会った彼女の目には灰色の薄い幕がかかり、まるで生気が無い。約3時間、彼女が何に苦しんでいるのか理由を聞きもせず、ただ私自身の人生体験から、すべては自分の心のままに現実を創造するのだということを、面白おかしくひとりで喋り続けていた。彼女に生気が戻り、生きる悦びを知って欲しかった。さがのの使用方法を教え、帰る時、嬉しいことに目を覆っていた灰色の幕は消え、かわいい瞳は光りさえ発していた。ただそれだけで嬉しく、帰途についたのだが、宇都宮のインターに入ってすぐ、私の身体は重く、疲労の沼に沈み込んでしまった。
家に帰りついて、その日は娘の誕生日パーティだったので、フラフラしながらお寿司を作り、作り終わった途端ベッドへ。「ゴメン。もうダメ。ママの生命エネルギーが枯渇したよ。もう動けない。お寿司作っておいたから、みんなで食べて。」その夜は私のベッドのまわりで娘や息子、友人がワイワイガヤガヤ楽しんでいた。
明けて翌日、私は発熱し、声がまったく出ない。この日、九州熊本で講演会の予定が入っている。声が一切でないし、動けない。筆談で息子に依頼し、急遽講演会のドタキャン騒動である。主催者への連絡、代理講師の手配等をすべて筆談で息子に指示。やれやれと一息ついた頃から、下腹部、子宮の辺りがみるみる腫れてきて、拳大のボール球が硬くせり出てきた。一体何が起きたのか。下腹部に張り出たボールをさすっている時、由鵬氏がタイミングよく登場。ベッドに横になっている私を見て、「どうしたい浜ちゃん!?」と由鵬氏。昨日からの顛末を話すと「ワッハッハッ、そりゃぁ癌だね、癌!宇都宮でもらってきたね。このまま病院へ行ってごらん、すぐ手術されるよ。」「でもよかったじゃないか。九州へひとりで行っててごらん、浜ちゃん、帰って来れなかったよ。」と笑う。
今回、熊本の講演会終了後、その足で私はひとりで島原へ行ってみるつもりだったのだ。帰って来れないとは、この島原のことを由鵬氏は言っている。「カルマ落しができたからいいけれど、浜ちゃん、自分が家康をやっていたことを忘れちゃあダメだよ。彼女は天草四郎の分霊(わけみたま)であり、浜ちゃんは徳川家康の分霊だよ。島原へひとりで行こうなんてとんでもないことだ。宇都宮に行ってよかったよ。待ってろ、今すぐ治してやるよ。」と、何やらゴチャゴチャやってくれた。そして嘘のように子宮のボールは消え、声が出始めた。作り話のような本当の話。
カルマか何か知らないが、いいかげんにしてよと思ってしまう。数億年にも渡る転生のひとつひとつに対するカルマ落しなんてやってた日には、今回の一生では償いきれないよ。今日までに伝えられてきた私の過去生の数々、事実かどうかは別として、面白いからちょっと並べてみよう。北極神、宇宙の塵、太陽の黒点、アフリカの砂、若芽、初代ジュゴン、ダビデ、ユダの荒野で油売り、マリア、カサノヴァ、ロシア宮廷出入りの商人、中国福建省で塩を使って病人を癒していたヒーラー、イタリアの主婦、大黒天、大国主命の愛人、瑞玉姫尊(淡路島に碑がある)、紫式部、弓削の道鏡、徳川家康、西郷隆盛、息子の恋人、その他名も無い個人多数(説明が面倒なので省く)…。複数の霊能者が口々に教えてくれたこと。

 複数の霊能者を友人に持っていると、人生退屈という言葉は消えてしまう。毎日が刺激に満ち満ちている。夫の死が引き寄せた人生の大転換。蛾が火の中へ飛び込んでくるように、由鵬氏をはじめとする異質な霊能者が次々に我が家に飛び込んできて居座ってしまった。三ヶ月住んだ人、六ヶ月の人、一年の人、二年の人、来る者拒まず、さる者追わない私の性格で、来続ける人とはいまだに面白おかしく付き合っている。一時は魔界屋敷と呼ぶ人もいた。由鵬氏との縁は、どうやらまだ切れないらしく、共に秘湯巡りをしたり、麻雀をしたりという仲であるが、彼をはじめとする異質な人との出逢いから、私の価値観や考え方は見事に変わってしまった。現世での地位や名誉などゴミのようなもの。地球が一回くしゃみでもすれば、すべては泡と消える。宇宙の一大イベント、地球をはじめとする宇宙全体のアセンションが、どうなるのかは凡人の私には分からないが、あまりにも歪みすぎているこの地球、及び地球文明を変えられるなら、変える方に残りの人生賭けてみたい。こんな楽しく、面白い人生を開いてくれた由鵬氏に深く感謝する。これを読んでいるあなたも仲間に入りませんか?毎日、笑って、生きていけること、請け合いますよ。

二十一世紀に想う

間近に迫った千年王国?本当に人類は新たな価値観の元、新生地球を創造できるのか?などと大上段に構えなくとも、毎日耳目に、肌に触れてくる出来事を見ていると、自ずとその出来事を支えている裏の意味が見えてくる。権力とお金に取りつかれ、東奔西走してきた人類の歴史が、大きな転換点を迎え、意識変容か、さもなくば崩壊へのシナリオは既に上演されている。幕は既に上がっている。崩壊への道をひたすら走っている人達がいる。何としんどいことよ、と気の毒に思う。自分を規定している肩書き、立場を一時荷物預けに置き、せめて一週間くらい身体ひとつで旅に出てみてはどうだろう?自然と向き合う時間を持ってみてはいかがだろう?何も考えず、太陽、風、土、植物、水、虫などに目線を合わせて、共に呼吸している自分の肉体を観察していると、地球が奏でるオーケストラの響きが伝わってくる。

平成11年11月、由鵬氏、今村興一君と私の三人で東北への旅をしている時、自然が発する大いなる愛に包まれて、初めて私は波動的エクスタシーを感じたのだが、その時、愛と共に悲しみをも感じ取った。自然が大いなる慈愛を送ってくれながら、同時に別れの悲しみを伝えていることに気づき、由鵬氏にそれを伝えると、「そうだね、この辺はもうすぐ海の底になるからね。」との返事。そうなのか。地殻変動で海の底に入るのか。私は何ら動揺することなくそれを受け入れていた。地球の数十億年にも渡る歴史の中で、大地が隆起したり、沈んだりしていることは周知の事実。騒ぐのは人類だけで、人類を除く生命体は静かにそれを受け入れ、進化していく。「ありがとう、そして長い間ご苦労様でした。」の気持ちを、別れを伝えてくる大地へ送り続けた。

多くの預言が出回る中、人類の想念による集合意識の変容が、地球再生への鍵になると私は思っている。誕生以来教え込まれ、社会がそれを善とする通常意識に疑いを持つどころか、信念さえ持ってしまっている時、その意識から自由になることは大層難しいことではあるが、日々の生活の中、起きてくる出来事に一切の判断を加えず、「これは素晴らしい出来事なのだ。」と受け入れてみてはどうだろう。良い、悪いは、それを受ける人間が決め付けることで、出来事にとっては良いも悪いもありはしない。ただ人間の発する良いとか悪いとかの想念はとてもエネルギーが強いため、結果としてその思いの通りに出来事を変えていくようである。そういう意味で、自分の人生は、誰でも自ら好きで、引き寄せているということのようだ。そうであれば、例えどんな出来事でも、それを自分にとって良い結果にする方法は、とてもシンプルで簡単なこと。起きてくる出来事が何であろうと、心より感謝し、悦びで受け止めることであろう。

10億円の負債で倒産した時、私は悲しいとも苦しいとも思わなかった。誰のせいでもない、自分のやってきたことの結果なのだから。まず、その事実を素直に受け止め、倒産後、発生してくる出来事は、どれも私にとっての初体験として初々しく受け入れていた。初めて自転車に乗った日、初めてキスを交わした日など、初めての体験とは、ある種、心弾むものである。裁判所で被告人席に座るとは、どのように心を変化させるものであろうかというように、自分の心の変化に注目し、それなりに楽しんでいた。自分の心の動きを、第三者的に観察するという習性が身につき、少々のことでは動じない自分が育っていった。そして今、倒産という出来事にとても感謝している。

私にとって人生とは、悦びを体験するためのものであり、悦びそのものである。この事をひとりでもわかってくれる人が増えると嬉しくて、月に一回、日本タラソテラピスト学院で実践的食養学というタイトルで講義をさせてもらっている。口を使って食べる食物について学ぶ学問が、食養学ではあるが、私は勝手に広義な解釈をし、吸う酸素も、頭脳に入れる生きる知恵も、心で受け止める感情も、霊性への気付きのための瞑想も、人間を養う食養学として授業を展開している。生徒は目を白黒させてはいるが、面白いと言ってくれているので、当分私の授業方針はこのままで進む。
ある日、「ありがとう」という文字を書いた紙を貼っておいた瓶と「むかつく・殺す」と書いた紙を貼っておいた瓶、それぞれに水を入れ凍らせる。その後、氷となった水の結晶写真を生徒たちに見てもらった。ご存知の人は多いと思うが、「ありがとう」の水は見事に美しい結晶を形成しており、「むかつく・殺す」は形が無く、ドロドロとしている。紙に書かれた文字でさえ、これだけ大きな影響を与える。私たち人間は、いわば水袋。自分の発する言葉の選び方で、自分の身体が振動し、その振動によって体内水分が同じ様に変化する。「ありがとう」「むかつく・殺す」どちらが人間を幸せにすると思いますか?どちらを選べとは言いません。どちらを選ぶかはあなたの自由。ただ、日常無意識に使っている言葉が持っている力の大きさ、そして心で思うことのエネルギーの大きさに気づいて下さい」という授業をした。

人間の感情で、怒りのホルモンは猛毒です。自分を害したければ、一日中怒っているといい。反対に、悦びの人生を送りたいなら、許しと、愛と、感謝を常に心に留めておくといい。許しと、愛と、感謝を実践していれば、その波動に共鳴する出来事だけがやってくるようになる。21世紀は、この意識を上手に使える人達が創造する、自然と調和し、悦びを放射する文明に転換されていくでしょう。許して、愛して、感謝する生活は、人間から心身の病いを一掃させますし(寺山 心一翁氏は末期癌で死を目前にした時、太陽に向かい「これまでの命に感謝します。」という言葉を繰り返したことで、癌細胞はすべて消え、その体験を世界各国で公演活動をされています。)、地球と共鳴している女性たちの子宮が健康になれば、地球も健康を取り戻すでしょう。地球の21世紀は、女性にかかっています。自らの子宮を健全にする方法は、食を正すことと、想念の変革、この二つです。意識さえあれば、誰でも今日からスタートできます。無限なる愛を与え続けてくれる地球と共に、自己人生華やかに、悦びでいっぱいにしませんか?

地球に興味のある方は、是非、「土壌の神秘・ガイアを癒す人々」(春秋社¥6,000+税)を読んでみて下さい。農薬や化学製品で歪んでしまった私達の住むこの地球を癒し、復元する具体的方法が世界各地に詳細な取材をすることで明示されています。大地の力、岩、石、砂の力、植物、昆虫の力、…。私達は何を見て生きてきたのか?
私だけかもしれませんが、私は何も知らない完全無知の闇の中で、目も見えず、耳も聞こえず、悪臭の中に漂い、ボコッボコッと闇の底から湧きあがってくるあぶくにもまれて、蠢いていただけだったことを思い知らされました。そして、地球の復元、及び人間の心の開放は、大地を始めとする、自然を観察することで完成するという、ワクワクする二十一世紀をこの本の中に見つけることができました。
21世紀は実におもしろい!瞬間、瞬間に起きてくる出来事に、全神経を使って観察していけば、どんな出来事もその人を悦びの生活に導くために天が与えてくれたプレゼントだということがわかってくるでしょう。一人一人が冒険家。宝物は人間の心の奥に眠っています。チルチルとミチルのように、外へ答えを求めても、心身は疲弊するのみ。答えはそれぞれの心の内側にある事を知る人がどんどん増えていくでしょう。そんな時代に生きているという、ただそれだけのことがどんな財宝より、肩書きより、感動的で毎日が新鮮です。今を生きていられることに感謝あるのみ。

そよ風にのって 第11章

 2000年1月1日の夜明け前、今年の生きる指針を決めた。「身体創り」と「今を楽しむ」の2つです。思いついたその時は、それほど 深く考えたわけではなく、ただ何となく思いついたというか、ひらめいた言葉であったのに、今にして思えば新生地球人に移行するための万人共通のテーマであったことを思い知らされる。
 永年甘やかして緩みきった身体が重く、大好きな旅行を継続する為と新生地球を楽しむ為に「肉体年齢の若返り」をしようと心に決めては見たものの、ダンベル運動も散歩も、今ひとつ楽しめないまま数日すると元の木阿弥、従来通りの怠惰な生活に戻っていた。52年間繰り返してきた日常に戻る筈だった。ところが今回はそうはならず、「身体を見つめ、身体と向き合いなさい。身体を愛しなさい。」とばかり、強烈な実力行使がやってきた。

2000年1月8日の朝、突然胃腸の激痛に襲われて目覚める。脂汗と涙でベトベトになりながら、うめき続ける。うめきながら物理的生理的原因を探してみるが何も心当たりが無い。そうであるなら答え(原因)は、心の内側にある事になる。

病気は自分の心と生活が連動して創り出すものであるから、病気を治すことができるのは発生させた本人のみであるという考えから、私はどんなことがあっても医師や病院を頼らない。医師や病院は症状を押さえることはできても、根本的原因(思考体系や感情、生活環境など)を探ることをしない。だから何度でも同じ病を再発させることにより、その都度物理的肉体の生命エネルギーは低下し続ける。結果、病院で治らない病気が増え続けていると、私は思っている。

翌1月9日晶美嬢の発案で我が家に各地から大勢の人が集まり、新年会を開くという予定がある。この申し出を受けた時から、あまり気乗りしていなかったが、特に断るほどの理由も見つからないままに承諾をしていたのだが,その日が近づき、メンバーの名前を聞いた時から、私の心はそれを避けたがっていた。参加者一人一人は個人としてみるととても素晴らしい人達ではあるが、それぞれの個性が強すぎて、全体としては色がバラバラで、個性のぶつかり合いにより縦横にギザギザの棘が飛び出している。このメンバーの調和を図ることは、私のエネルギーでは不足となり、会終了後、私は数日間倒れてしまうであろう事が予測できていた。それでもOKと言ってしまった以上受けるしかないと覚悟をしていたのだが、内なる自己はそれを認めず、激痛を発生させたらしいことに気付く。

痛みに硬直した身体で、晶美嬢に明日の会を受けられない旨を連絡。会場変更の依頼をし、痛みと向き合う。胃と腸の細胞さん達に声をかけ、自己に不実であったことへの許しを請い、愛を伝える。そして今日まで黙々と生命活動を続けてくれていることに感謝の気持を伝える。息子に死海の塩風呂をたててもらい、私は人体と共鳴する9.8ミクロンの波長の光線浴(摂氏45度)に入る。本来ならすぐに身体は温かくなり、脳波がα波からθ波になってくれるのに,身体は一向に温かくならず、むしろ全身に悪寒が発生し身体は小刻みに震えている。痛みは少しも弱くなってはくれない。そうこうしている内に私の連絡によって晶美嬢から「会場変更は完了したから、気にしないで自分の身体に集中して」との声が届く。森本氏からは「大丈夫なの?今、公園に行って浜さんの身体に光が通るよう瞑想してきたよ。」栃木の浩子さんから「ごめんなさい。今回の会は私も何か違うと思っていたの。だから行くのを止めようとしていたのよ。浜口さん一人を苦しめてしまって申しわけありません。胃と腸に愛を伝える絵を描きました。早く良くなってください。」とのファックスが届く。

 脂汗と涙と悪寒に耐えながらも、気遣ってくれる友人達の声に励まされ、私は許されていることと愛されていることを、感謝と共に受けとめる。心の余裕ができたことで今村興一君の言っていた言葉が浮かんできた。「身体は傷つくことはあっても、心は傷つきません。」言われた時はこの言葉の持つ深い意味が分からなかったのだが、最近分かってきていた。「心を傷つけることができるのは自分だけ」である。人から、あるいは出来事から傷つけられたと思うのは錯覚で、人の言葉や出来事に反応する自らの心が相対的価値観により歪み、恐れや囚われにより「私は傷つけられた」と思い込んでいるに過ぎない。身体の損傷によって心まで傷つける必要はないことを思い出し、激痛に歪みそうになりながら笑顔を作ってみる。「肉体は痛くても、心は痛くない」「痛みがあるというのは、私が生きているからだし、生命を守ろうとして私に心と生活の歪みを教えてくれているだけのこと」「そうであるならこの痛みは、私を救おうとしてくれる大切な友人」「ありがとう、痛みさん。私はこの痛みさんとしばらく一緒にいよう。痛みさんを見つめよう。」と一人遊びをしている内、私の意識は肉体から離れていった。

ここはどこ?アマゾンの密林の中?大きな木々が生い茂っている。河がある。河に一艘木舟が風に押されて静かに流れている。木舟の中には女性が一人仰向けに眠っている。私のようだ。木漏れ陽と木々のささやき、葉擦れの音、頬を撫でていくそよ風、木舟の流れ、河水の流れ、鳥達の愛のシンフォニー……・。自然が醸し出す大きな愛に包まれて私は穏やかに眠り続けている。……意識が戻った時、痛みは綺麗に消えていた。時計を見ると、痛みが発生して7時間が経過していた。

2月に入って今度は左後頭部に激痛発生。初めて味わう異常な頭痛に私の直感は「脳梗塞」と言う言葉を受けとめる。晶美嬢に伝えると、確かに私の左後頭部の血管に2ヶ所詰まっているのが見えるという。どうやら私が元旦に宣言した「身体創り」と徹底的に向き合いなさいということのようだ。ずぼらな私を嫌でも「身体を愛する」ことに追い込んでくれる。見事です。想いは現象を引き寄せてしまったようです。あまりの見事さ、完全さに驚嘆し、感動し、笑ってしまう。
 そうこうしている内に、吐き気や眩暈、歯痛、右肩の異常な痛み、右半身の痺れ、発熱など次々と不調が出てくる。両手を挙げて、降参です。「分かりました。私は宣言通り、肉体年齢の若返りの為の行動を全てに優先させて実行します。」と追加宣言をし、子供達にも私の身体に起きていることを一部始終伝える。

病気は自らの心と日々の生活が創り出すものだから病院へ行っても無意味なので、行く気はなく、自分の心と身体からの声を聞きながら、すべてに優先して身体創りの生活に入ることを子供達にも宣言し了承をとる。まずは血管の大掃除。食をこれまで以上に正しながら、全身の筋肉を無理なく動かすべくプールへ行くが、右肩が痛くて泳げない。それならと水中ウォーキングにトライ。これがやってみると、とても楽しい。水がじゃれてくるようで、童心に戻って水と遊ぶ。足指のあいだを通りぬける水の感触は、清流を跳ね回る川魚達のよう。楽しくて時の経つのも忘れてしまう。

同時に「今、ここ、この瞬間を楽しむ」ことを意識的にスタートした。人が病気になるのは、生活習慣もあるが、もう一つ大きな要因としてのストレス(意識的、無意識的に関らず、心に抱え込んでいる恐れによって、自己本質に不実な生き方をしている為に溜め込んでいく心の葛藤)がある。生命の継続は、瞬間の継続である。「今」という瞬間の累積が生命の継続であることを心に受けとめ、過去は一切悔やまず、起きてもいない明日の出来事を思い煩うことを止める。「今、ここ、この瞬間」と向き合い、目の前の事象に心を集中し、楽しむ。
 例えば食事をする時は、食べるものと向き合い、感謝して良く噛み、食べることを楽しむ。歩く時は、太陽や風、木々や花々、鳥のさえずりに意識を向けて楽しむというように、生きて活動しているどの瞬間をも味わい尽くす。こうしておけば良かった、ああしておけば良かったという去った瞬間に心乱し、こうなるのではないか、ああなるのではないかという起きてもいない幻に心砕き、「今」という瞬間を殺すような、生命に対する不遜な生き方から離れていく。

水中ウォーキングを始めて1ヶ月もたたない頃には、不調はすべて消え、右半身の痺れも消えていった。日を追う毎に、「恐れ」から自由になり、自己の「想い」を信じきる生活をゆったりと続けていた4月1日、最近全く読もうとしていなかった「集合人」という冊子に手が伸びる。何故この冊子を引き寄せたのだろうと思いつつ、頁を開き、津留晃一氏の「浄化の旅」を読み始める。その冊子によると、1999年12月7日余命6ヶ月から1年の肺ガンと診断され、癌を良きものと考える津留氏は治療するという考え方を手放し、癌と向き合ったことが書かれていた。読み終えて、何故この冊子を手に取ったのかが分かりました。稚拙すぎる私の文章を、津留氏の確かな言葉で補いなさいということのようです。その一部をここに転載させて頂きます。

『ツーンと来る激しい痛みは、癌細胞の断末魔の叫び声でした。癌細胞がその叫び声と共に死んでいきます。後に生まれたての赤子のようなみずみずしい細胞を残して。体毒をその内懐に抱いて、無垢な健康細胞と入れ替わる為に。癌細胞に感謝せずにいられませんでした。何と癌の末期症状とは、癌細胞自身の末期症状だったのです。全ての物が発芽し成長し衰退し枯れ死していくように、癌細胞の死期が癌の末期症状でした。
 なんと言うことでしょう。それを自分の死期と勘違いして人々は恐れおののき、自ら発する恐れに押しつぶされて人は死んでいきます。片や、自身の健康の為に身代わりとなって死んでいく癌細胞に感謝し至福を味わい、片や恐怖と共に生きていきます。ではその違いは一体どこから来たものでしょう。それは癌を悪しきものと思っているか、良きものと思っているかの違いです。たったそれだけの違いです。初めにこのボタンを掛け違えると後はずっとそのズレを押し広げていくことになります。(中略)
 「風の谷のナウシカ」という映画があります。大好きな大好きな映画です。人類が火の7日間と呼ばれた最終戦争によって、完全に地球文明が地上から姿を消した後の物語です。そこには人間を寄せ付けない毒ガスを発する「腐海の森」と呼ばれる森が自然発生し、その森の勢力拡大と共に人類は自分達の住む場所を失いつつありました。皆がその森を人類最大の敵とみなし、焼き尽くそうと躍起に闘う中、主人公のナウシカだけは一人ガスマスクをつけその「腐海の森」の奥へと分け入って、その森の秘密を知ろうとします。そしてその森の最深部でとうとうその秘密を掴みました。森自体がその成熟期を終え衰退期へと進んでいく時、枯れ死した木は全く汚染されていない純粋な砂に変質していました。すなわち「腐海の森」は人類が汚染した大地の汚れを自らの体内に取り込み、それを消化吸収し終わった後その役割を終え、自らをまた新鮮な大地へと還元していたのです。宇宙のそんなスケールの大きな自然浄化システムの中に息づく慈愛に触れ、その映画が終った後私は席を立つことができませんでした。
 そして癌とは、全くこの「腐海の森」と同じ役割として存在しているようです。私達が発する不平不満は、そのまま自らの肉体の中にマイナスのエネルギーとして蓄えられていきます。それが様々な病気を引き起こしています。本人がそれでもなお健康に生き続けたいと意志を持つ場合、肉体内の全マイナスエネルギーを吸収し、癌細胞は成長を続け、毒素の消化吸収が終ったところで癌の末期症状となっていきます。癌は新鮮な細胞という置き土産と共に自ら自殺を遂げていくわけです。何という美しく巧妙な仕組みでしょうか。こんな深い慈愛に触れ私の全細胞が悦びました。痛みは日に日に激しくなっていく中、私の心だけはどんどんと健康になっていきました。
 宇宙の深い深い愛に感謝いたします。全てが完全であったことを知りました。全ては私が望んで、その結果としてこの目の前の現象があることを知りました。今も痛みを訴えるここにあるこの痛みのエネルギー、これは私が望んだ結果であったことをやっと100%受け入れることができました。
 痛みと向き合え、痛みを受け入れろと言葉で語ることは簡単です。でも心のどこかの片隅で未だ痛みを拒んでいる小さな小さな自我さんがおりました。これも自分の心から望んだ結果として今ここにあることが完全に納得できた時、その瞬間に痛みは半減してしまいました。』

 いかがでしょう。津留氏の生命を賭けた体験に深く感謝すると共に、自己を100%信じて生きることの大切さを今まで以上に心にいれることができました。体調不良に気付いた時がチャンスです。自己の心の奥深く握り込んでいる「恐れ」と対話してみませんか。

2000・4・17記
TAKAKO

そよ風にのって 第12章

私は誰?
 
日々起きてくることや生命の神秘に圧倒されている。平成6年会社の倒産、平成7年夫の他界。それ以降めまぐるしく眼前で展開されてきた不思議な出会いや出来事によって引き起こされてきた個々バラバラの体験が、ここに来て一つに纏まり、激流となり、渦を発生しつつ大河となった。そして大河自身が明確な意志を持ち、私を飲み込み一つの方向へ突き進んで行く。平成8年の初頭から意味も解からないまま体験し続けてきた出来事が、2000年10月30日、31日の2日間の体験のなかで意味を開示し始め、私の意識はそれらの意味や必然性、関連性に気付き始める。

 「私とは誰であるのか?」「私は何故ここに居るのか?」「私は何を意図し、何を創造するのか?」「私の生きる意味と目的は何であるのか?」それらの答えが、震えるほどのリアリティ(現実性)を伴って内から溢れ出てくる。意識がキャッチした目くるめく体験を表現することの怖さ(大法螺吹きだと思われる)はあるものの、その怖ささえ捨てることを、私の意識は了解する。これからお話するストーリーは,誰の目にも見え、共通に聞こえるという次元のものではなく、私のみが見え、具体的に体験した、正に私にとってのリアリティ(現実)です。どのように受け止められるかは、私の話を聞く(読む)あなたの自由意志であることを、あらかじめお伝えしておきます。

時間をはずした日の祭
 
 この特別な2日間が訪れるきっかけは、7月初めの頃だっただろうか。友人から一枚のファックスが届き、「行ってごらん。私は今ひとつだったけれど、浜口さんも体験してみるといいよ」との連絡を受けた。そのファックスには「CRIADOR(クリアドール)光のワーク開催!!−2000年エネルギー変換のとき、私たちの心も意識を変えるときです。あなたの内なる光を観て、あなたが光となるワークです。高(光)次元の水と精霊たちのサポートにより、自分が神(=光)であることを体験します。自分が宇宙の創造主であることに気付く為のワークです。宇宙とつながった時に、自分の宇宙を耕し直し、自分自身を書き換えることが、実生活での変化の契機になります。自分の内側を観ることによって自分の発した問いに対する答えが現われます。答えを外に求めることがなくなります。自分の中心とつながることにより、人生の目的が明確になります。ワークを繰り返し続けることにより、自分自身がクリアーになります。」と書かれていた。読んでも特に感じることはなく、積極的な意思も意欲も湧いてこなかったのだが、ただその開催日が2000年7月25日になっていることに私の意識が反応した。「7月25日、時間をはずした日の祭」をしようという呼びかけを受けており、その日、山形「スバルの会」の友人たちが、それぞれ子供達も連れて一泊二日でその祭を実行することを知らされていた。参加したいと思いつつも経済的な理由から出かけることが出来ず、私は私一人の祭をやってみようという意志だけがあった。「7月25日か?これも何かの縁だろう。他に何も思いつかないし、行ってみるか?」軽い気持で、そのワークなるものに参加した。何も期待していなかった。私の「時間をはずした日の祭」にしようという意識だけがあった。

一回目のワーク体験―2000年7月25日
 
参加者の中に早稲田大学の女子学生がいた。彼女は心では精神世界に憧れ、そこに入っていきたいとの渇望を持ちながら、これまで多くの人に話しを聞いてきたが、誰も自分の知性を納得させてくれる人に出会わなかったと言う。「言葉で話せないのは、偽者よ。」と主催者に迫る。相対的価値観の中で学び、育てられ、相対的言語で何とか識りたい、解かりたいという想いが交錯しながら苦しんでいる。言葉だけで識ろうとすればするほど、彼女の求めるものは彼女から離れていく。本当に識りたければ、言葉だけに頼って議論することではなく、意識を体験することだし、体験を通して感じることよと思いながら、彼女と主催者のやりとりを聞くともなく聞いていた。

 瞑想終了後、彼女から「どんな感じですか?」と聞かれる。「どんな感じ?ごめんね、私の持っている言葉の力では説明できないわ。例えばいい気持よと言ったところで、いい気持という言葉で伝わる内容は、聞き手一人一人で違うでしょう。聞き手が知っているいい気持の中身は、その人がこれまでの人生で体験してきた本人だけが解かる感覚で、私の体験とは厳密に言えば異なると思うの。言葉はとても相対的なものだし、言葉に忠実になろうとすればするほど、伝えたい内容と離れていくので話せなくなるわ。不合理と思うかもしれないけれど、言葉だけでは伝わらないことがあるの。感じて欲しいとしか言えなくなるのよ。スーパーゴッドと言われるイエスや仏陀だって、自らの言葉を残していないと聞いているわ。言葉は聞き手の感性で、神にも悪魔にも変わってしまう。自分の感じる心を大切にしていればいいのだと思うの。人に聞くこともいいけれど、むしろ自分に聞き、自分の感性を大切にして欲しいな。」と答える。瞑想中、何を観、何を感じたのか覚えていない。けれど、こうして今その日のことを思い出しながら書いていて気付く。彼女に伝えた言葉は、私自身への言葉であったことに。彼女の問いかけは、私自身の問いかけであったのだと。名前も聞いていなかった彼女に伝えたい。気付かせてくれてありがとう。

二回目のワーク体験―2000年8月8日
 
 瞑想に入っていくと、すぐに微細で精妙なエネルギーに敏感になり、細胞が総て開いていくのを感じる。地球がビジュアライズされ、地球の中心核(鉄のクリスタル、一次元存在)へ両足が吸い付けられる。私の視点は地球のコアから地表の間に存在する鉱物たちの世界(二次元存在)へ移っていく。鉱物たちがそれぞれの結晶構造を持ち、輝いている。意識が、ここは私の身体を構成している総ての元素たちの故郷なんだと気付く。気付いた途端、意識は「私の身体を創ってくれてありがとう。あなたたちが物質界の総てを創ってくれたのね。私の身体を創っている総ての元素たちよ、御苦労様。私は大丈夫。皆で故郷へ帰っていいよ。あなたたちの故郷へ、お帰りなさい。」と伝えていた。すると第一チャクラが唸り始め、微粒子たちが性器辺りから、どんどん地球へ向けて出ていってしまう。私の身体を構成している総ての元素たちが出ていったと感じた直後、性器周辺に圧倒的なエネルギーが充満し、バリバリという勢いで、そのエネルギーが身体を貫いてきた。

 背骨に沿って入ってきたのは大きな樹であった。樹齢が古く、縄文杉のように見える。「そうか、生命の樹なのね。太古、人間は天と地を、その背骨を通して繋いでいたのに、自ら創ったシステムによって、感じる能力を失っていった。だから樹たちが私達に代わって、それを維持してくれているのね。ありがとう。」太く逞しい老古木は、その内部から破裂したかと思うと、形を剱に変えた。「剱?三種の神器の剱だよね。三種の神器である剱、鏡、勾玉は天皇であることの証と言われているけれど、皇(すめらぎ)とは天皇のことだけをいうのではなく、私達一人一人の人間が、本来皇(すめらぎ)だったのね。天地を結び、皇の道を生きる惑星を創る為に、人間を創ったのね。剱(背骨)によって天地を結び、勾玉という魂を持ち、子宮という鏡に宇宙の意志を共鳴させているのが、私達人間だったのね。」意識がそう受けとめると、ビジョンは闇に変わり、光(太陽)が現われる。「ああ、そうなんだ。最初に闇があった。闇から光(太陽)が産まれたんだ。誕生と死を司るのは宇宙の背景そのものである闇なんだ。闇から産まれた光(太陽)は育てることが、その目的だった。でも光(太陽、人間)は闇の中を進んでいくうちに、不安や恐れを感じ始めた。光(太陽、人間)は愛を広げようとしながら、自ら不安や恐れを創り出してしまった。闇自体には不安も恐れもない。ただ総てを内在している闇があるだけで、闇は不動であり、存在を存在させる力だったんだ。」意識が了解する。

 瞑想終了後、私の体験を話すと、「僕には子宮がありません。男はどうするんですか?」と青年からの声。「そうか、そうよね。男には子宮(宇宙と共鳴する鏡)はないわね。皇の道は女性の役割で、巫女さんは女でしょ。巫女を通して皇の道を伝えられ、それを具体的に行動で実践し、創造していくのが男の役割じゃないのかな。がっかりしないでね。あなたは今回男として生きているけれど、過去何回も女として生きてきた筈よ。私は今回女としての生を選んだけれど、過去生は、どちらかと言えば、男の方が多かったようよ。男性性と女性性の両方の体験を積み重ねて、少しづつ学び、人間としての本質的な智恵を増やしているんじゃないかな。」と伝える。女性性(精神性)だけでも、男性性(物質性)だけでも不充分で、その両方のバランス(調和)をとることが、とても大事なことだという意識が、彼の言葉によって導き出される。

 この二回目の体験が面白くて、山形「スバルの会」中野正子さんに伝えたことで、一人一人どんな体験になるか予想もつかないけれど(気分の悪くなった人もいる。)、山形でやってみようということになった。私の沖縄への旅や、彼女達のスケジュール、弘子さん(主催者)のスケジュールを調整し、その日は10月30日と決まった。

三回目のワーク体験前
 
 三回目のワークは、とんでもなく素晴らしい出来事が起きることを、私は予感していた。「そこで何かが起きる!」沖縄への旅がそれを伝えていた。三回目のワーク体験を語る前に、それを導いてくれた出来事を話したい。

 昨年8月、9月、突然晶美嬢の依頼を受け、宮古島や与那国島などムーに関係するらしい南西諸島への旅を経験した。今年も再訪することを晶美嬢から伝えられていたが、私は旅の費用を捻出することが出来ず、同行を断っていた。彼女の出発する日が近づいていたある日、私は一本の電話を受け取った。歓びで飛び上がってしまいそうだった。沖縄のエステティックスクールで3日間の講師を依頼されたのだ。那覇までの往復運賃と宿泊費、そして講師としてのギャラが入ることになったのだ。何というタイミング!私は悦んでそれを受けることにし、9月25日から28日まで仕事で那覇だから、9月29日には合流することを晶美嬢に伝える。17日間のムー意識への旅は、昨年を凌駕する真実(私にとっての)を教えてくれることとなった。

ムー意識への旅で了解したこと
 
旅の詳細は長くなるので省きますが、旅の間に得た意識の学びは以下のようなことだった。

(1)  現在ムー大陸の実在が証明されようとしていますが、ムー以前、さらに広大な大陸があり、その大地の最西端は現在の与那国島で、最東端は現在のイースター島になると晶美嬢が言う。地殻変動があり、その大地は三つに分かれたけれど、当時の首都はイースター島寄りにあったらしい。その時私はその地を治める王であり、晶美嬢が太陽の巫女であった。王の死に際し、太陽の巫女として彼女が王の葬儀一切を取り仕切り、王の死骸を与那国島まで運んだらしく、多くの従者達を先導して海を渡ったことをはっきりと覚えていると言う。太陽は東から昇り西に沈むため、王の遺体は西に埋葬することになっていたらしい。首都イースター島寄りの地から最西端(現在の与那国島)までの旅に三ヶ月を要したと言う。(防腐処理は、現在の科学より進んでいたらしい。)

     与那国島に入る前の4日間、私はこの旅の費用を創ってくれることになった研修会の講師として那覇にいたのですが、夜毎、琉球料理を接待されていました。那覇にいて琉球料理を食べているのに、私の感性は「私は今、北海道にいる!?」でした。「何故、北海道なの?」と自問自答の結果、出てきた答えは「ムー意識(ムーという言葉が正しいかどうか分かりませんが、太古の人間意識の源だと思います。言葉が思いつきませんので、仮にムー意識と言わせてもらいます。)が、私の中で北海道のアイヌと共鳴し、アイヌを呼んでいる。」でした。漠然とした予感「私は、北海道に行くことになるのだろう。ムーとアイヌの意識を結ぶ為に。」が、顕在意識に入ってきた。そして与那国に入ると、仲嵩剛さん(霊能者 31才)が晶美嬢と共に空港で出迎えてくれ、初対面である彼から「あなたは12月にもう一度、ここ与那国に来ることになっています。そして来年の3月には、北海道の釧路へ行くでしょう。」と言われる。「でも私、オケラよ。お金がないわよ。」「大丈夫です。この地の最高神、大天長老(ウッティンチョーローと呼ぶ)が、てはずを整えてくれます。夫婦の天馬が、あなたを釧路へ連れて行く為に、既にあなたについています。」と、まるで御伽噺の世界に入る。

(2)  旅の途上で何度か虹を見たのだが、西表島カンピレーの滝についた時、滝の前方に四角い緑の光が目に入る。そして滝水の中に虹を見てしまい、それからというもの空一面、どこもかしこも虹の饗宴となる。水と光があるところは、総て虹が輝いていることにより、天国とはどこか彼方にあるのではなく、私達の住んでいるこの世界が、正に天国であったことを識る。空間のそこここで観る虹は、私の意識で見えており、それ以降、毎朝洗面の時、蛇口から流れる水の中にも虹は現われ続けている。

(3)  霊能者と呼ばれる人達がいる。見えないものを観たり、聞こえないものを聴くことに対し、多くの人は畏敬の念を持って付き従ったり、ちやほやしたり、恐れたり気味悪がったりしているが、人間は誰でも霊能力を持っていたことを識る。現在私達は直線的な時間の中で、制限され、コントロールされた意識のため、霊能力を失ったり感じなくなっているが、一方的に与えられる直線時間の流れから離れ、宇宙から降り注ぐ磁力場において、「瞬間を生きる」ことが日常化し始めると、時間は直線ではなく、瞬間の点の継続となり、点は空間の中で放射状にひろがる。放射状に時間、空間が広がることで、異次元にアクセスし、そこにある情報を取り込むことが出来るのではないだろうか。それと同時に自分の細胞内に封印されている過去生の連綿と続く記憶の扉が開いていくようである。
     こうあるべき、これが正しい、あれは悪いなどの制限され続けてきた意識を開放し、発生してくる出来事に対し、良いとか悪いとかの判断を止めて、第3者的視点に立ち、出来事の裏に隠れている霊的な意味を冷静に観察していると、人間としての本質が甦り、誰でも霊能力を持つ事が出来るのではないか?霊能力とは特別な資質ではなく、誰にも内在している力であり、その力は宇宙の運行により、人類にとって当たり前で共通の能力となる日は近いこと、そして人間とは三次元だけに生きる生命体ではなく、多次元的存在であるらしいことを識る。

(4)  霊能者晶美嬢の後ろ姿を見ていて入ってきた意識の一つに宗教発生の流れがあった。太古、人は自然と共鳴して生きていた。生きる為の糧は自然が与えてくれた。瞬間の中に総てがあっただろう。人類の増加に伴い、自然発生的であった祈りや自然に対し頭を垂れるという流れは、徐々に神事としての形式を取るようになり、儀式化へ進む。儀式化することで、儀式を司る人間達(巫女や神官)が誕生し、人間としての区別が生まれる。「神」という概念が導入され、「神からのメッセージを直接受ける者」としての巫女あるいは神官を一般大衆から分け、位階制を創り、力ある一握りの者たちが、巫女や神官達を大衆支配の道具としていった。

     それが権力者と被権力者の誕生であり、富者と貧者の誕生でもある。宗教が大衆の意識をコントロールすることを目的として進化発展していった様子が、まるで映画のスクリーンを見るように鮮やかに脳裏に流れ込んで消えていった。
    
     霊能力はいづれ近い日、人類全体の財産となるであろう。その時、真に望まれることは意識の自由度であろう。意識にいかなる制限も加えられてはならないと思う。一人一人意識の進化度は異なるであろうが、異なっていても異なったままで良いし、誰も他を強制する必要はなく、その人の自由意志に委ねるべきであろう。生来私は人間が創った宗教という組織に興味がなく、神頼みという他力本願にも違和感を持っていた。私は巫女や神官にはなりたくないし、巫女や神官から操られることも望まない。
     人類が創った「神」という概念ではなく、宇宙の「創造主(エネルギーの集合体)」という概念の方がしっくりと受け入れられる。人間や地球を創造したのは「創造主」であり、現代生活に使用している物質を創ったのは人間の意識及びエネルギーであると思うから、神や宗教に頼るのではなく、自らの霊性の進化を目指し、人間として、創造する者として生きたいと思う。「天地人」という言葉が示すように天と地を結ぶのは、神ではなく人であろう。総ての人が霊性としての光を内在させ、創造主と繋がっている筈である。平成7年、津留晃一氏が語ってくれた言葉「あなたが創造主です。」が、大きく私の中で輝き始める。

 (5)    光と闇、白と黒など相対言語(意識)の世界で絶対世界を求めると、他人との共通言語が消えていく。無の農法、無の哲学を著わした福岡正信氏も、今は山に入り誰とも会わなくなったと聞く。山に入ることなく、一般社会で自己の絶対世界に生きようとするなら「デクノボウ」(宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」に書かれている「デクノボウト呼バレタイ」というあのデクノボウである。)として「存在としての愛」を体現できることが、私の目指す道となるが、そこまで辿り着くにはまだまだ現世での体験が足りない。私の意識のはるか彼方に「無を生きる道」が静かに佇んでいる。

(5)  「浜ちゃん、君の愛はとても大きいよ。でも情も大きくて強い。宇宙には愛はあっても情はないんだよ。」平成8年だったと思うが、UFO氏から言われたこの言葉の意味が今なら解かる。愛と情は似て非なるもの、私がそうであったように、情を愛と錯覚している人が多くいる。愛のステップを一段ずつ昇っていこう。本能的な愛から始り奪う愛、愛する愛、許す愛、育む愛、与える愛、叡智としての愛、限りない自己表現としての愛、存在としての愛、創造主そのものとしての愛。どのレベルの愛を生きるか、人それぞれであるが、晶美嬢の愛は創造主そのものとしての愛を生きているのかもしれない。平成7年の暮れ突如として私の生活に踏み込み、私の見ている前で刻々と変化し霊能者となっていった彼女に請われるまま、5年間彼女と行動を共にしてきた。何の為に何をしているのか、その意味が最近になってやっと解かってきたように思う。感情の激しい彼女は、瞬間瞬間、猫の目のように心の場が変わるので、一緒にいることに疲れ果てることも多かったが、神事に入ったときの真剣さは並みではなかった。宮古島での神事は今回で晶美嬢は4回目、私は3回目であるが、太古の水源を探し、浄め、水の輪を創る。彼女は地球の風水をやっている。目の前で風が変わり、海流が変わる。私はそれを見続けてきた。日本での地球風水が終り、彼女はいよいよ日本の裏、南米に向けて旅立つと言う。宮古島の裏、イグアスの滝へ、与那国の裏、イースター島へ、小笠原の裏、バミューダ海峡へ、そしてマチュピチュへ。誰に頼まれた訳でもないのに、「私は地球だから。」と生命エネルギーの総てを賭けて、新生地球誕生を目的として、彼女はほとんどお金も持たず、一人旅立っていく。彼女が自ら選んだ愛の道を。

 そんな彼女がよく口にする言葉に「愛の水」がある。雰囲気は何となく感じるものの、具体的には何なのかが解からなかったのだが、宮古島を発つ10月11日の朝、宮古島で6日から合流したM氏の誘いで崎田川へ行った。M氏が南アフリカから持ち帰ってきた海水を崎田川の側にある枯れ井戸に注ぐ為である。今は蚊の住処となっているその場に立ち、M氏と二人で祈る。「私にはよく解かりませんが、昨年から3回に渡りこの地に来ました。この地の皆様のお力添えを頂き、無事水の輪が完成したとのことです。ありがとうございました。人類、地球、宇宙の大調和が完成しますことを心より祈念いたします。」と意識を発した途端、その枯れ井戸全体からの圧倒的なエネルギーが頭上より浸入し、私の全身を覆い尽くした。宮古島の大地から「御苦労様でした。ありがとう。」と言われ、抱きしめられているようで、忘我状態に入る。これほど精妙で優しい波動は初めての体験で、発する言葉もなく、そのエネル ギーを味わい尽くす。「これが晶美の言っていた愛の水なんだ」と解かった。細胞の隅々まで染み渡る慈愛のエネルギーを識った。その日まで強すぎる陽に射かれ、蚊の集中攻撃に遭い、腕も足もでこぼことなり腫上がっていたのに、涙が自然に出てきて「ありがとう、ありがとう。」と感謝の気持が湧きあがり、攻撃してくる蚊の存在も忘れ、いつまでもその場で手を合わせ続ける。初めて体感した慈愛のエネルギーを忘れないよう、そしてこのエネルギーを自ら出せるようになるため、この崎田川の枯れ井戸のビジョンを意識の玉手箱に収める。

スバル星団とフェニックス
 
 旅から帰って、私は連日与那国の波動に苦しみながらも「光のシャワー」を夢で見続けた。視界に複数の二重丸が現われ、それぞれの二重丸から十字の光が放射される。丸の中心が明滅して瞬き始め、十字の光は放射状の光に変わる。(まるで沢山の線香花火を同時に見ているようである。)中心円の煌きから放射する光に重なって、同心円の光が広がっていく。視野は立体的な光の乱舞となる。ある夜、この光の乱舞を見ながら私は意図的に目を開けた。消えるであろう光の乱舞は、紫色の靄に包まれて消えることなく大きく開けた眼前で輝き続けていた。今年の春頃から満月の夜には、必ずこの同じ光の乱舞と月光の発する強いエネルギーを感じていた。月と星に意識が共鳴して観せる映像の不思議さを与那国の剛さんに電話で話すと、「それはスバル星団だよ。スバル星団がママを守っているし、いつも側についているよ」という言葉が返ってきた。
今回の旅の途上、どこでも夜空を見上げ、その美しさに感動しスバルを見ていた。波照間島でも天体観測センターで、双眼鏡をセットしてくれ、はっきりとスバル星団全体を見せてもらったし、大きな天体望遠鏡では月のクローズアップを見せてもらった。与那国島、石垣島、西表島、波照間島、宮古島、どこにいても夜、星を見上げる時スバルを追っていた。私にとって特別な星という意識はなく、ただプレアデス関連の本が沢山出ているのでその興味で見ていただけだったのに、「守っているよ」と言われると急にスバルを意識し始める。

 3回目のワーク体験後、晶美嬢から「ママはムーの王になる前、現在のトンガ王国にあたる場所で、ものすごい子沢山の母だったよ。14才から子供を産み始めて、28才まで産んでいたね。そして35才で死んだわ。その後プレアデスに行ってるわ。プレアデスに千年いて、その後ムーの王になったのよ。トンガの時、ママは巨大なオッパイの持ち主だったけれど、左のオッパイ細胞の一つが息子の毅司君で、毅司君はママがムーの王の時、人間として誕生しており、従者になってるよ。与那国の剛君はその時、ママの孫で、剛君のお姉さんのまつみさんがママの子供だね。私はその時近くの海を泳いでいたイルカだったわ。」との解説を聞く。

旅の余韻を引きずりながらも、山形行きを楽しみにしていたある日、与那国の剛さんから電話を受ける。「あなたが与那国を去った日、フェニックス(火の鳥、不死鳥、鳳凰)が生まれました。フェニックスがあなたの後を追ってついて行こうとしていましたので止めました。僕が預かっておきます。」???
創造の原理

 山形へ行く前のある日、今度は弘子さんから電話を受ける。「宇宙瞑想をしている人がいて、地球には108個の元素しかないけれど宇宙には144個の元素があり、それを人間が受け入れ易い様に光に変える機械を作った人がいるのよ。その人とお話をする会を開くけれど来ない?」144という数字に意識が反応する。友人を連れて出かけることにした。面白い人だった。「いつもはこんな難しい話はしないんだけれど、どうしてかな?」と言いながら「宇宙の創造の原理」を話してくれる。正にその時、自分なりの思考を通して意識に入れようとしていた内容が開示された。5時間近くの話であったが、私にとってストレートに納得できたことを二つに絞り込んで、私見を交え簡単にお伝えしたい。真理はとてもシンプルであった。

(1) ゼロの意味
 ゼロ+ゼロはゼロですが、(−1)+(+1)もゼロ、(−100)+(+100)もゼロ。これらのゼロは一見同じゼロではありますが、そのエネルギーは異なっています。(+100)と(−100)のゼロには合計200のエネルギーが畳み込まれているのだそうです。(+一億)と(−一億)で作られるゼロの質量は2億となります。ゼロに封じ込められる質量が大きくなればなるほど、内在するエネルギーは高く、強くなっていきます。ゼロの進化が創造エネルギーの進化になるのだそうです。この話から私は、創造の源として宇宙の闇に遍在する、想像を絶するゼロの力(質量)を了解しました。

(2) 創造の源
 宇宙には無限のエネルギーが充満しており、創造の源とはエネルギーと質量の交点から瞬間瞬間に発生するエネルギーなのだそうです。8の字を横にして無限大を意味する二つの輪をイメージして下さい。例えば右の輪がエネルギー、左の輪が質量とします。エネルギーは陽(プラス)であり、父なる神(男性性)で、質量は陰(マイナス)で母なる神(女性性)で、その二つの力が交わる交点から創造が生まれるのだそうです。

瞑想する時、意識で右脳と左脳をイメージし、8の数字を横にし無限大の形を描き、右廻りでこの形を描き続けますと、額の中心(第3の目と呼ばれる部分)にエネルギーが発生します。この交点である額の中心に瞬間瞬間発生してくるエネルギーに自らの意識を乗せることで、このエネルギーは生命を持ち、あなたの意識を創造し始めるのだそうです。

 陰のエネルギーだけで創造したものも、陽のエネルギーだけで創造したものも不完全不調和であり、崩壊を迎えます。(精神世界だけ、あるいは物質世界だけでは、真の理想社会は創れない。)陰陽一体のエネルギーが、新しい調和の世界を創造できるのです。私達の魂は数億年前、生命の誕生と共に女性性(精神世界)のなかで数々の体験を重ね、細胞の中に記憶を保管してきましたが、ムーやアトランティス沈没後、今日に繋がる男性性(物質世界)の体験を加えてきました。陰と陽両方の記憶を保持した今こそ、輝かしい調和のエネルギーで地球を再創造することが出来るのだと思います。自然を破壊し尽くして、人間を金銭の奴隷にしてきた観のある物質世界も、その存在の意味がここへ来てようやく了解できます。私達はその両方を識る必要があったのだと思います。長い長い旅でしたが、今、やっと光と闇の交点に立ち、その両方のバランス(調和)をとることが出来る。調和を目指す魂によって次なるステップ、新しい創造への扉が開かれるのだと了解します。

三回目のワーク体験−2000年10月30日
 
午前3時に起床。3日前から異様な頭痛と首筋の凝りがあった。起きてからその異様な頭痛と凝りは一層激しさを増している。息子(毅司)の運転で、ともかく弘子さんをピックアップし山形へ向かう。頭痛が激しいので首や頭のマッサージを自分でしていたら、左耳の斜め上部3cmくらいの所に、直径1.5cm位の突起物が内部から頭皮を突き上げていることに気付く。触ると痛い。3日前からの頭痛の原因はこれだったのかと思うが、それが何故発生しているのかは分からない。沖縄旅行中(西表島だったと思う。)、右耳に風が剣となって入ってきたことがあった。それ以来、時々その剣は右耳にも左耳にも突き刺さり、内耳に違和感が続いていた。その事と関係しているのだろうか?考えても解からない。解からないことは、そのまま受け入れるしかない。異常な頭痛だし、左耳下のリンパ腺が腫れており、原因もなく瘤が出来ているのだから、本来なら病院へ行くことになる。

 意識が独り言を始める。脳血管の異常かな?病院へ行く?いいえ、私は病院へは行かない。この瘤が原因で私は死ぬ?そうなるかもしれない。でも私は私を信じよう。私が人間としてこの世に残ることが必要なら、私は死ぬことはないだろう。もしこれで死ぬなら、それは現世に私という人間が生きている意味がないということだろうし、肉体は滅びても私という魂の存在は生き続けるのだから、それで良しとしよう。私は今、人間として再スタートしようと準備している事がある。「ホリスティック・サイコカウンセリング講座」の企画案を纏めたばかりだし、その講座が不要とは思えない。東京と沖縄でスタートする流れが、すでに整っているのだから死ぬことはないよね…。車中自己ヒーリングしながらあれこれと思案の末、この瘤とリンパの腫れ、頭痛、頭部の痺れは、理由不明ながら私に必要だから発生している事として受け入れることにする。


私は創造主!?
 
 山形に着き、昼12時半から公営温泉保養所の休憩室でワークは始った。最初に弘子さんから主旨説明があり、トランプ形式の天使カードが廻される。「好きなようにカードをきって、一枚を選び取ってください。選んだカードに書かれている内容の発表と自己紹介をしてください。」私が引いたカードは「スペードの9、変化」だった。そこにはこう書かれていた。「変化を恐れ、拒まないでください。変化を嬉々として迎え入れてください。変化は新生へのプロセスです。」9月25日から10月11日までの旅を通して得た数々の体験から、自分にとっての真理、真実とは何であるのかという気付きが生まれ、私は今、精神的にも肉体的にも大きく変化していることを感じていた。「そう、変化なのよ。新生へのプロセスである変化を受け入れます。」意識がそのカードの言葉に同意した。他の人達も、それぞれその人に必要な言葉を受け取っていた。2回目のワークの時、引いたカードは「ダイヤの5、歓喜」で「魂の歓喜は、あなたの内なる神性が目覚めたしるし、祝福と共に訪れる最高の幸福です。」だった事を思い出す。


 休憩室は個室になっているものの、天井部分は開いており館内のざわめきや隣室のテレビの音量が騒がしく、なかなか心を集中する事が出来ない。集中できないまま目を開けると外は雨。静かで優しい雨の後、輝く太陽が部屋一杯に射し込んできた。その太陽を何も考えず、ただただ見つめ続けていると、次第に瞼が落ちてきて瞑想状態に入っていった。

 眩しいくらいの黄金の光が視野一杯に広がっている。意味不明の幾何学模様が黄金の線で描かれていく。黄金の線は片時も固定せず、まるで光の万華鏡を見ているかのように、次々と姿を変えていく。「ちょっと待ってよ。そんなに速く動いては、何なのか解からない。少し静止してくれないかな?」黄金の幾何学図形は瞬時も止まらない。「神殿?火の鳥?」意識で見るビジョンは長澤さんの「痛い!痛いよお!苦しいよお!」の声で破られる。目を開ける。弘子さんが長澤さんの側に行き、ケアしてくれている。安心して再度目を閉じる。

ビジョンは茶色に変化し、形にならないウネウネしたものが流れる。沼の中?森?樹の根っこ?色彩は茶から黒褐色へ、そして黒へ変化する。海底?海底からさらに下?太い樹の根のようなものが闇の中でのたうっている。もうどこにも進めない。初めもなければ終わりもない。太い樹の根は複雑に絡まりあって、閉塞状態になっている。意識が動き始める。「ああ、これは光に対する闇、善に対する悪の観念なんだ。私の魂が何億年にも渡る転生で体験してきた闇、そして人類の集合意識が体験してきた闇がここにある。苦しかったね。辛かったね。もう隠れていなくてもいいよ。私は私の闇を、そして人類の闇の歴史を総て認め、受け入れます。もう隠れている必要はない。皆出ておいで。総ての闇よ、出ておいで。一人も残さず出ておいで。私は創造主。新しい私自身を創るため、総ての私が必要。光も闇も必要です。共に調和して創造しよう。バラバラになっていた私自身を一つにしよう。闇は私、そして光も私。私の総てを受け入れます。今日の私は、何億年もの体験を経てきたのよ。あなた達がいるからこそ、今日の私がいる。大丈夫、胸張って出ておいで。何億、何兆、何京もの数え切れないファイン・マター(微細エネルギー物質)で創られている私。新しく創造する者としての私を創っていこう。」

 ビジョンは闇から白光へ変化し、白光から黄色へ…。フェニックス?火の鳥が現われる。「ああ、そうなんだ。12月に私はフェニックスを受け取りに与那国に行くのね。解かったわ。」このビジョンをメモしようと私は目を開けてノートに筆記し始めると、ノートの右上から左下にかけて黄金色の龍が、一瞬現われて消えた。

弘子さんの声。「プレアデスだと思いますが、今円盤が来ています。皆さんにお伝えしたい事とギフトがあるので、4時になったら再度全員で瞑想してくださいと言っています。」ノートとボールペンを横に置き、私は再度瞑想に入る。大きく成長した黄金のフェニックスが、光を放射しながら宇宙を飛翔している。弘子さんの声が静かに流れる。「4時になりました。円盤からこの場にいる一人一人に対し、サポートするエネルギー体が降りてきました。これまで何度もワークをしてきましたが、こんな事は私にとっても初めてのことです。エネルギー体からのメッセージです。『真実の道を進んでいる人達を祝福します。このまま進んでください。私達はとても歓んでいます。あなたたちの本質をイメージしてください。ギフトを受けとってください。』と言っています。」広大な宇宙を大きく両翼を広げ、愛と歓びを放射しながら悠然と飛翔していた黄金のフェニックスが、さらに大きく翼を広げ、羽ばたいたかと思うや頭上から降りてきて私の身体に入ってしまった。私がフェニックスになったのです。瞑想中ながら確かめるため、私は両手を広げ、鳥のように羽ばたいてみました。間違いなく私がフェニックスでした。「与那国で誕生したというフェニックスは私だったのね。」意識が了解します。

また弘子さんの声。「彼等からもう一つギフトが降りてきます。『今感じた自分の本質に、現在の自分を合せてください。現在の自分に、自分の本質を受け入れてください。』」「私は現在の自分に、本来の自己を受け入れる事を赦します。」と意識を発した途端、フェニックスも私の肉体も消え、私の意識は全宇宙の源、創造主と合体し、創造主として全宇宙を見下ろしていた。恍惚感に包まれ、強烈すぎるリアリティの中で、「この宇宙を創ったのは私だった! 私は創造主だった!」と、意識は驚愕の言葉を発します。完全無欠、全知全能の偉大なるエネルギーそのものとしての自分を感じ続けます。この体感を説明する事が出来ません。完全無欠で恐れるものなど何一つなく、意志あるところ、総ては思いのままに成し遂げられる。躊躇も揺らぎもありません。パワフルでパーフェクト。広大な宇宙を見下ろしている私の意識は、大きく安定した渦巻くエネルギーの中心に位置していました。

 言葉にならない感動を経験している時、「現実の世界で、私はこうありたいという自分の理想像をイメージしてください。」という弘子さんの声で、創造主としての私は消え、再度私の身体はフェニックスに戻り、宇宙を翔けていますが、決意しています。フェニックスの母として、これから出会う人々の子宮に私(フェニックス)の卵を産み落としていくのよと。そして「12月、私はフェニックスを受け取るために与那国へ行くのではなく、地球に住んでいる人達に向けて、ムー意識(調和の意識)の浮上を伝えることを目的として、フェニックスを与那国から解き放つために再度出かけるのだということを理解しました。

 ワークが終っても、先程の体験、体感は消える事なく、私の中で息づいています。初めて体験した震えるほどのリアリティです。幻想である人生に対する絶対域としてのリアリティを、例え一瞬間であっても識ることが出来ました。私の意識及び視点は、創造エネルギーの中心にありました。「そうなんだ。私は創造者だったんだ。」言葉や観念としてしか味わえなかったこの真理、真実を身体で識るというこの場まで導いてくださった、これまでに出会った多くの人達、起きてきた多くの出来事に深く深く感謝いたします。人生で起きてくる出来事や出会う人達は、何一つ誰一人、無駄、無意味なことはなく、総てに意味があり(その時には気付く事が出来なくても、後になって解かります。)絶妙な関係を織り成しつつ、ここ(私は誰であるのか?私は何故ここにいるのか?私は何を意図し、何を創造するのか?私の生きる意味と目的は何であるのか?)へ導かれていくのだと識りました。そしてこれらの体験から、地球は再生するという確たる意識が生まれました。それは自分以外の誰かが行ってくれるという事ではなく、地球に住んでいる総ての人達が、「この宇宙を創造したのは、私だった!」事を思い出し、創造の源から意識に意志を加え、意図的に地球の再生を願い、自己の創造エネルギーを毎日の具体的な生活で実践していく事だと思います。地球に生きている一人一人総ての人に、それぞれの役割や自己責任があります。それが解かった今、私はフェニックスであり、創造する者としてこの現実(幻想)世界の中で、縁あって出会うであろう人々の意識に私(フェニックス)の卵を産み続けます。制限された意識は、「瞬間を生きる」事で、その鎖を徐々に解き放っていくでしょう。自分が創った幻想に脅えないでください。私に起きた真実の体験は、今日を生きている総ての人々の真実です。100%の確信を込めてお伝えします。「あなたが創造者です!」と。

自然からの応援歌
 
その日は山の中腹にある農家民宿に泊まり、翌10月31日希望者と山形庄内方面に行く事にしていた。これまで何度も山形に来ていたのに、一度もそちらへ行った事がなく私の希望で連れて行ってもらえる事になったのだ。予報ではその日雨になる筈だった。軽い気持で「大丈夫よ。雨は降らない。晴れになるわ。」と昨夜伝えたら、曇るどころか快晴も快晴、抜けるような青空が広がっている。皆大はしゃぎで出発する。中野さんが、大勢乗れるように新しくワゴン車を買っており、私達の車と二台で進む。私達の車に長澤さんが乗ってきたので、話しているうちに、彼女から湯殿山のことを聞き、その途端私は湯殿山へ行きたくなった。皆の了解を得て、結局、月山、湯殿山、羽黒山を廻る。途中の景色の素晴らしさに何度も車を止めて写真を撮ったり、優しい自然の波動を堪能し、心は高揚感で包まれていく。

 真っ青な空を楽しんでいて気がつく。龍神雲が沢山現われている。あそこにも、ここにもと言うほどの現われ方で、益々心は高まっていく。湯殿山へのバスに乗っている時には、大きな龍の顔が視野一面に広がったり、フェニックスも現われる。空を見上げるたび毎に、天の羽衣、フェックス、龍神が風に乗って見事な舞いを見せてくれる。湯殿山の御神体の上方に、燦燦と輝く太陽を中心としてフェニックスの翼が空一面に広がっている。全身鳥肌となる。「すごい!」全員その場に釘付けとなり、信じがたいほどの光の絵巻物に我を忘れる。ありがとうの気持で手を合わす。下山している時、中里さんが声を上げる。「浜口さん、見て、見て。フェニックスの子供がいっぱいよ。もう既に卵は産み落とされ、フェニックスが沢山誕生しているわ。」視線を上げると先程の空一面に翼を広げた、まるで神の化身かと見まがうばかりに輝いていた大フェニックスは消え、産まれたばかりの小さくて可愛いフェニックスが、新しい生命を楽しむかのように濁りのない青空に沢山舞っていた。

 空に繰り広げられる絵巻物を堪能しながら、庄内へ向かう。「浜口さん、山形に住んでいる私達だって、こんなにくっきりと澄み切った鳥海山を、そのすそ野まで見られることは滅多にないのよ。昨日からの祝福がまだ続いているようね。」と長澤さんが語る。自然が共鳴してくれている。言葉にならない感動で頷く。庄内に近づいた頃は、金星が空に昇る。白鷺の群れが田で遊ぶ。これ以上何が必要であろう。総ては目の前にあった。庄内にある私達の最初の目的地、一の宮に着いた時、既に太陽は完全に沈み、空には三日月と星が瞬いていた。「見て!」見上げる夜空、視界の中央に一本の太い雲が走っている。どこから始って、どこまで続いているのか、視界を完全に二分しているその雲を見ている時、右から流れ星が現われ、中央の雲に向かって消えていった。空の饗宴はまだ続くのか。暗闇の中、ゆっくりと階段を上り参拝する。参拝を終え、車に乗る前にもう一度夜空を仰ぐと、視界の端から細い一本の線が三日月に向けて繋がっていた。それが何を意味するのか識る由はないが、昨日から続くプレアデスの祝福として感謝する。
今日を生きる

11月1日午前5時、やっと自分の部屋に辿り着く。深夜のドライブで私も息子も倒れるようにベッドに潜り込む。11月10日、11日の二日間、晶美嬢、M氏と三人で北海道は積丹半島に出かける流れが決まっていた。そこで何が起きるだろう。そこで私は何を識ることになるのだろう。意味も解からないまま、平成6年会社の倒産から始った霊性への旅は、まだ途上であり、6年の歳月が流れていったが、今確かな手応えがある。私は今日までに体験した総ての出来事に感謝する。そして「今、この瞬間を生きる」ことの大切さを学び、日々感動に包まれて生きていることに感謝すると共に、自分の生命に内在しているとてつもなく偉大な「創造者」としての自分を認め、宇宙の愛に生きることを再確認する。

そよ風にのって 第13章

歓喜を識る

2001年4月8日、日曜日、晴。午前10時40分頃、山の手線は駒込駅に入った。線路を超えて太鼓の音が響いている。「祭り?」意識が反応する。改札を通り、意識は喉の渇き信号をキャッチする。「駅前にあるマックでコーヒーを買って行こう。」「ちょっと空腹」マックのパンがイメージに昇る。「マックのバーガーは嫌だなあ。ああ、それならリトルマーメイドのパンを買おう。」足は反対方向に進みリトルマーメイドに入る。太鼓の音。「何だろう?ちょっと見てもみようかな?いや、見に行くと遅刻してしまう。」「でもちょっとだけ。」足が音のする広場へ向かう。立ち止まる。いなせなお兄さんやお姉さん達の競演。体細胞を震わせて染み入る音に、全身鳥肌となる。身体だけでなく心も反応する。「アリガトウ。」涙が止めど無く流れる。「コレハ、シアゲノウタゲ。アリガトウ。」扉が開かれていく。実在のワタシが笑っている。何一つ無駄がない。総ては私の創る世界、その完璧さに感謝する。和太鼓保存会の皆さんに感謝する。そして今、この瞬間を創造してくれている万物万象に対し歓喜を伝える。私は今言葉にして説明できない宇宙物理の道理(潜象、現象が重合して織り成す万物万象の有り様)をわずかずつでも感受し始めている。この世界を創造してもらい、「ここに」「今」「居る」という「ありがたさ」が解り、そのことに始めて「歓喜」という至福の躍動を味わっている。

宇宙の万物万象は、どの局面であろうと切り離すことが出来ない統合体であり、すべては関連しあい繋がっていることが実態として直覚知され、自由性がありながら一体であるところの根源の力の存在に心が震える。言葉に変えることの出来ない大いなる愛の実在を感受する。全宇宙隈なく織り込まれている愛の前に立ち「歓喜」という言葉が現す波動に包まれて、涙が止まらない。私は今日「歓喜」の意味を識った。

流れにのる

私にとって必要な書籍が必要な時に、まるで計画されているかのように手元に引き寄せられてきた。
「黎明」葦原瑞穂著 コスモテン、「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著 森北出版、「心身の神癒」マクドナルド・ペイン著 霞ヶ関書房、「タオ自然学」F・カプラー著 工作舎、「ヒマラヤ聖者の生活探求全5巻」ベアード・T・スポールディング著 霞ヶ関書房、「聖なる科学―真理の科学的解説」スワミ・スリ・ユクテスワ著 森北出版。そして現在読み始めている潜象物理学研究相似象学会誌「相似象 第11号」。

人間とは何か、神とは何か、何故私は肉体を持って生きているのか、私が生きている意味は何なのか、平成6年会社の倒産以来、紆余曲折しながらも読み続けてきた各種各様の700冊を上回る書籍たち、そして出会うべくして出会ってきた多くの魂たちに導かれて意識の上では上記の答えが私なりに形を取り始めていたが、今一つ突き破れない薄いベールが立ちはだかっていた。観念で理解することの限界に足踏み状態が続き、眠れない日々を送ってもいた。このベールを突き破るのは恐らく直覚知とも言うべき直接体験が必要であろう。毎夜の瞑想で、自己の肉体は消え宇宙との一体感に入り、自己が宇宙そのものであるという体験はしつつも、今一歩その先へ抜けそうで抜けられない日々に悶々としていた。まるで孵化寸前の雛が不自由ながらやっと形を成してきた嘴で、内部から卵の殻を突ついているようなもどかしさを感じている時、あるワークの案内書が舞い込んできた。もしかしたら突き破れるかもしれないというひらめきがあった。
「創造とは?」「創造主とは?」の答えを求めて意識がある程度熟してきている段階で、昨年私は山形でのワークを企画し自らもそのワークに参加した。その時の体験は前号に記載したように、私は創造主と合体し黄金のフェニックス(不死鳥、火の鳥、鳳凰)となって飛翔したことを思い出す。あの日より、その体験を踏まえ意識の積み上げが成されているこの時、この閉塞感を突き破れるかもしれないという期待感でワークに参加することにした。

夢と目覚め

その日、2001年4月6日、会場に向かう電車の中でいつものように本を読み始める。「相似象・11号」である。この本の中に書かれている「カタカムナウタヒ」の第一首「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシ マツル カタカムナ ウタヒ」と第二首「ヤタノカカミ カタカムナ カミ」に意識がとらわれており、まだ充分その意味が掴めないながらこの言葉を何度か心で繰り返している時、螺旋状に渦巻くこれら一つ一つの言葉に翻弄されながらもこれらの言葉が発する波動が私の身体を構成している全細胞に染み渡っていくのを感じていた。

これまでに数度体験してきたワークで、私は一度も不快感を味わったことがない。常に新しい気付きを与えてもらい、多くの参加者が苦しんだり、吐いたりしているのが不思議であった。それゆえ今回も苦しみが訪れることはまったく予期していなかった。 友人に誘われて、半信半疑このワークを体験したのは2年前のことである。

赤ん坊の泣き声から、それは始まった。赤ん坊?泣き声?誰?目を開けて周囲を見回しても何の変哲もないワーク会場が見えるだけで再度目を閉じた。泣き声がひっそりと続いている。どうしてこの声が聞こえるのだろうと思っている時、私の意識が回転し始める。ああ、これは私の泣き声だ。……そうか、母は「おまえを産む時、出来れば堕ろしたかった。もう先の希望のない亭主の子供は産みたくないと思ったんだよ。」と私に語ったことがあった。その言葉を聞いたのは中学生の時だったが、私の心は少しも動揺することなく、まるで今日もいいお天気だねと話されたかのように、「ふーん、そうなんだ。」と聞き流していた。その時心が傷つかなかったのは、赤ん坊の時既に私はそのことを識っていたからだ。受け取りかたによっては深く傷つく母の言葉から自分を守るため、赤ん坊の私はその時心を閉ざしてしまったのね。自分を傷つけるものやことに対する心のレセプター(受容器官)を抹消してしまったのね。だから私はこれまで心を傷つけられたという出来事を何一つ感じることなく、今日まで生きてこれたのね。多くの人から不思議がられてきた。「何故あなたは怒らないの?」「悔しくないの?」自分に怒りの感情がわかない理由を誰にも、自分にさえも説明できなかったけれど、今その答えを見出した。怒りの感情がない代わりに私がしがみついたのは、悲しみの感情だった。小学生の頃から物悲しい歌が好きで、ひとりになるといつも悲しいメロディや歌詞を口ずさみ涙を流していた。成人してからもその習性は続いており、ひとりになると理由もなく、意味も解らないままに私は涙を流し続けていた。「私はなんで泣いているのだろう?」今日までに一体何度この問いを自分に発してきたことか。心を傷つけることなく流し続けてきた涙の理由と対面し、私は亡き母に呼びかける。「母さん、辛かったね。母さんの気持ち、解ってるから大丈夫、私はOKよ。」

私は子供が苦手である。子供を産みたいと思ったことはないのだが、肉体は健康なので妊娠してしまう。心から子供を可愛いと思ったこともあまりない。そんな冷えている心の理由が分からず、母性愛の欠如しているらしい自分をどこかで責めていた。やっとその理由が解り、私は自分を慰撫できた。
そんな意識が表面化するにつれ 赤ん坊の泣き声は消え、その後私の身体はまるでガリバーのように巨大化し、森の中に横たわっていた。

エイホーォ、エイホーォ、楽しそうな歌声が遠くから近づいてくる。森の小人たちだ。なんて可愛いんでしょう。見ている間に小人たちは私の側までやって来て、私の皮膚細胞の隙間から体内に入っていってしまう。体内に入っても相変わらず楽しそうに歌を歌いながら、みんなで細胞の大掃除をし始める。エイホーォ、エイホーォ、歌声が体内で響き渡る。棒ずりやスコップなど様々な清掃用具を手に、細胞の目詰まりや汚れや破損部分を逐次修復しピッカピカに磨き上げてくれる。何億年にも渡る過去生を遡って、人間としての生命が始まってからの塵、埃を払ってくれている様子。これらのヴィジョンがあまりにも鮮明で幻想とは思えず、時々目を開けてみる。愉快、愉快。目を閉じるとすぐにヴィジョンの続きが音響効果もすばらしく、リアルに、実にリアルに見えるのに目を開けるとそこには薄べったいワーク会場が広がっている。どちらが実で、どちらが虚なのか。二つの世界のコントラストを楽しく体験する。

ワーク後、体験を参加者たちとシェアしていて、私は母と同じ行為を娘にしてしまったことに気付く。
アメリカから帰国後すぐに会社を興したのだが、同時に娘を身ごもってしまった。会社創設の最も多忙な時期、妊娠という事態を両立させる自信がなく、中絶するために病院へ行った。「中絶しても良いですが、それを決める前に、今現に生きている赤ちゃんの姿を見て下さい。それから決めても間に合います。」と産科医に促され、エコーを見せられた。規則正しく心臓が動いていた。一つの生命がそこに息づいていた。「わかりました。考え直します。ありがとうございました。」
娘が中学生の時、宿題で赤ん坊の時のことを調べてくるようにと言われたらしく質問された時、私は不用意に中絶しようとした経緯を娘に話してしまった。そのことで娘が深く傷つくとは思っていなかったのだ。ところが彼女はそのことで深く傷ついたらしく、「私は生まれてきてはいけなかったんだ。お母さんは私が嫌いなんだ。私は死んだほうがいいんだ。」との想いを持ってしまったらしい。私は潜在意識で、娘は顕在意識で、同じ体験をしていることに気付かされ、母から娘へ、娘から孫娘へと無意識に流れていく見えない心の傷という連鎖を止めなくていけないと決意して帰宅。この件についてその時の私の想いや、何故今あえてこの話をするのかなどじっくりと娘に話し、謝った。

二回目の体験。私の視線は海底の砂の中にあった。岩があり、大きな昆布たちがゆらゆらと揺れ、その間を色とりどりの魚たちがゆったりと泳いでいる。360度視野で海中を眺める。海中をたっぷり堪能した後、陸に上がりたくなった。意識と視線はどんどん上昇していき、とある島に上陸した。このヴィジョンに私の姿はない。あるのは意識と視線だけである。どうやら上陸したのはイギリスらしい。そう思った途端、この地で繰り返され続けてきた人間たちの血みどろの戦いの様子が、高速度フィルムを廻すように展開していく。ああ、そういうことなのね。解ったわ。この地が体験した苦しみ、憎しみの歴史の総てを洗い出し、放下しましょう。ヴィジョンに意識を合わせ、それらを総て捨てていく。もうこれでお終い?良かったね。じゃ、私は次へ行くわ。ヨーロッパに上陸。その地で繰り返されてきた戦いのすべてを表面化させ、それらを放下するという同じ作業を、訪れた土地土地で繰り返す。アジアから日本、北米、南米、オーストラリア、アフリカと順次私の意識は移動し、現在陸として現れている総ての大地から過去の戦いの総てを映写フィルムとして引き出し、放下するという行為を繰り返す。もう残っている所はないかな。意識が地球表面をもう一回確認しながら一周する。OK,大丈夫のようね。取り残しなく全地球上で展開されてきた戦いのエネルギーを浄化出来たみたい。ありがとう。とっても嬉しい。

そして三回目の体験。球体の地球がヴィジョンに現れる。地球大の私がその中で瞑想している。地球全体に対して何本ものラインが縦横に入っていく。すると縦横に輪切りになった一つ一つのピースがゆっくりと外れて宙に離れていっては戻ってくる。一つ残らずピースたちが、順次全体から外れ宙に出て行き、元へ戻るという行程が無音の中で展開していった。成る程、地球という質量全体の汚れ落し、浄化ということね。すごいね。一体誰がこんな事を考えたのかしら。誰でもいいや、ともかくありがとう。

その後しばらくこのワークから離れ、晶美たちとの地球風水ともいうべき旅が始まったのだった。そして昨年、別の友人から薦められた別種のワークを「時をはずした日、7月25日」に体験、これら一連の流れについては、当ニュースVol。13で紹介させてもらった通りである。自分でも笑ってしまうくらい苦しみはなく、常に高揚感に包まれる体験ばかりであったが、今回は何かがおかしい。

時間が経過しても光と闇が入り乱れ、波のまにまに私の意識は浮き沈み、まるで溺れかけている人が無闇矢鱈に手足をばたつかせているかのような状況が続いていた。どのくらいの時間かは解らないが意識が消え、気付いた時私は所謂地獄に居るようだった。
四方八方から聞こえてくる苦しみの声、泣き声、叫び声。苦しいよーぉ、助けてくれーぇ。一体何人くらいの人たちが泣き叫んでいるのか。呪詛、哀願の声が木霊している中で、私は空腹で空腹で、飢餓地獄にいるらしい。ひもじいなどという生易しい言葉では伝えきれない極限の飢えの中にいる。しばらく意識が飢餓を体験し、さまよう。これは今生の私の体験にはないから過去生の体験か?いいえ、過去生での体験はあるかもしれないけれど、私の過去生というよりはこの宇宙創生の源初から実在している極微の質量が、種種様々に重合したり離反したりしながらその姿形を変遷し続け、今日の私の身体を構成しているのだから、その実在の質量たちが吸収し解放できなかった波動がうめき出しているのかもしれない。そうであるなら、それは私に所属するというよりは全人類の波動(記憶)であり、この波動を私は放下する必要がある。どうすれば良い?「吾は神なり。調和の光なり。」意識を集中させる。

胸がムカムカする。苦しい。辛い。どうすれば良い?と思う間もなく一気に吐き気が襲ってくる。目を開け、バケツを探し吐く。まだ苦しい。再び目を閉じる。闇に落ちていく意識……。
またしても、うめき声。寒いよーぉ、寒いよーぉ。氷に閉ざされた世界に一人ぼっちの私。身体の感覚はすでにないようだ。私はこのまま凍死するのねと思った時、意識が動き出す。これは氷河期の記憶のようだ。重ね着する物はないかな?今日は暖かかったから余分な衣類は何も持ってこなかった。でも寒い。寒いよ。意識が現実とヴィジョンの間を行ったり来たり…。そうだ、水を飲もう、駅前のコンビニで買ってきた1リットルのペットボトルを手に取る。また吐き気がやってくる。吐く。吐きながら気付く。そうか、私の細胞の一つ一つ、細胞を構成している分子の一つ一つ、分子を構成している原子の一つ一つ、原子を構成している粒子(電子、中性子、陽子)の一つ一つ、粒子を構成している微粒子たち。現代科学ではもはや検出不可能と言われ、未完成ながらブーツストラップ理論で推論されている、意識と意志を持つという実在の質量(エネルギー)たちは、調和しようとする傾向があるという。それを呼び起こそう。地獄のヴィジョンを彷徨しながら私は手足を動かし、手指、足指の一本一本をマッサージし始める。こんな記憶はもう不要です。出て行きなさい。私はカミとして命じます。放下します。腕や足、背中、お尻、胸、自分の身体のありとあらゆる箇所を強くマッサージしたりタッピングしながら命じ続ける。「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナウタヒ」この会場に来る道中、心に繰り返していた言葉が急に意識に浮上する。海底でもがいていた身体が次第に浮き上がっていく感覚。海面まで到達する。吐く。「カタカムナ ウタヒ」が人類の記憶を放下してくれるようだ。浮き上がっては落ち、落ちてはまた浮き上がりという体験の中で確かな手応えがある。浮き上がっては吐くという体験の都度都度、薄いベールのような織物が一枚ずつ剥がされていく。薄い白色の織物が宙にふわりと浮き消えていくのが確かに視える。ヘドロ状態の沼に落とされたり、蛆だらけの闇に入ったり……。ふと思う。これはイエスがユダの荒野で体験したという48日間の出来事の縮小簡易版だろうか?

水を飲んでは吐き、身体を振動させる。指先で頭部全体をトントンと叩いていると、指先に電磁気のようなものが発生し、指は自らの意志で勝手に動き始める。ものすごいスピードで指の一本一本が独自に動き頭部全体を隈なく刺激し続けている。私の意志ではない別の力で指が勝手に動いていることに驚き感動する。目を開けてショックを受ける。肉眼で見る世界の異様さにたじろぎながら、でも観察せずにはいられない。見えているのは正にワーク会場であり、参加者の姿なのだが視界全体が白と灰色だけしかなく、画面のあちこちがチラチラとハレーションを起こしている。最近のビデオは使ったことがないので知らないけれど、昔のビデオは撮影時、白合わせということをやる。白合わせがうまく出来ると肉眼で見える通りの色彩で写るのだが、白合わせに失敗すると画面は白と灰色の世界となり、チラチラハレーションが起きてしまったものだ。何度も目を擦って見るが、眼前に広がっているのは正にそのハレーションの世界である。
亡者の群れが蠢いている。髪を振り乱している者、横たわってうめいている者、苦しんでいたり、救いを求めている者、介抱している者、彼らの顔は一人一人異なっているが、総てが私だと解る。助けている天使のような笑顔の女性も私であり、横たわり苦しんでいるのも私。薄っぺらい映像、ゾンビの世界。目を閉じても地獄、目を開けても薄いベールの掛かった白と灰色のゾンビ空間…。
「ヤタノカカミ カタカムナ カミ」「吾は神なり、幻想よ去れ。」何度も上下を繰り返しながら、次第に私の身体は薄いベールを一枚ずつ剥ぎ取り上昇していく。乳房からも子宮からも、人類の苦しみの総てを絞り出し放下すべく自らの身体に振動を与え続ける……。そして何時とはなく、意識を失っていった。

大きな欠伸で意識が動き始めた。これでもかというほどの欠伸の連続。吐き出せ、吐き出せ、肉体を構成している質量が溜め込んできた、真理に反する幻想の記憶や波動、それら総てを吐き出せ。欠伸に連動して涙も止めど無く流れている。神である私に不要なエネルギーの総てを吐き出そうと強く決意し、意識は排泄器官をフル稼動させる。口が裂けてしまうかもというほどの、全身全霊を駆使しての大欠伸を続ける。口から肉体の内側にある臓器たちの総てを取り出し、表裏をくるりとひっくり返すような欠伸を意志的に意識的に行いながら背伸びをし、手足を最大限に伸ばす。身体中を動かし、伸張する……。

「あーぁ、よく寝たなあー。なーんだ、すべては夢だったのか?!」と大欠伸をしながら目覚める意識。穏やかな光の中、清々しい空気、さわやかにくちづけしていく風。生命エネルギーが溢れている。とてつもなく大きな身体、眠りから覚めた私は「天上天下唯我独尊」と口にする。えっ?仏陀?自分の中から突然発声された言葉を再度確認する。「吾は在りてあるものなり。吾のほかに在るものなし。」神の聖言が体内に響き渡る。すべては夢、実在するのは吾のみ。永い永い眠りから覚めた爽快感に浸る。そうか、これが仏陀の悟りなのね。イエスの悟りなのね。この世の出来事は夢のまた夢、マーヤ、虚妄、幻想。多くの書籍たちが語り続けてくれたことの意味が、言葉としてでなく実体験となって、一瞬にして全身を貫いた。「吾は 神なり。」「全知全能 遍在する神と 吾は一体なり。」目覚めた私は神だった。仏陀でもあり、イエスでもあった。圧倒的な愛と力が漲っていた。恐くなるほどの「絶対の叡智と愛と力」に溢れている私がそこに居た。そしてそこに存在しているのは私だけであり、私以外何者も存在していなかった。宇宙も地球も人々も、これまで自分の外側に存在していると信じ、その中で生きてきた、ありとあらゆるものはことごとく私の夢の中での現象であって、実在するのは吾一人であるということを、私は静かに感受した。世界中で発生しているクーデターや戦争、飢餓や貧困も、すべては私の夢の中での現象にすぎなかったことを識る。
全宇宙にたった一人の私(神)は自分が何者か知りたかった。そこで神の創造活動が始まっていった。神は神の分身を誕生させていった。この唯一の大いなる意志は私の中にも貫流している。絶対神としての私と、夢(幻想)の中で創造活動をしている私。共に生きているあらゆる人間や動物、植物、鉱物及び出来事など一切を私が創造し、私が登場人物としてドラマが展開している。私と触れ合うすべての人々もまた、私(神)であった。地球上に存在しているすべての人間一人一人が、神の本質から生まれ、本人がそのことに気付いていようがいまいが、神と一体であり、創造する神の力を持っている。畏敬すべき人間の本当の姿、存在の意味を識り、自尊の念に包まれる。
自分の身体に声をかける。「ご苦労様でした。」自己の身体がいとおしい。自分で自分を抱きしめる。ベールは取り除かれ、殻は破られた。夢から目覚めた私がいた。

目覚めの後

ワーク終了後、自分の身体が二廻りも三廻りも大きくなっている感じがする。両の目で見える世界は輝いている。参加者たちの一人一人、姿形は同じでありながら周囲の輝きを受け、どの人も生き生きと内部からの光で後光がさしているように見える。この人たちも全員仏陀であり、イエスなのだということが解る。先程自分をいとおしんだ同じ感情が湧き出てくる。どの人も神であり、愛さずにはいられない感情が私を大きく包む。
中央のテーブルに食パンやフランスパン、お茶、りんご、バナナ、キューリ、トマト、チーズ、バター及びナイフなどが配られる。りんごを一つ手に取り齧る。何という美味しさだろう。食物とはこれだったんだ。これで充分。これまで食い散らしてきた数々の豊富すぎる食物たちの映像が、高速で脳を通り過ぎる。自己の本質を見失い、グルメ嗜好で心を満たそうとする愚かで哀れな集団。不足感に追い立てられ、食べることで自己を見つけようとしてきた、これまでの私の生活が見えてくる。一切れのパンにチーズとキューリ、トマトをのせ、口に運ぶ。お、い、し、い。食物たちの滋養が身体に染み広がっていく。か、ん、し、ゃ。これが食物、これで充分。迷妄の料理よ、さようなら。私は選ぶ、本物の食物を。一噛み、一噛み、食材のありがたさを確認しながら噛み続ける。我が家にある大型冷蔵庫一杯に詰め込まれた数々の食材が幻となって消えていく。「お母さん、どうしてそんなに沢山の食材が必要なんですか?毎日必要な物を必要なだけ、買えばいいじゃないですか?冷蔵庫だって、何故こんなに大きなものが必要なんですか?」かつて今村興一君に言われた言葉が、今日の私を突き刺してくる。そうなんだ、飢餓地獄の記憶を放下した今、私には必要でない夢幻の食卓に笑顔で別れを告げる。不足するものは何もない。すべては幻だった。細胞内に刷り込まれた記憶に翻弄されていたのだ。すべては吾内にある。望めば与えられる事実を識った。2001年4月6日は、私にとって大切な「目覚めの誕生日」となった。まだ殻を破って出たばかりの雛鳥だけれど、だからこそ何もかもが美しい。人生とはなんと楽しく、光に満ち満ちていることであろうか!私は歓喜の雄叫びを発したいくらいに高揚している。
帰りの電車の中、多くの人たちを見つめる。この地上に生きる60億の魂たちに呼びかける。人間のすばらしさ、偉大さにどうぞ気付いて下さい、どうぞ夢から目覚めてください。自己の生命力、根源の力に気付き、豊かに楽しく生きていきましょうと。

人間、それはかけがえのない生命

4月7日、いつものように鳥のさえずりに送られて職場へ向かう。いつものようにではあるが、いつもと違い、何処から集まってきたのか、鳥たちの数が3倍くらい増えている。私の感性は鳥たちからの祝福を受け取る。空は澄み渡って美しく、桜も満開。生命が輝いている。感謝しかない。全宇宙の万物万象よ、ありがとう。すべてに「カ」「ミ」の息吹を感じる。
夢から覚めて思う。この私の生活総てがマーヤ(幻想)であるのなら、マーヤを創りかえることも可能である。全知全能、遍満する神として、私は私のマーヤを、確信を持って再創造することが出来る。制限など一切存在しない自由性の中で、私は私を創造していこう。私の偉大なるマーヤを、創造していこう。
「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ」である。この言葉の意味を詳しく説明することは出来ないが、私なりに感受するヒビキ(波動)がある。実在する表象と潜象の力が織り成すコズミック・ダンスの世界に覚醒した意識で入っていこう。

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